第23話 一目惚れしちゃったんです
気分よく鼻歌を歌いながら一心は放課後、夜鶴の教室に向かっていた。
「旭ー居るー?」
後ろの扉から、昼休みと同じように教室の中を見渡す。夜鶴の席は昼休みに確認したばかりだ。
しかし、そこに夜鶴の姿は既になかった。
ついでにいえば木陰も既に教室には居なくて、夜鶴がどこに行ったのか聞くに聞けない状況だ。
けど、別に聞かずとも一心には夜鶴がどこに行ったのか分かる。図書室か図書室の鍵を取りに職員室かだ。
終礼後、一心は急いで用意を済ませて教室を出たが今日は夜鶴達のクラスの方が早く終わったのだろう。
一心は腕を組んでしばらく考える。
このまま図書室に向かうか職員室に行くべきなのか。
「うん、職員室だな」
夜鶴とすれ違う可能性もあるが、すれ違うならすれ違うで一心の体力が消費されるだけだ。何も問題はない。
それよりも、足を庇った歩き方のせいでつい階段から落ちてしまって大怪我に繋がるようなことがある方が大問題だ。
職員室一択の結論に至り、一心は踵を返した――ところで、昨日会った女の子とばったり会った。
「日野くん」
名前もクラスも知らない女の子。
昼休みはどの教室にも居なかったのに不意に現れて一心はビックリした。
女の子は今日も胸に本を抱えながら、片手を振っている。
「どうも」
一応、頭を下げて一心も挨拶をする。
「今日もこれから図書室ですか?」
「あ、うん。そうなんだけど」
「それなら、一緒に行きませんか?」
「え、えーっと」
なんだか、距離の詰め方が早い気がする。
一心はこの女の子のことを何も知らない。なのに、随分と馴れ馴れしい。
「ほら、行きましょう行きましょう」
「えっ、ちょっと!?」
女の子から背中をグイグイと押されて一心は無理やり図書室のある方へと進まされる。
「日野くんに会えてよかったです。ちょうどお話ししたいことがありまして」
「話?」
「そうなんですけど、ここではちょっと言いづらいので図書室に着いてからで」
「う、うん……」
よく分からないがとりあえず一心は図書室に向かうことにした。すぐにこの女の子の用事を済ませてから職員室に向かえばいい。
既に夜鶴が図書室に居るのならそれでも問題なかったが、図書室の扉は開いていなかった。
まだ、夜鶴は校内を歩いているらしい。
「それで、話ってのは?」
「そうですね」
きょろきょろと周りを見渡して人がいないことを確認した女の子は深呼吸を繰り返す。
何を言われるのかと一心にも緊張が走る。
「私、好きになりました。日野くんのこと」
「……はへ?」
ぽかーんと一心は口を開けて固まった。頭が追い付いていない。
――え、今なんて? 好きになりました?
間抜けなままで固まる一心の目の前で手がぶんぶんと振られている。女の子が意識があるかどうか確認してくれているようだ。
「……えーっと、状況を整理させてくれ」
「はい」
「君は日野くんという男子が好きで君の前には日野くんという男子がいる、という状況であってる?」
「はい、あってます」
「この学校に他に日野くんという男子は?」
「さあ、どうなんでしょう。私が知っている日野くんはあなただけですよ」
「つまるところ……君は俺が好きと……?」
「ピンポーン。大正解です」
どうやら、この女の子は一心のことが好きらしい。
――ど、ど、ど、ど、どうしようっ!?
初めて女の子から告白されて、一心は素直に喜んでしまう。
「えっ、えっ。俺のどこが好きなの?」
「そうですね。この前のマラソンであの図書委員の女の子を背負いながら走る姿に惹かれました。とってもカッコよかったです」
「え~、そうかなあ。えへえへえへへ」
くねくねと体を歪ませながら、一心は笑顔を溢す。照れ臭いが真っ直ぐな思いを告げられて平然としていられるはずがない。
「あの時の日野くんは一生懸命で後ろから追い越す時に見えた横顔はとてもとても魅力的でした。つまり、一目惚れしてしまったんです」
「マジか。嬉しい」
一目惚れ。一心が夜鶴にしたように、この女の子も一心に一目惚れしたらしい。
やはり、一目惚れとは素晴らしい好意の抱き方だ。
なんとも思っていない相手でもこんなにも喜ばされてしまうのだから。
「それで、私の心を奪った責任はどう取って頂けますか?」
「それは、ごめん。責任は取れない」
一心はきっぱりと言い切った。
「俺には好きな子が居るんだ。君とは付き合えない」
一心は夜鶴が好きだ。好きで好きで大好きだ。その強い気持ちは告白された程度では揺らいだりしない。
「……日野くんはその方とお付き合いされているのですか?」
「まだだよ。でも、未来では結婚してる。そのビジョンが俺には見えてるんだ。だから、今はその未来のために頑張ってる最中だよ」
「つまり、まだお付き合いされていないのですね。どうしても、私とは付き合えませんか? その、お互いのことはまだ何も知りませんがこれから知っていく恋愛だって私はあると思うのです」
「そういう恋愛だって大いにありだと思うしそこまで言ってもらえるのは嬉しい。でも、ごめん。俺は俺が好きな女の子のことが好きなんだ。まだ付き合えてはいないけど、気持ちは変わらない」
「……そう、ですか。分かりました。日野くんにそれほどまで好きな相手が居るんじゃとてもじゃないですけど敵いそうにないですからね。諦めます」
やけに、あっさりと諦めた女の子。たった今、失恋したばかりだというのに悲しんでいる様子は伺えなかった。
