🐢 浦島太郎(4)乙姫様の正体

 乙姫様からは、なかなか声が掛からなかった。

 それをよいことにお亀との愛欲生活に溺れた浦島は、団子だんごのようにぶくぶくと肥え、丸々と膨れた顔は盆のようだった。

 ここに来る前、筋骨逞しい体は赤銅色しゃくどういろで、見るからに漁師らしく精悍せいかんだった。しかし、今や見る影もない。相撲の力士をぬるま湯に一昼夜漬けて、させたような塩梅である。肌の色は豚のそれに似ている。

<お伽話では確か、竜宮城での生活に飽きて、地上に戻りたいと乙姫に申し出ることになっているなぁ。だが、俺は違う。このままここに居続けて、お亀と面白おかしく暮らすんだ。元の貧乏漁師に戻ったところで、なんにもいいことなんてありゃしねぇ。嬶のおトラにだって、未練なんかこれっぽちもねぇや>


 ところがある日お亀が、大きな目をますます大きく見開いて太郎に話しかけてきた。

「本丸御殿から漏れてきた話では、太郎様にお声が掛かる日が近いようです」

「お! やっと拝謁できのるか。だがな、拝謁なんてもうどうでもいいんだ。拝謁が済んでも、俺は竜宮城に残ると決めた。オメエとここで仲良く暮らす心積もりだ。俺とオメエは、もう夫婦めおとも同然だからなぁ」

「もったいないお言葉でございます。でも、……」

「何だよ、お亀」

「これを太郎様に申し上げたことが露見ろけんすると、私の命はございません。でも、思い切って申し上げます」

「おいおい、ずいぶん物騒だな。いってぇ、何だぃ?」

「実は、乙姫様に拝謁する時はすなわち、太郎様のお命がなくなる時なのです」

「えー、何だって! そりゃ、どういうこった?」

「太郎様は、乙姫様に食われることになっているのでございます」

「何だと! 乙姫が俺を食うだって? そんな馬鹿なことがあるかよ!」

「毎日ご馳走をお腹一杯召し上がっていただいているのも、乙姫様のご所望により、太郎様を太らせるため……」

「ゲッ! 御馳走の裏に、そんな悪だくみがあったとは。それにしても、乙姫とはいったい何者なんだ?」

「見かけは、絶世の美女だとのことです。しかし、その正体は、とてつもなく大きくて猛々たけだけしい、化けざめなのでございます。悪食あくじきで、どんなものでも食らうのですが、中でも人間の男が一番の好物なのでございます」

「人食い鮫か! ここは竜宮城だろ? なんでそんな性悪な鮫が、主面あるじづらしているんだ?」

「はい。――」

 お亀が話したのは、概略次のようなことであった。

 太古の昔、竜宮城のあるじは、並外れて大きな竜*だった。

   *現代風に言えば、海に生息していた巨大な爬虫類・モササウルス。

 ところが、ある時天変地異てんぺんちいが起こって、竜は死に絶えてしまった。そのため、竜宮城は主のいない城となった。

 そこに現れたのが、大鮫おおざめだった。大鮫は並外れた力と剣山のように鋭い歯、そして猛々しい性格によって、竜宮城の主に収まった。乙姫は代替わりを繰り返し、ついに化け鮫となって途方もない力を得た。竜宮城の主であるばかりではなく、広大な海洋の僭主せんしゅとなったのである。

 今の乙姫の代になって、漁師の男が亀に連れられて竜宮城を訪れたれたことが何回かあった。最初の男は無事地上に帰ったものの、2人目は乙姫に食われた。乙姫には、人間がどんな食べ物より旨く感じられた。

 乙姫は、人間の味が忘れられなかった。そこで、小山ほどもあるだこの化け物*に命じて舟人ふなびとを海中に引きずり込んだり、磯で岩海苔いわのりりをしている女を鮫に襲わせたりして、人間を食い続けた。

  *西洋では、クラーケンなどと呼ばれた。

 そのうちに乙姫は、女より男の方が旨いことに気が付いた。男の方が一般的に体が大きいし、筋肉の付きもよいからだ。とりわけ、交わった後に食らうと、一段と味が引き立つというのである。

 そのため、海亀に命じて、色仕掛けで漁師や船乗りをたぶらかし、生け捕らせるようになった。竜宮城でしこたま御馳走を食べさせて肥育ひいくし、食べ頃になったところで食らうのだった。


