🍑 桃太郎(5)いざ、鬼退治へ!

 翌日の明け六つ、三条大橋西詰には驚くべき光景が見られた。

 一人の逃亡者もなく、4人全員が集まっていたのだ。


「へえ、日ノ本の国も、まだ捨てたものでもありませんな」

 猿若が、犬千代の方を見ながらつぶやいた。

「なんで俺を見て言うんだよ。オメエが一番危ないと思われてたんだぜ。なんせ、大金を持ってるからな。道中、くれぐれも用心しろよ」

「ええ、特にあんたにはね」


「おう、桃の実。元気ねえな」

 桃三十郎は疲れた様子で、眼の下にはくまができていた。全体的に、どこかせみの抜け殻のような雰囲気を漂わせている。

「ケッ! 昨夜ゆうべ、だいぶ菊乃に可愛がられたな。足取りも覚束おぼつかねぇじゃないか。そんなんで、伯耆の国まで行けるのかよ」

「もちろんです。ちょっと寝不足なだけですから、ご心配なく」

「夜っぴてナニしてたのか。菊乃! チットは手加減しろぃ。桃の実は虚弱なんだからな」

「フン、何のことか分からないねー。お、そうだ。桃様ももさまのは、お前のアレよりずっと大きくて立派だよ」

 菊乃は表情を変えず、冷ややかな視線を犬千代に送った。

「馬鹿野郎! ……オメエ、痛い所を突いてきやがるなぁ。嫌なアマだぜ」


 4人は武具屋に立ち寄って必要な武器や防具を整えたのち、京を離れた。

 まず西国さいごく街道を辿たどり、西宮にしのみや山陽道さんようどうに入った。姫路ひめじで山陽道に別れを告げると、出雲いずも街道を米子よなご目指して進んだ。目指す弓ヶ浜は、米子の近くにある。


 彼らは怪しまれないため、巡礼に身をやつしていた。出雲詣いずももうでに向かう一団というていである。

 桃三十郎の兄たちを買った人買い・鬼丸が、桃三十郎を狙っていないとも限らない。


 道中、様々な騒動が起きた。しかし、それを記すのは別の機会に譲り、我々も先を急ぐことにしよう。


  *


 米子の街を過ぎると、白砂青松はくしゃせいしょうの長い海岸にたどり着いた。弓ヶ浜だ。

 ここに、代官所の役人が出張でばっていて、異形の者討伐を志願する者の差配さはいをしているはずだ。


 一行が砂浜を進むと、役人とその使用人が、物見櫓ものみやぐらを解体したり、陣幕を片づけたりしていた。


 一行は役人らしき男のそばに行き、桃三十郎が男に尋ねた。

「異形の者成敗に参上いたしました、備中は桃配ももくばり村・爺助じいすけせがれ、桃三十郎と申します。この者たちは、私の郎党でございます。どのようにすればよいか、ご沙汰をお願いいたします」

「ん?」

 役人は、胡乱うろんなものに向けるような眼差まなざしで桃三十郎を見た。

「出雲詣ではなく、異形の者成敗だと? 何を寝ぼけたことを申しておる。わしは忙しいのだ。あっちへ行け」

「誠に恐れ入りますが、ご事情をお教えください」

「貴様、くどいぞ! 痛い目に会いたくなくば、さっさとせろ」

「……」

 その時、猿若が役人に近付いて、手に何やら握らせた。役人がてのひらを広げると、銭だった。


「ちと少ないが、まあいいだろう。異形の者成敗には、ひと月ほど前から、およそ50組、500人近くが志願してきたのだ。そのうち見込みのありそうな者20組を選び、軍船ぐんせんを貸し与えた。

 だが、一人として戻ってきたものはおらん。そればかりか、中で最も武勇に優れていたと思われる者たちの首が、知らない間に、浜でさらし首されていたのだ。

 軍船も尽きた。であるから、この指揮所も撤収しておるのだ」

「何ですって……」

 桃三十郎は、ヘナヘナとひざまずいた。


「すると、今や玉門島に渡るすべもござらんのか?」

 犬千代が大きな赤ら顔をツン出した。

「そうだ。何せ、玉門島はここから30里も離れた、絶海の孤島なのだ。島にはいつも分厚い雲が垂れこめ、周りの海は常に大荒れだから、島に近づくこともままならん。

 そこいらの漁民の船では渡ることはできん。それに、漁民は極度に恐れているから、いくらカネを積んでも、船を出す者はおらんだろう。といって、漁民の船を勝手に持ち出すでないぞ」

