大人のための日本昔話

🍑 桃太郎（２）過重労働からの脱出

　桃三十郎はすぐに帰宅し、お爺さんとお婆さんにお触れのことを話した。

「私は、その異形の者たちを成敗（せいばい）しにまいりたいと思います。

　お爺（じじ）様、お婆（ばば）様！　これまでの年月、私を慈（いつく）しみお育ていただき、誠に有難うございました。このご恩は、一生忘れません。たとえ、海の藻屑（もくず）と消え、あるいは、異形の者たちに屠（ほふ）られようとも、わが身は魂魄（こんぱく）となって――」

　桃三十郎は、いささか自分の言葉に酔っているようだった。

「何じゃと！」

　お爺さんとお婆さんの声は、美しくハモった。これは近年珍しいことであった。

「わしは絶対に許さんぞ」

「あたしも許しませんよ」

「桃三十郎よ。お前はわしらのたった一人の息子じゃ。その身に何かあったらどうする。わしらは悲しみのあまり、おっ死（ち）んでしまうじゃろう」

「お爺さんの言うとおりじゃ。どうか考え直しておくれ」

　しかし、これは真っ赤な嘘（うそ）だった。

　実のところは、桃三十郎という貴重な労働力を失いたくなかったのだ。

　桃三十郎は、朝から晩まで家事労働をさせられていた。

　水汲（く）みに始まり、部屋の掃除、炊事、洗濯、便所掃除、建物修繕、畑での耕作、兎の飼育、買い物、使い走り、柴刈り、薪（まき）割り、屎（し）尿汲み取り、肥溜（こえだめ）管理、お婆さんの肩揉み腰揉み、等々

　その間、お爺さんとお婆さんは、双六（すごろく）に興じたり、押し入れの中で乳繰（ちちく）り合ったりしていた。

「は！　わたしが不在のあいだ、ご不便をおかけすることについては、重々（じゅうじゅう）承知しており、大変心苦しく思っております。しかしながら、不逞（ふてい）の輩（やから）を平らげることは、国の安寧（あんねい）を保つことにも繋がり――」

　これも真っ赤な嘘だった。

　桃三十郎は、一刻も早く過重労働から脱したかったのだ。そうでもしなければ、身が持たないと思った。

「それに、成敗に成功すれば、恩賞は思いのまま、そのうえ然るべき官職を与えられるとのことでございます。また、異形の者たちの根城（ねじろ）である玉門島には、金銀財宝が唸（うな）っていると聞きます。成功の暁（あかつき）には、お爺様とお婆様は一生安楽に、贅沢三昧（ぜいたくざんまい）ができるのでございます」

「ほー」

　お爺さんとお婆さんは、顔を見合せたて目くばせした。

「お前がそこまで申すなら、よほどの覚悟があるのじゃろう。行くことを許す。よいか？　お婆さん」

「もちろんですとも。善は急げというから、すぐに支度しなさい」

「有難き幸せにござりまする」

　桃三十郎は頭を下げた。

「お前が行く前に、話しておかねばならないことがある」

　立ち上がろうとする桃三十郎を制して、お爺さんが真剣な顔になった。

「実はな、お前はわしらの本当の子ではないのじゃ」

「はあ、うすうすは感じておりました。歳の勘定がまったく合いませんので」

「そうか。それでな。驚くでないぞ。お前は桃から生まれたのじゃ」

「はあ、それもうすうす感じておりました」

「そうか。お前は利発（りはつ）だからな。じゃが、それを何で知ったのじゃ？」

「お婆様が、よくお伽（とぎ）話をしてくださいました。『桃太郎』というお伽話です。その時には必ず、お前は桃太郎じゃ、とおっしゃいましたゆえ」

「何だ婆さん、そんなこと言っておったのか？」

「かもしれませんな。昔のことゆえ、よく覚えておりませんな」

「大事なのは、この先じゃ」

　お爺さんは一段と真剣な顔になった。

「実はな、お前には大勢の兄がおったのじゃ」

「それも、うすうす感じておりました。自分の名前から考えて、29人の兄がいるのではないかと……」

「そうか。それでじゃ。これはここだけの話じゃが、わしは、最初のややこを誤って殺めてしもうたのじゃ。今でも、悔やんでも悔やみきれん。裏山に葬って、それ以来一日も欠かさず、お婆さんとお参りしておるんじゃ」