「乙姫が海に住む生き物を支配しているというのは、本当なのかぃ?」

「はい。でも、果てしなく広い海の中には、乙姫様にまつろわぬ者どもがいないわけではありません」

「それは何者だ? 海坊主うみぼうずか?」

「いえ、鯨族くじらぞくです。一口に鯨族といっても、いろいろな種族がいるのですが、中には非常に気の荒い者や、途方もなく大きな者がいます」

「大きな鯨は、舟よりもデカいらしいな」

「はい。でも、最も強いのは鯱家しゃちけの者たちで、非常に獰猛どうもうであり、またいくさけています。特に、集団戦法が得意で、知略にも優れているとのことでございます」

「鯱か。俺も海で見ことがある。背鰭が、鎌の様に鋭く尖っている」

「今の乙姫様が竜宮城の主となってから、鯨族が竜宮城に攻め寄せたことが一度あったと聞いております。その時は、辛くも鯨族を撃退したのです。しかし最近、竜宮城の近くの海で、たびたび鯨族らしき者の姿が目撃されているとのことでございます」

「また竜宮城を攻めようというのか?」

「そうかもしれません。でも、竜宮城の守りは鉄壁です。たとえ鯨族が攻めてきても、城を守り切るだけでなく、返り討ちにするでしょう」

「随分自信があるようだな」


 お亀の言うことには、竜宮城の守りは、鮫一門さめいちもんの中でも格式が高いとされる御三家が固めている。御三家とは、頬白家ほほじろけ鼬家いたちけ葦切家よしきりけである。

 中でも最も勇猛なのが、乙姫が属している頬白家で、御三家の筆頭格だ。頬白家は、天守閣のある本丸を守護している。

 二の丸には、鼬家が詰めている。

 三の丸は、葦切家が固めている。

 その他に、梶木かじき軍団という親衛隊がいる。鮫一門ではないが、乙姫の命令のもと、城の守りに当たっている。

 それだけではない。城から離れた海で乙姫に従わないものが現れると、御三家や梶木軍団が長駆ちょうく侵攻して、滅ぼしてしまうという。

 なお、竜宮警察長官・蛸平が率いる警官隊の役割は、あくまで城下の治安維持である。ただし、戦時には頬白家の指揮下に組み入れられ、御三家や親衛隊の後方支援に当たる。


「それは分かった。だが、城の守りなんぞ、俺にゃどうでもいいんだ。このままでは、俺の命はねぇ。俺に乙姫の秘密をばらしたお亀だって、同じだろ? どうしたらいいんだ? こうなったら、一緒に地上に逃げようぜ」

「太郎様が一歩でも城から出た途端、すぐに見つかってしまいます。この前のように。太郎様に、逃げ場はないのです」

「ちくしょう。うつぼばば太々ふてぶてしいツラが目に浮かぶぜ。なら、どうしたらいい? 考えてくれ、お亀!」

「……」

「何とか言ってくれよ、お亀。オメエだけが頼りなんだ」

「……。太郎様が乙姫様に食われるのも、止むを得ますまい」

 お亀の大きな瞳が、ひたと太郎の目に向けられた。

「何だって! オメエも俺を裏切る気か?」

「だって、太郎様は、私の子を殺めたばかりか、食ってしまわれたのですから」

「な、何を証拠に、そんなことを言うんだ?」

「私、見てしまったのです。太郎様が、鍋太郎の甲羅と臓物を浜で捨てるところを」

「……」

「乙姫様にそのことをお知らせしたのも私です。すると乙姫様は、太郎様をたぶらかして連れてまいれとお命じになりました。太郎様を食らって、きっとかたきを討ってやるとおっしゃいました」

 それを聞いた途端、太郎はお亀の前で土下座した。

「俺が悪かった。ひもじさに負けて、つい食ってしまった。お亀、このとおりだ。無理を承知で頼む。どうか、許してくれ」

 太郎は、ゆかに額を擦り付けながら、声を絞り出した。お亀はその姿を見て、何事かを心に決めたようだった。

「子を食われてできた心の傷は、決して癒えることはありません。でも、太郎様を許します。その代わり、太郎様にしていただきたいことがあるのです」

「え! 許してくれるのか! ありがてぇ。この恩は一生忘れねぇ。それで、してほしいこととは何だ?」

「乙姫様に拝謁して、乙姫様を亡き者にしていただきたいのです」

「な、何だと! 乙姫はオメエのあるじじゃねぇか。主殺しゅうごろしは大罪たいざいだぞ」

「実は数年前から、鮫一門による暴政と苛斂誅求かれんちゅうきゅうが激しさを増しているのです。たみは到底払いきれない高額の税を取り立てられて、ひどく苦しんでいます。それに、少しでも一門の意に沿わないことがあると、それこそ刺身にして食われてしまうのです」