拙者せっしゃ、玉門島は浜から3里の海上にあると聞き及んで参ったのでござるが……」

「3里にあるのは、獄門島ごくもんとうだ。玉門島ぎょくもんとうではない」

「なんてこった」


「あの、お役人様」

 今度は猿若だ。

「まだ何かあるのか? わしは忙しいのじゃ。日の入りまでに、片づけを終わらさねばならんのじゃ」

「もしも私どもが異形の者たちを成敗したら、恩賞や仕官は頂戴できるのでしょうか」

「いや。本日只今ただいまをもって、それもお仕舞いじゃ。わしはもう行くぞ」


「お、お待ちを。最後に一つだけお聞かせください。その異形の者たちというのは、どのような者たちなのでしょうか?」

 やや気を取り直したのか、桃三十郎が尋ねた。

「わしは直接見たことはない。

話によると、全身黒づくめで、極めて身のこなしが速い。本朝ほんちょうでは見られぬ湾曲して鋭い長剣を使う。夜、闇に紛れて不意に襲ってきて、だれかれ見境みさかいなく殺戮さつりくしていくという。弩弓どきゅうも使うらしい。

だが、なぜか女子おなごは殺さないという。わしが知るのは、これくらいじゃ。それと、近ごろ鬼丸とか名乗る人攫いがこの辺りに出没しておる。特に、女子は気をつけるがよい。ではな」

 役人はスタスタと行ってしまった。


「いやはや、残念なことよ。だが、玉門島に渡れぬなら、いくら俺様が千人力せんにんりきであろうと、どうしようもない。さ、出雲大社いずもたいしゃにお参りしてから、温泉にでも浸かろうぜ」

 犬千代は、晴れ晴れとした顔で、一行を見回した。

「いや、まだ望みはある。それに犬千代、役人の話を聞いてなかったのか?」

「途中からうわの空さ。なにせ、玉門島に行く術がないんだからな」

「鬼丸の話が出てたぞ」

「何だって! どこにいるんだ?」

「鬼丸と異形の者は、何らかの繋がりがあるのかもしれないですね。桃様」

「それはあり得ますね」

「どうでしょう。私と猿若が手分けし、この辺りで船を出してくれそうな人を探しましょう。桃様は、犬とここで待っていてください。

猿若さんは、浜の西側を探してください。私は東側を当たります。一時いっとき(およそ2時間)のちに、ここに戻ってきてください」

「承知しました」

 二人は、正反対の方角に走っていった。


「だめですねぇ」

 猿若が、虚仮猿こけざるのようにくたびれた顔をして帰ってきた。

「この辺の漁民は、みなおびえ切っています。それに、そんな遠くまでぎ出すことはないそうです。役人が言っていたとおり、いくらカネを積んでも無理でしょうね」

「だろうな。菊乃も同じだろう。今夜は温泉宿で旨い物でも食おうぜ」

「そういうことになりますかな」


 そこへ、菊乃が戻ってきた。

「おあつらえ向きの舟を見つけたよ」

「何だと?」

「あそこに見える大岩おおいわの向こう側に、帆掛け舟があった。普段は海産物やら毛皮やらを運ぶことを生業なりわいにしてるそうだ。酒手さかての額次第では、玉門島まで行くと言ってる」

「おお、そうですか。お手柄ですね、菊乃さん。有りガネはあといくらくらいですか、猿若さん」

「あと、10両くらいですな。しかし、帰りの船賃も取っておかねばなりません」

「いえ、帰りは大金持ちですから、心配ありませんよ」

「おいおい、ずいぶん気楽だな、桃の実。本当に行くのか?」

「とにかく、舟を見てみましょう」


 一行は、大岩に向かった。

 大岩の縁を回ると、一艘の帆掛け舟が浮かんでいて、波に揺られていた。

 漁民が乗る舟より相当大きい。しかも、帆柱が3本ある。和船わせんの帆柱は、普通1本のはずだ。

 浜辺に水手かこ(船員)らしき者が3人たむろしている。

 よく見ると、3人とも女だ。海女あまが着る衣装を黒ずくめにしたようなものを着ている。

「相手が女だから、あたしが話ししましょう」

 そう言って、菊乃がかしらと思しき女に話しかけた。まだ若そうだが顔は日に焼けていて、女ながら精悍な面構えだ。


「さっきも尋ねたけれど、カネ次第では、玉門島まであたしたち4人を乗せてくれるんだね? いくらなら行く?」

「そうだね。片道50両だね」

 猿若が、黙って首を横に振った。

「すると、往復で100両だね?」

「そんなところだ。玉門島の周りの海は、いつも時化しけている。行くとなると、アタイたちも命がけさ。それに、あの島には魔物が巣食っているそうじゃないか。あんたたちを降ろしたら、舟はいったん島から離れるよ」

