大人のための日本昔話

🍑 桃太郎（４）凸凹四人組

　桃三十郎は、布団の上に胡坐（あぐら）をかき、大男を見上げた。

　当初の驚愕（きょうがく）からやや落ち着きを取り戻すと、部屋に充満する熟柿臭（じゅくししゅう）に気が付いた。

＜この男、相当酒を飲んでいるな＞

　お爺さんの顔がまた目に浮かんだ。お爺さんは金（かね）回りが良くなってから、酒をたくさん飲むようになった。痛飲した翌日は熟柿臭に満ちた息を振りまいて、お婆さんに叱られていた。

＜カネを出すか、切られるか、どちらを選ぶかだって？　どちらにせよ、カネは取られるんじゃないか。どうする？　桃三十郎＞

　桃三十郎の頭脳は、生まれて以来の最高速度で回転していた。

「あの、ご相談があります」

「何だとー！　相談だ？　だが、相談する前に、お前の首が飛なぁ。だから相談なんかできねぇんだよ。さ、首を前に出せ」

「私のカネなんか、たかが知れています。そんなケチなカネじゃなく、桁外れの大金（おおがね）を手に入れたいとは思いませんか？　大金だけではありません。金銀財宝も山ほどあるんです」

「おい！　そんな駄法螺（だぼら）、俺が信じるとでも思うのか？　俺を舐（な）めるんじゃねぇ！　さあ、首を出せ」

　男は、大刀の鯉口（こいくち）を切った。

　しかし、桃三十郎は落ち着いていた。不思議なことに、今まで感じたことのなかったような力と自信が心に満ち、肝（きも）が座った。

「山陰道（さんいんどう）の海辺（うみべ）にたびたび異形の者たちが現れ、民を苦しめていることは、ご存じでしょう？　私は、国主（こくしゅ）様の命を受けて、賊（ぞく）たちを成敗しに行くところです。行き先は、賊の根城、玉門島です」

　桃三十郎は男の、自分の話に少しだけ関心を示すような素振りを見逃さなかった。

「玉門島には、賊が貯め込んだ金銀財宝が唸（うな）っているそうです。賊を平らげた者には、財宝はすべて与えられるばかりでなく、官職まで授けられるのです。どうですか、あなたも、加わりませんか？　ちゃんと前金はお支払いします。あとは成功報酬ということで」

「ふん。異形の者の噂は聞いたことがあるぜ。人間離れした怪物らしいな。だが、お前みたいなヘナチョコの優男（やさおとこ）に、怪物の成敗なんてできるのか？　取って食われるのがおちだぜ」

「ハハハハ。ものは外見（そとみ）で決めつけてはなりません。私は桃から生まれたんです。常人（じょうじん）にはない力があるのです」

「桃から生まれただと？　すると、お前はお伽話に出てくる桃太郎か？　え？」

「いえ、私は桃三十郎と申します。桃太郎は、私の兄です」

「桃三十郎だと？　なんだそりゃ。聞いたことねぇぜ。そんな戯（たわ）けた作り話で俺を騙そうとしても無駄だ。さあ、覚悟しろぃ」

　男は腰の大刀を抜き始めた。

　その時、障子がさっと開いた。

「ちょっとお待ち。犬千代（いぬちよ）！」

　入ってきたのは、千代、いや、菊乃だった。昼間見た町娘（まちむすめ）風の小袖ではなく、何やら黒っぽい、忍びの装束（しょうぞく）ようなものを着ている。

　姿にも声の調子にも、昼間のしとやかで上品な風情はまるでない。

「その人の言うことは、あながち噓ばかっりじゃない。その人の体は桃の肌のように白く滑らかだし、いつも桃の香りがしているよ」

「え！　お前、こいつと本気で寝たのか？　この売女（ばいた）め！」

　その瞬間、菊乃の平手（ひらて）が犬千代の頬に飛んだ。

「お前、あたしに向かってそんなこと言えるのかい？　あたしがカモを連れてくるから、おまんまが食えるんだろ？　それに、あたしはお前の女じゃないからね！」

「悪かった。ちょっと言い過ぎた」

　犬千代は、菊乃には頭が上がらないらしい。

「桃三十郎さん。手荒なことをして済まなかったね。あたしは菊乃、この男は犬千代。言っとくけど、あたしは犬千代の女じゃないよ。あたしら、たまたま京で知り合って、食い繋ぐために組んで悪さをしているだけさ。二人とも坂東（ばんどう）の生まれだけど、それぞれわけあって京に流れてきたのさ」

