🍑 桃太郎(5)いざ、鬼退治へ!
翌日の明け六つ、三条大橋西詰には驚くべき光景が見られた。
一人の逃亡者もなく、4人全員が集まっていたのだ。
「へえ、日ノ本の国も、まだ捨てたものでもありませんな」
猿若が、犬千代の方を見ながら
「なんで俺を見て言うんだよ。オメエが一番危ないと思われてたんだぜ。なんせ、大金を持ってるからな。道中、くれぐれも用心しろよ」
「ええ、特にあんたにはね」
「おう、桃の実。元気ねえな」
桃三十郎は疲れた様子で、眼の下には
「ケッ!
「もちろんです。ちょっと寝不足なだけですから、ご心配なく」
「夜っぴてナニしてたのか。菊乃! チットは手加減しろぃ。桃の実は虚弱なんだからな」
「フン、何のことか分からないねー。お、そうだ。
菊乃は表情を変えず、冷ややかな視線を犬千代に送った。
「馬鹿野郎! ……オメエ、痛い所を突いてきやがるなぁ。嫌なアマだぜ」
4人は武具屋に立ち寄って必要な武器や防具を整えたのち、京を離れた。
まず
彼らは怪しまれないため、巡礼に身をやつしていた。
桃三十郎の兄たちを買った人買い・鬼丸が、桃三十郎を狙っていないとも限らない。
道中、様々な騒動が起きた。しかし、それを記すのは別の機会に譲り、我々も先を急ぐことにしよう。
*
米子の街を過ぎると、
ここに、代官所の役人が
一行が砂浜を進むと、役人とその使用人が、
一行は役人らしき男のそばに行き、桃三十郎が男に尋ねた。
「異形の者成敗に参上いたしました、備中は
「ん?」
役人は、
「出雲詣ではなく、異形の者成敗だと? 何を寝ぼけたことを申しておる。わしは忙しいのだ。あっちへ行け」
「誠に恐れ入りますが、ご事情をお教えください」
「貴様、くどいぞ! 痛い目に会いたくなくば、さっさと
「……」
その時、猿若が役人に近付いて、手に何やら握らせた。役人が
「ちと少ないが、まあいいだろう。異形の者成敗には、ひと月ほど前から、およそ50組、500人近くが志願してきたのだ。そのうち見込みのありそうな者20組を選び、
だが、一人として戻ってきたものはおらん。そればかりか、中で最も武勇に優れていたと思われる者たちの首が、知らない間に、浜で
軍船も尽きた。であるから、この指揮所も撤収しておるのだ」
「何ですって……」
桃三十郎は、ヘナヘナと
「すると、今や玉門島に渡る
犬千代が大きな赤ら顔をツン出した。
「そうだ。何せ、玉門島はここから30里も離れた、絶海の孤島なのだ。島にはいつも分厚い雲が垂れこめ、周りの海は常に大荒れだから、島に近づくこともままならん。
そこいらの漁民の船では渡ることはできん。それに、漁民は極度に恐れているから、いくらカネを積んでも、船を出す者はおらんだろう。といって、漁民の船を勝手に持ち出すでないぞ」
「
「3里にあるのは、
「なんてこった」
「あの、お役人様」
今度は猿若だ。
「まだ何かあるのか? わしは忙しいのじゃ。日の入りまでに、片づけを終わらさねばならんのじゃ」
「もしも私どもが異形の者たちを成敗したら、恩賞や仕官は頂戴できるのでしょうか」
「いや。本日
「お、お待ちを。最後に一つだけお聞かせください。その異形の者たちというのは、どのような者たちなのでしょうか?」
やや気を取り直したのか、桃三十郎が尋ねた。
「わしは直接見たことはない。
話によると、全身黒づくめで、極めて身のこなしが速い。
だが、なぜか
役人はスタスタと行ってしまった。
「いやはや、残念なことよ。だが、玉門島に渡れぬなら、いくら俺様が
犬千代は、晴れ晴れとした顔で、一行を見回した。
「いや、まだ望みはある。それに犬千代、役人の話を聞いてなかったのか?」
「途中から
「鬼丸の話が出てたぞ」
「何だって! どこにいるんだ?」
「鬼丸と異形の者は、何らかの繋がりがあるのかもしれないですね。桃様」
「それはあり得ますね」
「どうでしょう。私と猿若が手分けし、この辺りで船を出してくれそうな人を探しましょう。桃様は、犬とここで待っていてください。
猿若さんは、浜の西側を探してください。私は東側を当たります。
「承知しました」
二人は、正反対の方角に走っていった。
「だめですねぇ」
猿若が、
「この辺の漁民は、みな
「だろうな。菊乃も同じだろう。今夜は温泉宿で旨い物でも食おうぜ」
「そういうことになりますかな」
そこへ、菊乃が戻ってきた。
「おあつらえ向きの舟を見つけたよ」
「何だと?」
「あそこに見える
「おお、そうですか。お手柄ですね、菊乃さん。有りガネはあといくらくらいですか、猿若さん」
「あと、10両くらいですな。しかし、帰りの船賃も取っておかねばなりません」
「いえ、帰りは大金持ちですから、心配ありませんよ」
「おいおい、ずいぶん気楽だな、桃の実。本当に行くのか?」
「とにかく、舟を見てみましょう」
一行は、大岩に向かった。
大岩の縁を回ると、一艘の帆掛け舟が浮かんでいて、波に揺られていた。
