第7話


 高瀬がお気に入りの秘密基地に、住人が一人増えた。

 羽鳥と一緒に住むようになっても、元々使っていない二階の部屋なので、高瀬の生活にこれといった変化や不都合はなかった。

 羽鳥の持ってきた私物は、ボストンバッグ一個と、いつも使っているカメラバッグだけだったし、写真を撮る以外に楽器を演奏するような趣味もないらしく、毎日聞こえる羽鳥の生活音なんて、シャッター音程度のものだった。

 最初は、そのあまりの静かさに、夏の暑さで死んでいるんじゃないかと心配になって、毎日夜に部屋を覗いていたが、高瀬が二階に行けば、いつも羽鳥はベッドの真横に扇風機を置いて寝ていて「一緒に寝たいのかよ?」と恨めしげに高瀬の顔を見上げてきた。そんな羽鳥に高瀬は「生存確認」とだけいって退散して、一階から、エアコンの冷気を扇風機でリレーしてあげたけど、はたして、この穴だらけのボロ家で効いていたのかどうか。

 そうやって羽鳥が扇風機でなんとか暑さをしのいでいる間に、夏も過ぎ去っていった。

 家にいる間、そんな軽口を言い合えるような話し相手が出来たことは、ある意味で変化といえば変化かもしれない。

 羽鳥の方も、最初は昼夜逆転の不規則な生活をしていたが、高瀬が紹介した仕事先に行くようになってからは、ちゃんと朝起きて仕事に行き、夜寝る生活に変わっていった。

 羽鳥と休日が重なった日。朝から高瀬が一階の作業スペースで電動ノコギリを使い床に穴を開けていたところ、けたたましい音が目覚まし時計にでもなったのか、羽鳥が二階から降りてきた。

 時間は朝の九時半。

 二人で決めた、九時までは静かにするという約束は守っていた。

「何、ついに、幽霊屋敷に嫌気さして家解体すんの?」

「おはよ、違うって」

 電動ノコギリを止めて顔を上げると、めずらしく、朝なのにTシャツとジャージの部屋着じゃなかった。

 撮影にでも出かけるのか、羽鳥は、いつも使っているカメラバッグも一緒に持って降りてきている。

 上が高瀬の服で、下はいつもの羽鳥自前のデニム。

 着たかったら、高瀬の服を好きに着てもいいとはいったけれど、買ったばっかりの服だ。ちょっといい値段で、ブランド物の細身の灰色のポロシャツ。

 高瀬が着るより羽鳥の方がスタイルがいいので、はるかに、よく似合っていた。

 ほとんどスーツで仕事をする高瀬と違い、私服で仕事に行く羽鳥が困ると思って、気を利かせたのだが、気づくと、羽鳥は、いつも高瀬の持ってる「いいやつ」ばっかり探し出して着ている。出会った当初は、適当な服を着ていたが、働きに行くとなったら、伸びきった髪は、ちゃんと美容院で整えてきたし、ファッションセンスだって悪くないどころか、高瀬よりも流行りをよく知ってる。

 高瀬は休日、外に遊びに行ったりしないから、新しい服を買っても自動的に羽鳥の服になっていた。

 ちなみに高瀬は現在よれよれのロングTシャツと、ホームセンターで買った作業着のズボンを着ていた。洗っても付いたペンキが取れなくなっているが、動きやすくて気に入っていて、最近、休日の制服みたいになっている。

「羽鳥、服、似合ってんな」

「あ、かっこいい? 惚れる?」

「かっこいいと思うよ」

「否定しろよ、恥ずかしいだろ」

「じゃあ言うなよ。俺は、嘘はつかないよ? 世間一般の評価。審美眼は確かだと思ってるし、仕事だからね」

「はー、マジで高瀬とは、漫才出来ないな。まぁいいけどさ。で、何、解体じゃないなら、修理?」

「床に水槽入れる穴あけようと思って」

「ふーん。水槽」

 もう休日の恒例行事である騒音に慣れてきたのか、羽鳥は文句を言わなかった。朝食は普段から各々適当にやるので、羽鳥は設計図を広げて床で作業をしている高瀬を横目に、冷蔵庫から牛乳を取り出しコップに注ぐと、トースターに食パンをセットした。