「菊乃さん、危ないところを有難うございます」

「おい！　まだ許したわけじゃねえぞ」

「それより犬千代、以前、似たような人をカモにしなかったかい？　確か……、桃十郎、桃二十郎とかいう名前だったような気がするけど」

「カモの名前なんざ、いちいち覚えちゃいねぇよ」

「本当ですか！？　菊乃さん。もしかすると、私の兄かもしれません。この人に切られたんですか？」

「いえ。その人たちは素寒貧（すかんぴん）だったから」

「俺は無益（むえき）な殺生（せっしょう）はしないんでな」

「それで、その人たちはどこへ行きました？」

「人買いから逃げてきたと言ってたね。でも、柄（がら）の悪い男たち、そうだね、犬千代みたいな連中が追ってきて、二人とも連れていかれたよ」

「そうですか。たぶん鬼丸の手のものだな」

　その瞬間、犬千代の大きな目玉が、握りこぶしくらいの大きさに見開かれた。

「なに、お前、人買いの鬼丸を知っているのか？」

「ええ。私の30人の兄のうち、29人は鬼丸に売られたんです。私は、玉門島を征伐するとともに、兄たちを探すために来たんです。犬千代さんは、鬼丸をご存じなんですか？」

「ご存じなんてもんじゃないぜ。俺の妹を攫（さら）って行きやがった。俺は妹を探しに京に上（のぼ）ったんだ。都の方々を探し回って、鬼丸という人買いの仕業（しわざ）であることを掴（つか）んだんだ」

