第10話無事帰宅する月曜日
週明けの月曜日。
職場に向うと頼みの綱の根室美夢の元を訪れた。
「硯が消えたんだ。何か知らないか?」
唐突に質問をすると美夢は険しい顔つきで僕を睨んだ。
「だからあれだけ言ったじゃないですか…。ちゃんと話を聞いてあげてくださいって」
「そう言われても…休日に話を聞くつもりだったんだ。それなのに金曜日に姿を消して…」
「そうじゃないですよ。もっと前からサインがあったんじゃないですか?」
「そう言われると…」
「須藤さんは見てみぬふりをしていたんじゃないですか?家に押しかけてきた硯を疎ましく思っていたとか?」
「そんなことは…」
そこまで口に出してみて僕は自分の心を内省してみる。
突然押しかけてきて家事もせずにただ入り浸るだけ…。
思考に引っかかりを覚えてもう一度詳しく過去を振り返る。
家事はされていた。
部屋はいつもキレイに整頓されており、帰宅すれば洗濯物はキレイに出来上がっていた。
もしかしたら料理もしていたのかもしれない。
僕は外食をして帰ることが多く硯と食事をしたのは初日の出前のピザだけだ。
硯は待っていたのかもしれない。
仕事を終えて帰宅してきた僕に料理を振る舞って話を聞いてもらおうとチャンスを伺っていたのかもしれない。
それなのに僕は…。
自分が嫌になると一度、頭を掻きむしる。
「申し訳ない。もしも硯に会ったら僕が謝罪をしたがっていると伝えて欲しい。もしも何処かで会ったら帰ってくるように伝えて欲しい。自分の問題で手一杯になってしまっていたと伝えて欲しい…」
僕の言葉を耳にした美夢はスマホを操作していた。
フリック入力で素早く文章を打つとメッセージを送っているようだった。
「帰るように伝えました。実は金曜日から私の家に居たんですよ…。須藤さんの連絡先は知らなかったので伝えられませんでした。そこは私も申し訳ありません。あと、大変おモテになるようですが…硯も非常に良い物件ですよ。オススメです」
ホッと一安心するのだが何故か硯をオススメされたことは理解が出来なかった。
分からなかったが硯の無事を知れて非常に安心する。
感謝の言葉を口にするとデスクに向かった。
そのまま母親にメッセージを送ると硯の無事を知らせた。
母親はわかっていたらしく簡単にスタンプで返事をしてきて僕は軽く面食らう。
始業時間から終業時間まであっという間に時間が過ぎ去っていくと定時で退社する。
帰り道に近所のケーキ屋で二つのケーキを買うと大人しく帰宅する。
恐る恐る家のドアを開けると…。
キッチンから何か温かな食事の匂いがしてくる。
ドアを締めて鍵をするとリビングに向う。
そこには硯が立っており僕はホッと胸を撫で下ろした。
「おかえり」
硯は僕の瞳を力強く射抜くとしっかりとその言葉を口にした。
「ただいま。そんで…おかえり」
「うん。ただいま」
挨拶を交わすとスーツのジャケットを脱いでハンガーに掛ける。
同じようにネクタイを外すとハンガーに掛けてソファに腰掛ける。
「一応聞くんだけど…。もしかして家に来てから毎日料理作って待っていてくれた?」
「当然なんだけど」
「そうか…すまない。それに他の家事もありがとう」
「いや、居候させてもらうんだから当然って意味だよ」
「そうか…それでも悪かった。ありがとう」
しっかりと感謝を告げると硯は料理を終えて皿をテーブルに運んでいた。
「これ。近所のケーキ屋で買ってきたんだ。後で食べよう」
そこまで言って冷蔵庫にケーキをしまうと硯は、
「丁度良かった」
などと言って配膳を終える。
「話聞かせてくれ。何があった?」
料理を運び終えた硯が椅子に座った頃、僕は彼女に問いかける。
「まずは食事にしよう。話は後が良いな」