「思い切ってやってるけど、大丈夫なのか? ただでさえ、この家穴だらけなのに」

「まぁ、冬は、今よりさらに隙間風入ってきて寒いかもな」

「高瀬、ほんと住み心地とか考えないよな、――別に居候の身だし、俺は、とやかくいう気ないけど」

 羽鳥は、そう揶揄うように言って、焼けたトーストを口にくわえ高瀬の隣に立った。行儀が悪い。でも食卓用の大きいテーブルは、現在、高瀬が製作中なので立って食べるしかない。

 元々、高瀬にとって寝るだけの家だったので、食卓用テーブルがないのだ。いつも使ってる小さなちゃぶ台は、いま高瀬が作業中なので部屋の端に追いやっている。

 ――いつもの休日の風景だった。

「この前、水族館のニュース見た時さ、床がガラスになってるやつ見て、この家でも出来ないかなぁって。西明寺さんと喋ってたら、使ってない大きい水槽くれたんだよ」

 西明寺は裏の寺の名前で、大家でもあるので、時々、高瀬が幽霊屋敷でちゃんと生きているかどうか世間話ついでに確認に来てくれる。本気か冗談か「今日も崩れていなくて安心したよ」と住職は、会うたびに笑って言う。

「水族館は大きく出たな、水周りって難しいんじゃなかったのか」

「まぁね。アクアリウムが趣味で世界大会とか出している人が、知り合いにいてさ、設計図書いてくれたんだよ。まぁ、失敗しても、その時はその時で床の穴閉じればいいし。……うまくいったら、金魚飼おうかな。本当は、グッピーが良かったんだけど、温度管理が大変らしくて」

「高瀬の人脈って、ホント意味不明だよな。俺の仕事の紹介とかもだけど、カメラマンの細田さんとか、普通、無名の俺が会えるような人じゃないんだからな。巨匠だぞ? その時代の有名なアイドルなら絶対その人が写真集撮ってるってくらい」

「細田さんは、裏の住職の人脈。寺ネットワークって実は、結構すごい人に繋がってるんだよね。仕事は、俺が口きいたところで、先方が仕事ぶり見て、判断したんだから羽鳥の実力だろ、よかったじゃん気に入ってもらえて、俺も羽鳥が世間に認められて嬉しいよ」

「……ホント、お前、人たらしだよな」

 羽鳥は呆れた声でそう言うと、残りの食パンを口に入れコップを洗いに流し台へ行った。

「羽鳥は今日どっか出かけるのか?」

「その、細田さんが、撮影のアシスタントに来いってさ。人使い荒いんだよ」

「嫌なら断ればいいのに、別に俺の顔立てる必要もないし」

「嫌じゃないから、困るんだよ! あー、毎日真面目に仕事し過ぎて、このままだと太陽の光で浄化されそう」

 結構なことだと思う。別に聖人君子になれとまでは思わないが、元々、悪い人にもなりきれない男なのだから、変に毒っ気など出さずに本来の自分のままに生きればいいのにと高瀬は思う。

 素直じゃないな、とも。

「あ、そうだ。今度、羽鳥の仕事場に行くから」

「なんでだよ、授業参観されるような年じゃないけど、なんか俺の仕事でクレームでも上がった?」

「別に、いい子紹介してくれてありがとうって感謝はされたけど。先方に今度、覗きに来てって言われたから。あと、うちのアイドルが写真集作るから、その仕事のついで」

「ふぅん。ま、いい子にしてるから、安心してよ」

「そう言われると、ますます授業参観に行く親の気分になる」

 言いながら、手元の設計図から顔を上げると、羽鳥は、いつのまにか高瀬にカメラを向けていた。

 高瀬の写真を撮らせることが、羽鳥がここに住む条件で、好きにしていいとは言ったが、仕事から疲れて帰ってきてソファーに仰向けで寝ている時とか、今のように作業中に設計図とにらめっこしている時に、シャッターを切られると、いたたまれない。どんな顔をすればいいのか、わからないから。