「じゃあ、これではどう? 今すぐ10両渡す。でも、帰りは200両出すよ。それが出せなければ、島に置き去りにしてもいい」

「へえ、島で何をやるつもりなんだい?」

「ときどき浜に来ては民を苦しめているという、異形の者たちを成敗するんだ。そして、そいつらが持っている金銀財宝を全部いただくんだよ」

「分かった。行ってやるよ。その代わり、帰りに200両出せなければ、島に置き去りだよ」


「桃様、よろしいですね?」

「もちろんです」

「おいおい、待ってくれよ。俺は女が操る舟なんか、危なっかしくて乗れねぇな」

「何言ってるんだい、犬千代。お前は顔はデカいくせに、肝っ玉とナニは罌粟けしみたいにちっちぇえんだ。ほら、水手に笑われてるぞ」

「ちっ! 魔物の成敗が住んだら、オメエを成敗するからな。覚えてやがれ」


 翌日日の出とともに出帆しゅっぱんすることになり、その夜4人は浜で野宿した。水手から、ほしい(乾燥飯)を水で戻して味噌を乗せたものが配られた。


 翌日は晴天だった。

 風は追い風で、舟はズンズン進んだ。

 水手は5人だが全員女だ。いずれも、どこか異国風の顔立ちだ。頭のイネのもと、みなキビキビと立ち働いている。


 間もなく、島影が見えてきた。

「ほっ。意外に近いんだな。助かった」

 猿若は、出帆してすぐに船酔いに襲われたのだ。

「いや、あれは獄門島だ。そばを通る時、崖の上を見てみな。大きな釣り鐘が見えるから」

 水手の一人が説明した。


 舟は、夜の間も帆走した。水手たちは、星を頼りに方角を決めているらしい。


 夜が明けてきたが、空は重そうで分厚い雲に覆われている。

「嵐の海を突っ切るから、4人は船倉に入ってな。出入口の蓋を閉めて、決して上に出てくるなよ」

 イネが4人に指示した。


 間もなく、舟は嵐の中で舞う木の葉のように揺れた。時々、波が船底を打つ「ドン」という音と雷鳴が響いた。

 男3人が極度の船酔いで桶が手放せない中、ひとり菊乃だけは、平然と座っていた。


 永遠に続くと思われた船の大揺れも、いつしかピタリと止んだ。

「桃様、上に上がりましょう。さ、桶は私が持ちます。あんたたちも、桶持って来な」


 甲板に出ると、爽やかな潮風が吹きわたっている。

 頭上の空は晴れているが、舟の後方に目を転じると、さっき通ってきた嵐なのか、黒雲が立ち込め、その中で時々稲妻が光っている。


 そして前方には、島影が。

 全島緑に覆われている。高い山があるらしく、山は半分雲の中だ。

 島影は急速に大きくなっていく。


「桃の実よ。魔物が住む島に、真昼間まっぴるまに近付いちゃ危ねぇぜ。夜を待った方がいい」

 いくさには馴れているらしい犬千代が、進言した。

「いや。日中魔物は森の奥に潜んでいて、岸には現れない。このまま、船を岸に付けるぞ」

 イネの口調は有無を言わさないものだった。


「ほう、そうかい。なら、武器や防具を身に付けよう。桃の実や猿も急げよ」


 舟が進むにつれて、島の細部が見えてきた。島全体が、鬱蒼うっそうとした森に覆われていて、山は途中から上が雲の中だ。

「あんなに密生した森は見たことがないな。よこしまなものが潜んでいる気配がひしひしと伝わってくる」

 猿若は、早くも怖気おじけづいているようだ。

「何がいるって? とてつもなくデカい猿じゃないか? オメエのご先祖かもな。出てきたら、俺がぶった切ってやるよ」

 猿若は、黙ったまま顔をしかめた。


 舟は滑るようにして島の入り江に入り、岸から突き出している桟橋に横付けされた。桟橋に待機していたらしい数人の女が、舟の水手が投げた綱を受け取って、杭に引っかけた。


 陸には見慣れない造りの家が立て込んでいる。人の姿も見えるが、やはり見慣れない服を着ている。

「ほう。この島には住民がいるらしいですな」

 猿若が珍しそうに眺める。

「そうですね。住民がのんびりしているところを見ると、やはり日中は魔物が出ないようですね」

 桃三十郎も、少しほっとしている様子だ。


「では、まず、犬千代と猿若が下船しろ」

 イネが指図した。

「なんで、そんなことまで指図されるんだ?」

 ブツブツ言いながら犬千代が降りると、猿若が続いた。


 すると突然、桟橋にいた女たちが、抜刀して二人を取り囲んだ。

「大人しく刀を捨てろ!」

 舟の上からイネが命令した。

「何だと?」

 犬千代は、腰の大刀を抜こうとした。だが、手入れが悪いためか、スラリとは抜けない。ズズ、ズズ……とみっともない音を立てて、やっと抜けた。

 猿若は、早くも刀を鞘ごと足元に置いた。

「てめえら、いったい何の真似だ? この犬千代様を侮るなよ!」


「諦めな」

 その声は、菊乃だった。

 菊乃は桃三十郎の後ろにいて、左手を彼の体に回し、右手に握った短刀を彼の喉元に突き付けていた。


「菊乃! オメエ、なんてことするんだ? すぐに桃の実を離せよ」

「問答無用!」


 犬千代の手から、大刀が大きな音を立てて落ちた。


《続く》



 

 

 


 


 





 


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