「そうでしたか……」

「だからの。お前は、本当は『桃三十一郎（ももさんじゅういちろう）』なんじゃよ」

　お婆さんが、ちょっと遠くを見るような目をして説明した。

「なんだか、ややこしいですね。それで、他の29人の兄様（あにさま）は今どこにおられます？」

「実はな、これもここだけの話じゃが……」

「隠し事が多いですね」

「そうじゃ。誰にでも、たとえ天子（てんし）様じゃとて、隠し事の一つや二つあるじゃろうよ。それでじゃ。29人の兄はみな……、京から来たという人買い・鬼丸に売ったのじゃ」

「酷（ひど）い親と思うじゃろ？　じゃが、その頃あたしらはとても貧しく、そうするよりほかなかったんじゃ。そうでもしなけりゃ、みな飢え死じゃよ」

「いえいえ、お爺様お婆様には何の咎（とが）もございません。玉門島に行くまでの道すがら、兄たちの居場所について探ってまいります」

「頼みましたぞえ」

「ところで、お前は一人で行くのか？　お前は武芸に励んだわけでもないし、喧嘩にも滅法弱いのぅ。そんなんで、異形の者たちに勝てるというのか？」

「はい。そこが一番の悩みどころでして」

「そこが一番肝心（かんじん）なところじゃろうが。考えておらんかったか？」

「少しは考えております。お婆様が話してくださったお伽話によりますと、桃太郎は黍団子（きびだんご）をあげるのと引き換えに、犬、猿、雉（きじ）の3匹を家来（けらい）にしました。ですから、私も黍団子を持って行きたいと思います。まあ、100個くらいあれば足るでしょう」

「フフフ。しっかり者とはいえ、あたしたちから見れば、お前はまだまだ子供じゃな」

　お婆さんは苦笑しながら斜めに首をひねった。

「どこがいけませぬか？」

「100個の黍団子を、どうやって腰にぶら下げるのじゃ？」

「はあ、考えておりませんでした」

「お婆さん、そんなことはどうでもいいのじゃ」

「なんでじゃ？　お爺さん」

「犬、猿、雉というのは、あくまでお伽話の中のことじゃ。獣（けもの）や鳥が、化け物相手に力になるわけがなかろう」

「お爺さんの言うことにも、一理ありますな」

「獣や鳥じゃなくて、屈強で忠実そうな男を見つけて家来にするんじゃ。それから、黍団子じゃダメじゃぞ」

「そうですか、お爺さん。実は、こんなこともあろうかと考えて、黍を一袋買ってあるんじゃ」

「そんなもんで、恐ろしい化け物が住むという島に行く奴がいるか？」

「いないじゃろうな」

「だろう？　必要なのは、カネじゃよ。ちょっと待っておれ」

　お爺さんは、床（ゆか）の羽目板（はめいた）を外し、床下から小さな木箱を取り出した。

「ここに小判が入っておる。これを軍資金にしなさい」

　桃三十郎は小箱の蓋（ふた）を開け、中から巾着（きんちゃく）袋を取り出した。その中身を見て驚いた。

「え！　このような大金（たいきん）、よろしいんですか？」

「いいとも、どうせお前の兄たちを売って得たカネじゃ。お前が使うのが一番いいんじゃ。なあ、お婆さん」

「そうですとも。その代わりと言っては何じゃが、成敗が成功していただく恩賞や、戦利品の財宝は山分けじゃぞ」

「おいおい、お婆さんは欲張り過ぎじゃ」

「ハハハハ、お二人には、一生遊んで暮らせるだけのものを持ち帰りますよ」

「ところで、まず、代官様にご挨拶しようと考えております」

「何、代官様じゃと？　それは止めておけ」

「なぜでございますか」

「代官様はな、衆道（しゅどう）（男色）狂いで評判のお方じゃ。お前などが行ったら、それこそ飛んで火にいる夏の虫じゃ。それより、いったん京に上（のぼ）り、家来となる者を探すのじゃ」

「は！」

　すぐに支度を整えた桃三十郎は、勇んで京に向かった。

《続く》