「また、俺なんか撮ってるし、別にいいんだけど。なんか、撮りまーすとか、ハイチーズとか言えよ。毎回ふいうちだし絶対変顔してるだろ」

「女子高生のスナップ写真じゃねーんだよ。

……別に。普通のお前の顔だよ。昔と変わらないなーって、思いながら撮ってる」

「それの何が面白いんだか」

「言っただろ、高瀬の写真撮るのは、俺の写真のリハビリみたいなもんなんだよ」

「地味顔だから、写真の練習台にちょうどいいって?」

「違うんだよねー。ちーちゃん」

 また高瀬の昔のあだ名で呼ばれた。

「それ、羽鳥さ、ずっと言おうと思ってたんだけど。なんで、俺のこと「ちーちゃん」って呼ぶんだよ」

「何でって、昔、高瀬が、部活のメンバーに呼ばれてるのが面白かったから」

「はぁ? 面白い?」

 高瀬は眉間にシワを寄せた。

「俺も、呼んでみたかったんだよね。ちーって、お前、そう呼ばれたら、にっこにこ笑って部員のとこ走っていってさー、そんなに、犬っころみたいに呼ばれるのが好きだったのか?」

「んなわけねーだろ、めちゃくちゃ嫌だったんだよ!」

「え、そうなの? 好きなのかと思ってた」

「俺、身長一番低かったから、嫌だったんだよ。毎日ちびちび言われてるみたいで」

「はぁ、だったら、もっと呼ばれた時、不機嫌そうな顔して、うるせぇ黙れくらい言えよな。俺、ずっと高瀬が喜んでるのかと思ってたし」

「あのなぁ、演劇部なんて、半分運動部みたいなもんなの! 上下関係厳しいし。そんな呼ばれ方くらいでキレて部の雰囲気悪く出来るかよ」

 いうまでもなく先輩が卒業して自分が上級生になっても、あだ名は後輩に継承されてしまい、結局卒業まで演劇部では「ちー」とか「ちー先輩」とあだ名で呼ばれ続けた。千影なんだから、ちかじゃダメだったのかと、ずっと思っていた。

 遅れてきた成長期で、身長が伸びたから良かったものの、あのままチビだったら、きっと卒業前に一回くらいは、泣いていた気がする。

「……お前って、ほんと、周りのことばっかりなんだな。その割に、変なとこで無関心だし、高瀬の、その基準は何なんだ?」

 自分でもわからないのだから、羽鳥にわかるとも思えなかった。

 推しが幸せになってくれるなら、幸せだと思う。これが、高瀬の行動原理だけど、高瀬のことを変なところで「無関心」だというのは、今のところ羽鳥だけの気がする。親にだって言われたことがない。

「――高校の時さ、文化祭で、俺が演劇部の写真撮りに行った時も、高瀬は俺の横ついて回って、あれこれ世話焼こうとしてたし」

「羽鳥には、邪魔だからどっか行けって、怒られたけどな、懐かしい」

 そういって羽鳥の口から出た高校生の時の話に、自然と笑顔になる。

「そりゃ、部員の写真撮りにきて、部員が隣にいたら意味ねぇじゃん。撮れない」

「あー、確かに、言われてみたら、そうか」

 高瀬としては、せっかく推しが自分のテリトリーにきて、写真を撮っている姿が見られると思ったのに、邪険に追い払われ「神様の羽鳥」が写真を撮る姿を見られなくて残念に感じていた。

「高瀬」

「ん?」

 床に膝をついた羽鳥に、真正面から、もう一度、シャッターを切られる。

「人の気持ちってさ、写真で撮れるんだよ」

 羽鳥はどこか遠くを見ていた。それが抑揚のない声だったから少し驚いた。

「――ふぅん、じゃ、俺って、今どんな気持ちだと思う?」

 なんの気無しに聞いたのに、羽鳥は撮ったばかりの写真をカメラの小さなディスプレイで見ながら深く考え込んでいた。

「それを、もう一度撮りたいんだよね」

 羽鳥なら、きっと撮れるだろうなと思った。

 もし、高瀬の写真を撮ることが、羽鳥の写真のリハビリなら、スランプみたいなもので、昔は、表現出来て、今は出来なくなったことがあるのだろう。

 高瀬を撮ることで、それが出来るようになるなら協力したいと思ったし、羽鳥の世界をもっと見せて欲しいと思った。

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