それに頷くと硯の作ったビーフシチューとパンを食べながらワインを飲んで過ごした。
食事を終えて食器洗いを済ませると硯は食後のコーヒーを用意していた。
一服してこようかとポケットの中を探ろうとするのだが以前、硯に言われたことを思い出す。
(タバコ嫌いだったな)
それを思い出して大人しくソファに腰掛けていると硯はテーブルの上にコーヒーカップとケーキの乗った皿を二つ置いた。
一息付くと硯は話を始める。
「無断欠勤したのは悪いと思ってる。でももう職場には行かない」
「何か嫌なことがあったのか?」
「そうじゃないんだけど…」
「だけど?」
話の続きを待っていると硯は正直な気持ちを口に出した。
「他にやりたいことがあって…」
「やりたいこと?」
「うん。その前にコーヒー飲んでみたら?」
その言葉を受けて素直にコーヒーを一口飲む。
「どう?」
「普通に美味しいけど?」
「そう…」
「ん?なんだよ…」
硯は少しだけ残念そうな表情を浮かべると肩を落とす。
「美味しかったらダメだったのか?」
「そうじゃなくて。普通なのが悔しいだけ。それが私のしたいこと」
「コーヒーを淹れるのが?」
「まぁ…喫茶店開きたいの…」
それを耳にして何度か頷いた後にもう一度コーヒーカップを口に運ぶ。
改めて飲んでみるとたしかに美味しい。
お店で飲むものと遜色ない味や香りなのを失念していた。
家庭でそれが出てくるほうがおかしいはずなのに。
「でも。開きたいって言って開けるものじゃないだろ?資格とか。それこそお金も」
僕の言葉を耳にした硯は肩を落として頷く。
だが、一瞬で表情を明るくさせると思いつきの提案をしてくる。
「わかった!資格の講習とか勉強とかに集中したいから仕事には行かないけれど。ここの家事はする!だからこの先もここで暮らしていい?」
「まぁ…もう別に良いけど。でもお金の問題は?」
「家事するから日給出して!私をここで雇うみたいな?」
「僕が働いたお金で喫茶店を開くのか?硯がそれで良いなら構わないが…」
「え?良いの!?じゃあ本当にお願いしたい!やっぱりやりたくない仕事はできない!」
それに何度か頷くと仕方なく了承する。
「じゃあしっかりと会社は辞めてくるんだな。社会人になって無断欠勤はダメだぞ。迷惑なんて掛かってないようなものかも知れないけれど常識的にな。明日にでも謝罪とともに退職願を出してくるんだな」
硯はそれに頷くと黙ってコーヒーを飲んでいた。
「それで。直樹はこれからどうするの?」
「どうするって?」
「んん〜?家には義妹がずっといるわけでしょ?言い寄ってくる女性とか家に招くことも出来ないよ?」
それに頷くと急に現実の自分の問題に直面せざるを得なかった。
「まぁ…。どうにかするよ」
「どうにか?今って恋人居るの?」
「いないけど」
「ふぅ〜ん。いい感じの人はいるんだ」
「まぁ…」
ぎこちない会話が続いていくと硯は何気なしに言葉を残す。
「私にすれば?喫茶店を開くのにも出資してもらうことになるんだし…私も恩を感じざるを得ないからね…直樹に貰われてもいいよ」
「何言ってんだ…僕らは兄妹だろ」
「血は繋がってないから」
「そうだけど…」
「考えておいて」
硯はそこまで言うとコーヒーカップをテーブルの上に置いたまま自室に戻っていく。
一つ問題が解決した所に新たな問題が浮上する。
色恋話に硯まで加わってしまう。
誰を選ぶのが自分にとって最善なのか頭を悩ませることになるのだが…。
本日は硯が無事に帰ってきたことだけにほっと胸撫で下ろすと次の日を迎えるのであった。
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