第24話 嫌われたのか
名前もクラスも知らない女の子の正体が木陰だと分かり、変装した理由も一心に告白した理由も判明した。
「じゃあ、旭のことは日野に任せるとして私は帰ろうかな。ソシャゲのイベントもやりたいし」
「おう。旭には誰も指一本触れさせないから安心して帰っていいぞ」
そうして、木陰を送り出し、一心は今度こそ一人で夜鶴を待つ。
しかし、夜鶴は一向に現れない。いくら足を痛めていて、歩くのに時間が掛かると言っても木陰とも十分ほど話していたし、一心のクラスよりも夜鶴のクラスの方が早く終礼を終えていた。
なのに、夜鶴は未だに図書室に来ない。いくらなんでも遅すぎやしないだろうか、と一心は不安になった。
「まさか、旭の身に何かあったんじゃ……」
階段で躓いて怪我でもしたのだろうか。
それとも、もっと重傷な怪我に繋がる何かがあったのだろうか。
夜鶴が保健室のベッドに運ばれている姿を想像してしまい、一心の顔は青ざめる。いてもたってもいられなくなり、一心は慌てて職員室を目指そうとしたその瞬間、夜鶴が姿を現した。
「旭っ」
一心は急いで夜鶴の元に駆け寄る。
夜鶴の見た目に異変はない。けれど、一心は木陰に言われたばかりだ。外見だけじゃなく、内面も見てあげてと。
ジイーッと心が透けて見えやしないのに一心が夜鶴を凝視していれば、夜鶴は不思議そうに首を傾げた。
「……そんなに見て、なに?」
「ああ、いや。随分と遅かったようだから、旭に何かあったのかと思って……怪我とかしてない?」
「……ああ、待たせちゃった? ごねんね」
「ううん、旭を待つのに時間なんて気にしてないからいくらでもゆっくりでいいんだよ。でも、今は状況が状況だから変な考えが頭に浮かんじゃって」
「……そう。でも、別に何ともないから」
ガチャガチャと図書室の扉を解錠して、夜鶴は中に入る。そのまま、いつもの定位置に腰を下ろしカバンから本を取り出すとそのまま読み始めた。
「旭。何読んでるの?」
「……地球人が異世界にスライムとして転生する物語」
「へえ~面白いの?」
「……面白いよ」
「そっか。俺も読んでみようかなあ。旭の読んでる物語を俺も知りたいし」
「……好きにすれば」
夜鶴は顔を上げることもないまま、本に視線を落としたままだ。
一心はよろよろとふらつきながら昨日も座った椅子に腰をおろし、机に肘をつけた手で額を覆った。
――え、なんか、旭に元気なくない?
夜鶴の様子がさっきからずっと変だった。いつにもまして元気がないというか、暗いというか、落ち込んでいるように見えるというか。
けれど、また外見しか見てなくて勝手に一心が勘違いしているだけの可能性だってある。
それでも、夜鶴が自分の読んでいる本について熱く語らないのは明らかに変だった。
チラッと一心は夜鶴に視線を向ける。
黙々とページを捲る夜鶴は昨日も一心が一目惚れした時と変わらない。だというのに、一心はその時のように夜鶴に視線が惹き付けられない。
その理由ははっきりとしていた。
夜鶴が楽しそうではないのだ。頭に内容が入っていないのではないのかと思ってしまうほど、夜鶴は真顔で本を読んでいる。
集中しているのだろう、と初めて夜鶴を見た人は思うかもしれない。
でも、一心は知っている。夜鶴が本を読む時はとても楽しそうにしていることを。まるで、物語の世界に没入しているかのように紅色の瞳は輝き、口許はニヤニヤと緩ませている。外見ばかりを見てきた一心だからこそ知っている読書中の夜鶴だ。
心の底から楽しんでいる夜鶴だからこそ、一心の瞳にはとても魅力的に映ったのかもしれない。
そんな夜鶴が今はぼーっとしたまま、ページを捲っている。
絶対に何かあったはずだ、と一心は確信した。
――ううー。でも、どうやってそれを知ればいいんだ。
一心は行き場のない思考巡りにイライラする心を落ち着かせるために髪をぐしゃぐしゃにして、頭を抱えた。
夜鶴に聞いたってまたはぐらかされてしまうだろう。
それに、夜鶴のことを勝手に知ると決めたばかりで本人に直接聞くようなことはしたくない。
かといって、夜鶴と常に行動を共にしていないのだからどう知ればいいのか一心には方法が思い付かない。
結局、唸ることしか出来ずに図書室を閉める時間を迎えてしまった。今日も図書室を利用する生徒はいなかった。
「じゃあ、またね」
施錠した夜鶴はこれから職員室まで鍵を返しに行く。
一心にはこの後、バイトに行かなければならないという予定がある。何も予定がなければ一緒に職員室まで行って、途中までは下校も共にする。
しかし、今日はそういう訳にはいかない。
働いて金銭を稼ぐには、それ相応の社会に適したルールを守らなければならない。
時間は遅れずに出勤する。
接客業ならお客様に不満を抱かせない。
そんな当たり前のルールを守ってこそ、賃金という報酬を得る権利がある。