「魚の刺身か……。そういえば、竜宮に来てからというもの、一口も食ってねえな」

 太郎の口中に唾液が湧き出してきて、思わず口の端から滴りそうになった。

「何を吞気のんきなことをおっしゃっているのですか! このままでは、太郎様も刺身になるのですよ」

「違ぇねぇ。で、乙姫を倒す策でもあるのか? 俺は武芸を知らないし、武器もない。腕力には、ちっと覚えがあるが、そんなんじゃ大鮫は倒せねぇだろう? おまけに、体に脂が付き過ぎて、前にようには素早く動けねぇんだ」

「上手くいくか分かりませんが、一つだけ策があります。太郎様は、玉手箱たまてばこというものをご存じですね?」

「お伽話に出てくる、あまり有難くねぇ、妙な箱だろ? 蓋を開けると白煙しろけむりが出てくるんだよな」

「はい、おっしゃるとおりです――」


 お亀が話した策とは、次のようなものだった。

 お伽話にある玉手箱は、実は中に「煙玉けむりだま」というものが仕込まれていたのだ。箱を開けると煙玉の皮が破けて、中の煙が外に噴き出す仕掛けになっている。

 そして、煙玉には紅白二種類ある。

 白い玉の煙を吸った者は、時間が70年と3か月進んでしまう。逆に、赤い玉の煙を吸うと、70年と3か月戻る。煙の効果は、それを吸ったものだけに現れる。

 お伽話で浦島は、白玉しろだまの煙を吸い込んだため、一瞬にして70歳余り年を取り、白髪の老人になってしまった。

 お伽話には、竜宮城の三年は地上の三百年に相当するなどとあるが、それは作り話にすぎない。浦島は、元自分がいた場所から遠く離れた場所に戻されたため、会う人も風景もまったく違っていたのだ。


「すると、俺は白玉を乙姫に投げつければいいんだな?」

「いえ、赤玉あかだまです。乙姫様は、あと数百年は生きるでしょう。白玉の煙では効果ありません。乙姫様は生まれてまだ50年経つか経たぬかです。赤玉なら、生まれる前に戻って消えてしまうか、さもなくば、幼魚ようぎょに戻ることでしょう」

「なるほど、それは名案だ! しかし、煙玉はどうやって手に入れるんだ?」

「煙玉は、本丸御殿にある宝物蔵ほうもつぐらにあります。私と同じ亀族で、ごく親しい者が、宝物蔵で働いております。その者が、すでに盗み出しました」

「へえ、手回しがいいな。だが、なにも俺が投げなくたって、他に誰かいないのか?」

「おりません。鮫一門以外、滅多なことでは乙姫様の傍に近付けないのです」

「分かった。こうなったら、死ぬ気でやるしかあるめぇ。覚悟を決めた! しかし、乙姫を倒しても、鮫一門の他の奴が、乙姫にとって代わるだけじゃねぇのか?」

「鮫一門がすべて猛々しい方というわけではありません。特に甚平家じんべいけには、巨体に似合わず、穏やかなご性格で徳が高い方がおられます。そういう方に、竜宮城の主になっていただく手筈が、もうすぐ整います。梶木軍団の一部も味方に引き入れてあります」

「へー。オメエ、艶っぽいだけじゃなくて、なかなかのしっかり者なんだなぁ。驚いたぜ。で、乙姫を亡き者にした後、俺はどうなる?」

「ことが成就したあかつきには、私が命に代えてでも、太郎様を地上にお送りいたします」

「オメエと別れたくないぜ。このまま、竜宮城に居続けちゃダメか?」

「残念でございますが、それはできません。太郎様と私とでは、住む世界が違うのです。それに、やはり鍋太郎のことが……」

「それもそうだな。辛いことを思い出せちまって、済まねぇ」

「あの、乙姫様に拝謁する時、絶対になさってはならないことがあります」

「乙姫の顔を見ちゃいけねぇんだろ。見た男は、腑抜けになるらしいな。伊勢管理官から聞いたよ」

「左様でございますか。実は、伊勢様も、私どもと志を同じくするお方なのです」

「ほぅ。あの茹で海老えび野郎がか? 俺が逃げ出してここに引き戻された時、俺が乙姫を河童呼ばわりしたと言って、俺を殺す寸前までいったがな」

「それは恐らく、蛸壺長官など乙姫方の者たちの目を欺くためだったのでしょう」

「なーるほど。しかし、本当に怒っていたようだがな」

「海老蔵というくらいですから、演技は役者に引けを取りません」


 それから数日後、太郎は乙姫から召し出された。

 太郎は身を清めた後、本丸御殿に向かった。ふんどしの中には、赤い煙玉が忍ばせてあった。


《続く》



 

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