漁民が乗る舟より相当大きい。しかも、帆柱が3本ある。
浜辺に
よく見ると、3人とも女だ。
「相手が女だから、あたしが話ししましょう」
そう言って、菊乃が
「さっきも尋ねたけれど、カネ次第では、玉門島まであたしたち4人を乗せてくれるんだね? いくらなら行く?」
「そうだね。片道50両だね」
猿若が、黙って首を横に振った。
「すると、往復で100両だね?」
「そんなところだ。玉門島の周りの海は、いつも
「じゃあ、これではどう? 今すぐ10両渡す。でも、帰りは200両出すよ。それが出せなければ、島に置き去りにしてもいい」
「へえ、島で何をやるつもりなんだい?」
「ときどき浜に来ては民を苦しめているという、異形の者たちを成敗するんだ。そして、そいつらが持っている金銀財宝を全部いただくんだよ」
「分かった。行ってやるよ。その代わり、帰りに200両出せなければ、島に置き去りだよ」
「桃様、よろしいですね?」
「もちろんです」
「おいおい、待ってくれよ。俺は女が操る舟なんか、危なっかしくて乗れねぇな」
「何言ってるんだい、犬千代。お前は顔はデカいくせに、肝っ玉とナニは
「ちっ! 魔物の成敗が住んだら、オメエを成敗するからな。覚えてやがれ」
翌日日の出とともに
翌日は晴天だった。
風は追い風で、舟はズンズン進んだ。
水手は5人だが全員女だ。いずれも、どこか異国風の顔立ちだ。頭のイネのもと、みなキビキビと立ち働いている。
間もなく、島影が見えてきた。
「ほっ。意外に近いんだな。助かった」
猿若は、出帆してすぐに船酔いに襲われたのだ。
「いや、あれは獄門島だ。そばを通る時、崖の上を見てみな。大きな釣り鐘が見えるから」
水手の一人が説明した。
舟は、夜の間も帆走した。水手たちは、星を頼りに方角を決めているらしい。
夜が明けてきたが、空は重そうで分厚い雲に覆われている。
「嵐の海を突っ切るから、4人は船倉に入ってな。出入口の蓋を閉めて、決して上に出てくるなよ」
イネが4人に指示した。
間もなく、舟は嵐の中で舞う木の葉のように揺れた。時々、波が船底を打つ「ドン」という音と雷鳴が響いた。
男3人が極度の船酔いで桶が手放せない中、
永遠に続くと思われた船の大揺れも、いつしかピタリと止んだ。
「桃様、上に上がりましょう。さ、桶は私が持ちます。あんたたちも、桶持って来な」
甲板に出ると、爽やかな潮風が吹きわたっている。
頭上の空は晴れているが、舟の後方に目を転じると、さっき通ってきた嵐なのか、黒雲が立ち込め、その中で時々稲妻が光っている。
そして前方には、島影が。
全島緑に覆われている。高い山があるらしく、山は半分雲の中だ。
島影は急速に大きくなっていく。
「桃の実よ。魔物が住む島に、
「いや。日中魔物は森の奥に潜んでいて、岸には現れない。このまま、船を岸に付けるぞ」
イネの口調は有無を言わさないものだった。
「ほう、そうかい。なら、武器や防具を身に付けよう。桃の実や猿も急げよ」
舟が進むにつれて、島の細部が見えてきた。島全体が、
「あんなに密生した森は見たことがないな。
猿若は、早くも
「何がいるって? とてつもなくデカい猿じゃないか? オメエのご先祖かもな。出てきたら、俺がぶった切ってやるよ」
猿若は、黙ったまま顔を
舟は滑るようにして島の入り江に入り、岸から突き出している桟橋に横付けされた。桟橋に待機していたらしい数人の女が、舟の水手が投げた綱を受け取って、杭に引っかけた。
陸には見慣れない造りの家が立て込んでいる。人の姿も見えるが、やはり見慣れない服を着ている。
「ほう。この島には住民がいるらしいですな」
猿若が珍しそうに眺める。
「そうですね。住民がのんびりしているところを見ると、やはり日中は魔物が出ないようですね」
桃三十郎も、少しほっとしている様子だ。
「では、まず、犬千代と猿若が下船しろ」
イネが指図した。
「なんで、そんなことまで指図されるんだ?」
ブツブツ言いながら犬千代が降りると、猿若が続いた。
すると突然、桟橋にいた女たちが、抜刀して二人を取り囲んだ。
「大人しく刀を捨てろ!」
舟の上からイネが命令した。
「何だと?」
犬千代は、腰の大刀を抜こうとした。だが、手入れが悪いためか、スラリとは抜けない。ズズ、ズズ……とみっともない音を立てて、やっと抜けた。
猿若は、早くも刀を鞘ごと足元に置いた。
「てめえら、いったい何の真似だ? この犬千代様を侮るなよ!」
「諦めな」
その声は、菊乃だった。
菊乃は桃三十郎の後ろにいて、左手を彼の体に回し、右手に握った短刀を彼の喉元に突き付けていた。
「菊乃! オメエ、なんてことするんだ? すぐに桃の実を離せよ」
「問答無用!」
犬千代の手から、大刀が大きな音を立てて落ちた。
《続く》
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