既に一心は急遽昨日を休みにしてもらい、今日は時間を遅らせてもらっている。店長は快く承諾してくれたがそれは一心の代わりに誰かに働いてもらう、という職場仲間に迷惑をかける行為だ。
今日は必ず、時間通りに出勤しなければならない。店長からは今日も休んでいい、と言われていても職務怠慢にはなりたくない。
だから、ここで夜鶴に手を振って別れることが一心の取るべき選択ではあるが、到底出来そうになかった。
もし、遅れて解雇されることになったとしても構わない。一心は今、それほどまでに夜鶴を一人にしたくなかった。
「俺もついてくよ」
「いい。遅くなるから先に帰って」
「旭と少しでも一緒に居たいんだ。いいでしょ」
「……っ、帰ってって言ってるでしょ!」
廊下に響く夜鶴の声。
大きな声に一心は驚いて眼を丸くした。
「あ、旭……? どうしたの?」
普段の夜鶴なら、一心が一緒に居たいとわがままを言えば、呆れたようにしながらも傍に居ることを許してくれていた。
だから、あそこまで拒絶されて一心は思わずにはいられない。何か怒らせてしまったのではないかと。嫌われてしまったのではないかと。
恐る恐る尋ねる一心に夜鶴はハッとして瞳を伏せた。言われた方じゃないのに夜鶴はひどく悲しそうな表情を浮かべている。
「ご、ごめん」
呟いた夜鶴は踵を返して、そのまま走り出す。
まるで、逃げるかのように。
「ま、待って、旭。その足で走ったら」
まさか、捻挫をしている足で夜鶴が走り出すとは思っておらず、咄嗟に伸ばした一心の手は空を切る。
しかし、一心はすぐに夜鶴に追い付くことが出来た。夜鶴がしゃがんでその場から動かなくなったから。
「旭。大丈夫?」
急いで駆け寄った一心はしゃがんで夜鶴と顔を覗き込む。
やはり、相当足が痛むのだろう。
捻挫している部分を手で押さえながら夜鶴は苦痛に顔を歪ませている。
「え、ちょ、日野!?」
なんとかしなきゃ、と焦っていた一心は夜鶴を無理やり横抱きにして持ち上げる。
膝下と腰辺りに手を潜り込ませる世間一般でお姫様抱っこと呼ばれている持ち方だ。
突然、お姫様抱っこをされて夜鶴は驚いたのだろう。眼を丸くしている。
「お、下ろしてよ」
「このまま保健室まで行くからしっかり掴まってて」
夜鶴の頼みを一心は聞かないで保健室を目指す。保健室は校舎の一階にあり、図書室は四階だ。先は長く、階段も降りないとならない。
放課後の校舎には残っている生徒はそう多くない。
だが、委員会や友達と談笑していたりして残っている生徒はいる。教室にも廊下にも。
こんな公共の場でお姫様抱っこで運ばれているのが恥ずかしいのか、夜鶴は一心の首元に腕を回して顔を一心の胸元に埋めた。
見られないように隠していたいのだろう。
一心も夜鶴に羞恥心を刻ませるためにしている訳ではないし、晒したい訳でもなくて少しでも速く、なおかつ安全に夜鶴を保健室まで運んだ。
しかし、保健室の中には肝心の先生がいない。
ひとまず、一心は誰も寝ていないベッドに夜鶴を座らせる。
「足の痛みは? 冷やすものとかいる?」
こういう時はまず何からすればいいのか分からずに一心はグルグルとその場を周りながら頭に浮かんだことを夜鶴に聞く。
夜鶴は気まずそうにそっぽを向いたまま、何も言わない。
「……旭。俺、何かしちゃったかな。……ごめん、自分で気付きたいんだけど分からないから教えてほしい」
「……日野は何もしてないよ」
「……じゃあ、嫌われたのか」
昨日まで好きだったものが、ある日突然嫌いに変わる。
そんなこともよくあるだろう。
そう前向きに捉えつつも、やっぱり、ショックで一心は肩を落とした。
「ち、ちがっ。日野のこと嫌いになんてなってないよ!」
夜鶴はこっちを向いて、必死に首を横に振る。そのあまりの必死さに一心は信じさせられてしまう。
「全部、私のせいなの……日野は悪くない」
「俺はまだ何も知らない。だから、旭も自分を責める必要ないよ」
今にも泣いてしまいそうな夜鶴の頭に一心は気付けば手を乗せていた。
「……なに、この手は……?」
「旭が泣きそうだったから、つい……」
「私が泣く? そんなはずないでしょ」
「ご、ごめん。調子に乗った」
気のせいだった、と一心が手を退けようとすれば夜鶴に腕を掴まれる。
「……別に、嫌だとは言ってない」
「う、うん」
変わらずの体勢のままで、一心は気まずくなる。
「……あのさ、旭。撫でてもいい?」
「……好きにすれば?」
許可をもらったのでゆっくりと手を動かせる。手のひらに伝わるさらさらの感触。リンスがまだ残っているのかつるつるでもある。
初めて触れることが出来た、憧れていた夜鶴の黒髪は触り心地絶妙でつい一心はこれまでの出来事を忘れそうになる。
夢中になる一心を現実に連れ戻したのは夜鶴の一言だった。
「……日野、今日を最後に私のこと諦めて幸せになりなよ」
それは、正しく天国から地獄へ突き落とす強烈な提案だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます