🍑 桃太郎(3)ハニートラップ

 桃三十郎は、数日歩いて京の都に到着した。

 途中、都に近付くまで、ほとんど人に出会わなかった。


<おかしいな。お伽話だと、最初に犬が出てくるはずなんだが>

 桃三十郎は、まだお伽話を信じているようだった。

 都には野良犬もたくさん歩いているが、どれもただの薄汚れた犬だ。当たり前だが、「お腰の物はなんですか?」などと話しかけてきたりはしない。


 桃三十郎にとって都は初めてなので、どこへ行ったらいいのか分からない。

 仕方がないので、鴨川かもがわべりに座って、お婆さんが作ってくれた黍団子を食べた。最後の一つだった。

 お婆さんが言ったように、黍団子100個を腰にぶら下げることはできなかったので、10個だけぶら下げてきたのだった。


 日が暮れてきた。

 野宿をするのは物騒ぶっそうなので、宿屋やどやを探すことにした。金子きんすの心配はない。


 家々が立て込んでいる方に歩いて行き、宿屋を探した。

 小路こうじには人が行きっている。誰かに宿屋のある場所を聞きたいが、おくしてしまい、なかなか聞けない。

 すると、声をかけてきた者がいた。


「もし。旅のおかたどすか?」

 声の方に振り向くと、若い女がいた。

 京風の花柄の小袖に身を包んだ、細身で小柄な女だ。三十は超えているだろうが、なかなかの美形である。桃三十郎の実家やその周辺の村では、まずお目にかかることがない垢ぬけた雰囲気だ。

「は、はい。今夜泊まる場所を探しています。この辺りに、宿屋はありませんでしょうか?」

「ありますよ。よろしければご案内しますよ」

 女の明るい笑顔を見て、桃三十郎はわらにもすがるような気持ちになった。

「お、お願いします」

「ほなら、付いてきてください」


 女は小路をいくつも折れ曲がって歩きながら、桃三十郎に話しかけてくる。

「あんた、どこぞから来られましたん?」

備中びっちゅうの国のざい(田舎)からです」

「まあ! 遠おますな。えらいことやったでしょ?」

「いえ、そうでもありません」


「さ、着きましたえ」

 女は、一軒の町屋まちやの前で止まり、格子戸こうしどを開けた。

「どうぞ、お入りやす」

「ここは宿屋ですか?」

 宿屋らしい看板などはなく、普通の町屋のようだ。

「いえ、ウチの家どす」

「え? 泊めていただけるのですか?」

 桃三十郎は、安堵あんどの思いとともに、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

「はい。時々人を泊めることもありますねん」

「では、お願いします」

「すぐに洗いおけを持ってきますよって」


 足を洗うと、奥の部屋に通された。

「おぶ飲んで、一服してくだされ。ウチは千代ちよと申します。よろしうお願いします」

「私は桃三十郎です。こちらこそ、よろしくお願いします」

「桃三十郎さん。ええお名前やこと」

「ありがとうございます。お千代さんはお一人でお住まいですか?」

「はい。早うに夫と死別しました」

「そうだったんですか。失礼しました」

「いえ、気にせんといて下さい。先にお風呂にしはりますか?」

「そうですね。汗とほこりだらけですから」

「分かりました。ちびっとお待ちくださいな」

 千代は部屋から出ていった。


 桃三十郎は、お茶を飲みながらボンヤリしていた。初めての都で緊張していたが、千代の優しい接待に、心と体のりがほぐれていくような気がした。


 風呂が沸き、桃三十郎は久々に旅の垢を流した。


 すると、湯殿の戸が開いて、誰か入ってきた。

「お背中、流しましょう」

 千代の声だ。

「いえ。だ、大丈夫です」

 桃三十郎は狼狽した。

「遠慮しはらんと。さあ、お湯をかけますよ」

 木製の風呂椅子に腰かけた桃三十郎の背中を、湯が滑っていく。とても心地いい。

 千代は、畳んだ布で桃三十郎の背中を擦り始めた。

「まあ、むちゃ白い肌をしてはりますな」


 千代の手は、背中を洗い終えると、胸の方に回ってきた。

「それに、桃のようなええ香りがしますな」

 千代は小袖の裾を端折はしょっているようだ。

 桃三十郎の視界の隅に、千代の赤い襦袢じゅばんの端と真っ白なすねや小さな足先が現れてきた。千代からも、えもいわれぬ芳香が漂ってきて、桃三十郎の鼻腔びくうをくすぐった。


