禁忌 1
閻魔大王は鏡子を抱えサクサクと地獄の土を踏む。閻魔大王のわずか後ろに司命、司録がついていく。
地獄にいる数多の鬼たちが閻魔大王たちの姿を見てサッと道を開けて列をなした。
そんな中、閻魔大王の腕の中で鏡子の心臓はバクバクと音を立てていた。閻魔大王にお姫様抱っこされているというのもあるが、これから自身を間接的に傷つけようとした相手に会うというのが恐ろしかった。
今まで緑の鬼とか泰山王とか。いろいろな人に刃物を向けられてきて。そういう恐怖心に慣れて来たと思っていたけれど。そうでもなかったのかも。
そんな怯えている鏡子に気付き、閻魔大王は「大丈夫か」と声をかける。鏡子はそっと頷いてから閻魔大王の腕に触れた。
「大丈夫で、す。もう覚悟は決めていますから」
そう。もう覚悟は決まっている。地獄で生きていく覚悟。そして――。閻魔大王の妻となる覚悟……。
鏡子はチラリと閻魔大王の顔を盗み見る。と、目が合った。さっきまでの恐怖はどこへやら、一気に頬が赤く染まる。
「どうした!? やはり具合が!?」
「いえ。具合も大丈夫ですから!!!」
や、やっぱりっ。いきなり妻、は無理だけど。
鏡子は深呼吸をして自身を落ち着かせる。
落ち着け、落ち着け。裁判官に必要な要素は冷静さ、よ。
鏡子は閻魔大王から周囲に視線を移す。やけに大きな木が目に入った。大木なのに生気がなく枯れ果ててしまっている。枯れた枝にいくつもの服が引っかかっていた。
大木の下に異様な雰囲気を醸し出した老人二人が立っている。
「あそこにいるのが懸衣爺と奪衣婆だ」
その閻魔大王の言葉に司命と司録が前に出る。
「鏡子ちゃんはそのまま大王サンのところにいてね」
「う、うん。気をつけてね」
鏡子はハラハラとしながら司命と司録の背中を見つめる。閻魔大王は鏡子を抱える腕に少し力を込めて、司命と司録の少し後をついていった。
一番先に司録が懸衣爺と奪衣婆に近づいた。
「もし、少しお話をよろしいですか」
司録は柔らかな笑みを二人に浮かべている。だがそれがどこか威圧感を持っている。懸衣爺と奪衣婆は司録の後ろに閻魔大王と鏡子がいるのを見つけて、わずかに眉を寄せた。
お互いに一言も話さないまま時間が過ぎていく。先に痺れを切らしたのは司命だった。司命はニヤリと口元を歪ませながら、懸衣爺と奪衣婆に近づく。
「もう何の話をしに来たか分かってるんだろ。洗いざらい喋った方がいいんじゃな~い?」
「洗いざらい、ね」
懸衣爺と奪衣婆は追いつめられている素振りを微塵もみせず、むしろ閻魔大王と鏡子に視線を向けて嫌な笑みを浮かべた。
閻魔大王はそんな懸衣爺と奪衣婆に見せつける様に人頭杖を取り出した。
「このままだとお前たちの体が灰になるがそれでもいいのか」
すると懸衣爺は「閻魔大王こそいいのかい」と閻魔大王を挑発するように嗤う。
「本当に洗いざらい話していいのかい。閻魔大王」
「…………」
懸衣爺に問いかけられた閻魔大王はムスッとした顔のまま言葉を発する事は無い。
鏡子はおそるおそる閻魔大王を見上げる。閻魔大王は暗い目をしたまま真正面を見ていた。その異様な光景に鏡子は背筋がゾクゾクとして、鳥肌が立つ。
閻魔大王……一体どうしたんだろう……。それにこの異様な空気感は何? 空気がピリピリ、というよりも淀んでいるというか。
懸衣爺は「あなたは真実を知りたくないのかい」と鏡子を見た。
「真実、って何ですか」
「あなたがこの地獄に招かれた本当の理由だよ」
私が地獄に来たのはトラックにひかれて。裁判官を目指していたから、その知識を地獄に生かしてほしいからで。――というか招かれたって何だろう。
鏡子は訳が分からないと眉を寄せる。だがそれは司命と司録も同じだった。この場で『真実』の意味が分かっているのは懸衣爺と奪衣婆、そして閻魔大王のみ。
「あなたは本来、地獄に来るべき人間じゃなかった。だから地獄から追い出そうとしただけさ」
「それってどういう……」
「本来なら人道ぐらいには行けたはずなのに可哀そうに」
それまで懸衣爺の隣にいた奪衣婆は閻魔大王を恐れることなくズカズカとこちらに歩いてきた。そして閻魔大王の腕に抱かれた鏡子の頬にそっと手を這わせる。
「触れるなっ!!!」
閻魔大王が奪衣婆の手を荒々しく払いのける。反動で奪衣婆は地に倒れた。だが奪衣婆は真っすぐに鏡子を見る。
「あなた、閻魔大王に騙されているわ」
「っ!?」
普通なら閻魔大王を疑うなんてことしない。けれども。
鏡子は閻魔大王の顔を見る。相変わらず暗い目をしている。
この顔をみていると不安になる。
鏡子は意を決して「閻魔大王」と話しかける。
「真実って何ですか」
そう問いかけるとやっと閻魔大王は鏡子を見た。閻魔大王はどこか寂し気に鏡子を見つめる。やがて「そうだな」と一人頷いた。
「他人から明かされるくらいなら自分から言おう」
そう言って閻魔大王は鏡子を地面に優しく降ろした。
「閻魔大王?」
鏡子が問いかけると閻魔大王は深く頭を下げた。
「懸衣爺と奪衣婆が言っていた通りだ。……余は……妻を騙していた」
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