だから、一心ももう演技しなくていいか、と息を吐く。
「……で、何してんだ、雛森?」
「雛森? 誰ですか、その子? 私はただの本好きの陰キャ女子ですよー?」
にぱー、と作り笑いを浮かべるがその顔は一心もよく知っている木陰のものととてもよく似ていた。
「いやいや、無理があるから。雛森だろ」
決め付けるように言えば、女の子は笑顔をやめて暗い色をした髪を外した。下から現れたのは美しい金色の髪の毛。正真正銘、木陰だった。
「ちぇー。なんで、バレたのー?」
木陰は悔しそうに唇を尖らせる。
最初は、本当に誰だか分からなかった。会ったこともない、名前の知らない女の子。
その認識に違和感を覚えたのは今日だ。
「昼休みに雛森と会っただろ。その時、雛森の本の抱え方が似てたからちょっと気になった」
「え、それだけで察したの?」
「それだけじゃないよ。笑い方も似てたからなんとなく雛森かなって。で、よく聞けば声が完全に雛森のだったし確信した」
「な、なるほど……声は気にしてなかった。人は見た目からって聞くし、日野は見た目しか見てないと思ってたから。迂闊だった~」
変装が見破られた理由に納得したのか、木陰は大きく背伸びをする。
今度は、こちらの番である。
「で、雛森は変装までしてどうしたの?」
「旭のこと、何か手伝えないかな~って。ほら、あの子自分からは言わないし、手伝うよって言っても断るからこうしないといけないわけ。でも、まさか、日野も旭のこと手伝おうとしてたとわなあ。私達、似た者同士だね」
木陰がどうして変装をしていたのかは納得がいった。友達のためを思う、優しい行動である。
しかし、それでも一心には理解できないことがある。
「じゃあ、なんで俺に告白なんてしたんだ?」
「酷いなあ。好きって伝えた女の子に聞くかな普通。分かるでしょ。好きって言ったんだから」
「……雛森は俺が好きだったのか」
「嘘だけどね」
「うそぉ!?」
「嘘だよ。日野のこと、普通に好きだけど恋人にしたいとは思ってない。騙されないで」
「もう訳が分からん」
木陰は一心のことが好きではあるが、恋人にはしたくないらしい。告白も嘘だった。
一心の頭はショートする寸前だ。
「とにかく、恋人にしたくない俺にわざわざ好きって言った理由を教えてくれ。ややこしい言い方はなしでな」
「じゃあ、単刀直入に言うよ。日野のこと、試したんだ」
「試した?」
「そうだよ。昨日まではね、旭を手伝うだけって思ってた。でも、昼休みに日野が女の子探してるって聞いて、旭よりも好きな子が現れたんじゃないかって心配になったの」
「探してた理由言ったよね、俺」
「でも、もともと日野は旭に一目惚れして好きになったでしょ。だから、自分のことを好きって言ってくれる女の子が現れたらコロッと心変わりしちゃうんじゃないかと思って。それに、日野は旭の顔しか見てないから」
「……旭の顔しか見てなくて何が悪いの?」
木陰に告白された理由は分かった。
でも、一心は夜鶴の顔ばかり見ていることの何が悪いのか分からない。
「別に、悪くはないよ。でもさ、それじゃ旭のことを理解は出来ないよ。もっと、よく旭のことを見てあげないと」
「……言ってること難しくない? もう訳が分からないよ」
夜鶴のことは見すぎて穴を空けてしまうのではないかと思うくらい、一心は夜鶴のことを見ているつもりだ。
悪いと言われ、もっと見ろと言われ、一心の頭は混乱してしまう。
「要するに旭の外見だけじゃなくて、内面も見てあげてってこと」
それは、凄くシンプルで分かりやすい解答だった。
「この前さ、日野に怒った訳じゃないのに旭に謝ろうとしたでしょ。顔を見て」
「……次の日に旭に聞いたら怒ってないって言われた」
「ほらね、言った通りでしょ」
思い当たる節が一心にはある。
気が付けば、一心は夜鶴の顔ばかりみている。だから、むっとしたら怒らせたと反省するし、嬉しそうにしたら喜ばせたとガッツポーズする。
けれど、その過程を一心は知らない。
そんなんだから、こうして木陰に言われてしまうのだろう。
「内面を見るのってすっごく難しいことなんだ。旭は特に自分のことあんまり話したりする方じゃないから。でも、だからこそ、日野には旭のことをちゃんと見てほしいんだよ」
でも、それは、夜鶴が何も言ってくれないから仕方のないことなのだ。言ってくれなければ一心が夜鶴の内面を知ることは叶わない。
――なんて、言ってる場合じゃねえよな。
本当に夜鶴のことが好きならば、一心は勝手に夜鶴を知っていかなければならない。
「……そうだよな。旭のことが好きなんだ。なんでもかんでも教えてもらうんじゃなくて、俺が知ってかないとダメなんだよな」
「出来る?」
「ああ。やってやるさ。俺は世界で一番の旭の理解者になる!」
「出た、日野の前向き発言。相変わらず、大袈裟過ぎてビックリだよ。でも、頼んだからね」
「過剰上等。むしろ、この世界で一番旭のことが好きなんだ。それくらい、やりきってみせる」
誓いを立てるように一心は拳を掲げて口にする。木陰に聞いてもらったからには、やり遂げなければならない。生涯をかけて。
「それにしても、雛森は本当に友達思いなんだな」
「旭は大切な友達なんだ――だから、日野に幸せにしてほしいんだよ」
「おう、任せとけ。旭のことが羨ましくなるくらい幸せにしてみせる」
一心はグッと親指を立てて、威張ってみせた。
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