 桃三十郎は、自分の耳朶みみたぶがひどく熱っぽいことに気が付いた。それとともに、自身の意思とは関係なく屹立きつりつしていくものを、どうすることもできなかった。


「あ! そこはいけません」

 つつつと千代の手が下に伸びて、それを捉えた。

「まあ、こんなになって。むちゃ元気だこと」

 千代は何やら楽しそうだ。やがて、ゆっくりと手を上下に律動させる。

「だ、ダメです。お止めください」

 桃三十郎の声はかすれていた。ダメと言いつつ体が固まったようになり、逃げることもできない。


 しばらくして、桃三十郎の体にヒタヒタと寄せていたさざなみが、もうすぐ大波おおなみになる予感がした。

「いけません。このままだと……」

 ピタリと千代の手が止まった。

「夕飯の支度をしてきますな。よく温まってきてくださいな」

 千代は湯殿から出ていった。

 桃三十郎は、しばらくその場から動くことができなかった。


 夕飯では、千代は何事もなかったように給仕きゅうじをしてくれた。今夜の泊り客は、桃三十郎だけらしい。


 夕食が済むと、千代が寝具を準備してくれた。

「長旅で疲れはったでしょう? ぐっすり寝てくださいな」

 そう言って、千代は出ていった。


 部屋を暗くして布団に入っても、桃三十郎は寝付けなかった。

<湯殿でのお千代さんは、いったいどうしたのだろう?>

 

 桃三十郎が布団の中でモゾモゾしていると、部屋の入り口の障子しょうじが滑る音がした。誰かが入ってくる。

「どうしはりました? 眠れませんか?」

 千代は素早く布団の中に入ってきて、桃三十郎と対面するような体勢で横わった。

「お千代さん。これはどういうことですか?」

「いけませんか?」

 千代は肌襦袢はだじゅばん一枚だけらしく、肌のぬくもりが感じられる。

 そればかりか、千代の胸が桃三十郎の胸に押し付けられ、その弾力がじかに伝わってきた。湯殿で嗅いだ芳香が何やら隠微なものになって、桃三十郎を包み込んだ。


 すると千代の右手が下に伸びていき、湯殿の時と同様、桃三十郎はつかまってしまった。

「もうこんなになって。さいぜんの続きをしましょうか?」

「いえ、……は、はい」

「可愛ええ人どすな」

 そのとたん桃三十郎の口は、千代の口で塞がれた。

<もう、どうにでもなれ>

 桃三十郎は、すべてを千代に委ねることにした。

 千代の柔らかくて長い舌が、桃三十郎の口中こうちゅうに侵入してきた。


 桃三十郎が思わず目を閉じた時だった。

 小路に面した格子戸を、ガラリと開ける音が聞こえた。それから、ドスドスと廊下を踏み鳴らす音がして、蝋燭ろうそくの明かりが近づいてくるのが見えた。

「お千代さん、誰か来ますよ」

「……」

 返事はない。部屋は暗く、千代の顔もはっきりと見ることができない。


 ドスン!

 部屋の障子が乱暴に開けられた。

 入ってきた男は、手にした蝋燭で、部屋にあった燭台しょくだいの蝋燭にも火をけた。

 すると、千代が布団から脱兎のごとく飛び出し、襦袢の前を手で押さえながら部屋から走り去った。

 桃三十郎一人が、布団に取り残された。

 

 男は桃三十郎の前に仁王立ちになっている。身の丈六尺(180cmあまり)はあろうかという大男だ。赤ら顔に鍾馗しょうきのようなひげを生やしている。

 そいつが、鬼のように赤い目をいて桃三十郎を睥睨へいげいしている。


「よくも俺の女に手を出してくれたな。いい度胸だぜ」

「手を出すなんて……。それは違います。お千代さんの方から……」

「あ? 千代だと? 誰だそれ」

「さっきまでここにいた女の人です」

「ありゃぁ、千代なんかじゃねぇよ。菊乃きくのっていう俺の女だ」

「え! あなたの奥方だったんですか?」

「ハハ。奥方なんて上等な代物しろものじゃねぇよ。俺の情婦イロだ。そんなことはどうでもいい。この落とし前はどうつけるつもりだ? え?」

 

 割れ鐘のような男の声を聞きながら、桃三十郎の脳裏にお爺さんの顔と言葉が浮かんだ。家を出発する前、「都には悪党がたくさんいるから、旨い話には絶対に乗るな」と注意してくれたのだ。

<それなのに、俺はまんまと引っかかったんだ>

 自分がほとほと情けなかった。


「オメエ、田舎者にしちゃあ、しこたま銭を持っているそうじゃねぇか」

「そんなことはありません」

「嘘ついても無駄だぜ。オメエの持ち物は、菊乃が全部調べ上げているんだい」

「……」

「さ、どうする? カネを全部よこすなら、命だけは助けてやる。嫌というなら真っ二つに切って、三条河原さんじょうがわらにでも捨てるだけの話よ。烏が喜ぶだろうなぁ」

 

 そう言いながら、男は武骨な大刀だいとうつかに、毛だらけの手をかけた。

《続く》


【注と御礼】

 上記の文中にが出てきます。私は関東出身・在住で、京都ことばには馴染みがありません。

 困っていたところ、カクヨム会員・オカン様が親切にも相談に乗って下さいました。この場をお借りして、心から御礼申し上げます。

 なお、文章のすべてについて私が責任を負っていることは言うまでもありません。



 



 

 

 


 


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