「妹さんは、取り返したんですか？」

「安女郎（やすじょろう）として売り飛ばされていた。俺がその女郎屋を探し当てた時には、すでにいなかった。首を括（くく）って果てたんだとよ」

「……。さぞかし無念だったでしょう」

「俺は草の根を分けてでも鬼丸を探し出し、息の根を止めてやる」

「ねえ、犬千代。ここはひとつ、桃三十郎さんの話に乗ってみないか？」

「え？　何で俺がそんな危ねぇ橋を渡らなけりゃいけねぇんだ？　さてはオメエ、この桃の実（み）野郎に惚れたな？」

　その瞬間、再び菊乃の張り手が犬千代の頬に飛んだ。

「お前も、いつまでも無頼漢（ぶらいかん）みたいな真似はしていられないだろ？　賊を成敗すれば、一生楽できるし、仕官の道も開けるかもしれないだろ」

「痛ぇな。俺の面の皮は薄いんだから、気安く叩くなよ。オメエは何が目的だ？　あん？　桃の実野郎と夫婦（めおと）にでもなるか？」

「あたしの目的は、カネ以外にないよ。カネをしこたま稼いで、広い屋敷に住んで、綺麗なべべ着て、旨い物食って――」

「色気より食い気かい。オメエはいい女なんだけどな。しかし、なぜか男に靡（なび）かねぇんだよな」

「あの、お話し中ですが……」

「何だよ。まだお前を許したわけじゃねぇぞ」

「はぁ。あの、お伽話の『桃太郎』には、犬、猿、雉（きじ）が桃太郎の家来になると書いてあります。私が桃太郎で、犬は犬千代さん。そうすると、まだ、猿と雉がいません」

「何だと！　俺がお前の家来だと！　俺はお前の家来なんぞになるもんか。それに、俺は犬じゃないぞ」

「犬千代！　落ち着けよ。すぐキャンキャン吠えやがって。本当に強い犬というのはな、もっとどっしり構えてるもんだ」

「知ったような口をきくなよ、菊乃！」

「まあ、まあ、二人とも落ち着いて。猿と雉、心当たりはありませんか？」

「ないこともない」

　菊乃がポロリと言葉を吐き出した。

「何です？」

「まず雉だけど、あたしの名は、本当は『雉野（きじの）』というの。でも、女らしくない名前だから、いつもは菊乃と名乗ってるのよ」

「え！　そうだったんですか！」

「俺も知らなかったな。そういえば、こいつは走るのが速いし、ちょっとした塀などは楽に飛び越えちまうな。屋根に登るのも上手い。何より、掏摸（すり）の腕は一流だ」

「掏摸は足を洗っただろ」

「頼もしいですね。それで、猿は？」

「これがねぇ、ちょっと心許（こころもと）ないんだよ」

「どこの誰だ？」

「ほら、蛸薬師堂（たこやくしどう）の並びに小さな団子屋（だんごや）があるだろ？　あそこの若旦那だよ」

「団子屋の若旦那……？　確かに、猿面冠者（さるめんかじゃ）って面（つら）してるな。だが、ありゃ、どう見ても魔物を成敗しに行くような柄（がら）じゃねぇぞ」

「いえ、会ってみなければ分かりませんよ。さっそくみんなで行ってみましょう」

「ちょっと待って！　犬千代なんか行ったら、尻に帆をかけて逃げちまうさ。あたしがここに連れてくるよ」

「お！　得意の色仕掛けだな」

「ああ、そうさ。羨ましいかい？」

「もうだいぶ夜も更けていますが、来るでしょうか？」

「まあ、あまり期待しないで待ってて」

　半時（約1時間）ほどして、菊乃が若旦那を連れてきた。

　部屋に入った若旦那は、犬千代や桃三十郎の姿を見てちょっとたじろいだが、引き返そうとはしなかった。

「まあ座れや。オメエの名は？」

　犬千代の野太い声が夜更けの部屋に響き渡った。

「猿若（さるわか）ですが。いったい何の御用ですか。付いて行けばいいことがあると、その女の人に言われてきたんですが。あなた、だいぶ酔っぱらってますね？」

「ケケケケ。やっぱり色仕掛けに釣られたな？」

「色仕掛けじゃないですよ。いい儲け話があるって言うから……」

「そうか。お前、名前は合格だぞ」

「いったい何のことですか？　そちらの色白のお方は？」

「桃三十郎と申します。あなたをお呼びしたわけは、――斯々然々（かくかくしかじか）」

「え！　あなたは桃太郎様のご舎弟（しゃてい）でらっしゃいますか！」

「あなたは、兄をご存じなんですか？！」

「直接お会いしたことはございません。しかし、我が家はちっぽけな団子屋ではありますが、代々家訓（かくん）が伝えられています。それは、我らのご先祖は『桃太郎』に出てくる知恵者（ちえしゃ）の猿である。いつの日か、桃太郎様がこの世にお姿をお示しになるだろう。その時は、身命を投げうってでもお助けせよ、というものです」

「けったいな家訓じゃな」

　犬千代が鼻で笑った。

「止めろ、犬千代。あたしの睨んだとおりだったろ？　時々店の前を通るんだが、一見すると間の抜けた猿面冠者だが、実はただものではないと感じてたんだ」

「ふーん、そうかい。で、オメエの得意技は何だ？　木登りか？」

「木登りは不得意ですね。得意技ですか。一番得意なのは、銭勘定（ぜにかんじょう）で」

「銭勘定？　こりゃダメだ」

「いえいえ。銭ほど大切なものはありません。猿若殿、怪物討伐に加わっていただけますか？」

「はい、もちろんでございます。店は母一人で切り盛り出来ましょう」

「桃三十郎さん、これで面子（メンツ）が揃いましたね。いつ出発しますか？」

「菊乃殿には何と礼を申したらよいのか分かりません。街で途方に暮れている私に、菊乃殿が声をかけて下さらなければ、私は今ごろ……」

「桃三十郎！　何を思い出してるんだよ。鼻の下が伸びてるぞ。出発するのはいいが、オメエ、一つ忘れてはおらんか？」

「腹ごしらえですかね」

「ケッ。前金だよ。黍団子で騙そうったって、そうはいかねえ。これは、お伽話じゃねぇんだ」

「そうでしたね。これは失礼しました」

　桃三十郎は、自分の図多袋（ずたぶくろ）を引き寄せ、中から巾着（きんちゃく）袋を取り出した。巾着の中の小判を全部床の上に置いた。

「ほー」

　３人の眼は、小判の山にくぎ付けになった。

「これを四等分して、分けたいと思います」

「へえ、桃の実！　オメエ見かけによらず太っ腹だな。見直したぜ。さあ、俺の分をよこせや」

「ちょっとお待ちください！」

　叫んだのは猿若だった。

「四等分して配ったのでは、軍資金が残りません。こうしましょう。巾着の中のカネを二等分します。二等分した一つを、四つに分けて前金として配分します。残りの半分は、軍資金として私が責任をもって管理します」

「てめえ、うまい事言って、持ち逃げするつもりだな？」

「滅相もない。我が家には家訓があると申したでしょ？　持ち逃げなんて、出来るわけがありません」

「猿若殿の言うことには筋が通っていますね。そうしましょう」

「あたしも承知」

「俺は不承知。と言いたいところだが、ここは引き下がってやるよ」

　カネの分配は、滞りなく進んだ。

「では、おのおの出発の準備をして、明朝明（あ）け六（む）つ（今の午前６時ごろ）、三条大橋西詰（さんじょうおうはしにしづめ）に集まって下さい。まずは、伯耆（ほうき）の国、弓ヶ浜（ゆみがはま）を目指します」

「おう！」

「あいよ」

「はい」

「菊乃、カネも入ったし、飲みに行くか！」

「あたしゃ、遠慮しとくよ」

「ちぇ！」

「桃三十郎さん、今夜泊まるところ、あるのかい？」

「いえ」

「いい宿知ってる。よかったら、一緒に行くかい？」

「あれ？　ここは菊乃さんの家ですよね」

「あんたも初心（うぶ）なお方だねぇ。ここは、犬千代が家主（やぬし）に刀（かたな）をガチャつかせて、半日だけ借りただけさ」

「そうだったんですか」

「ほら、さっきの続きも……、あるでしょ？」

「は、はい」

「じゃ、行きましょ。犬千代、あとは頼んだよ」

「あのアマ、俺には見向きもしないくせに。仕方ねえ。おい、猿！　飲みに行こうぜ」

「いえ、母が待っていますので、私はこれにて失礼させていただきます」

「どいつもこいつも……」

《続く》