第18話 押し付けられてる!
「なんで?」
「だって、足動かすのに顔しかめてたから。痛むんでしょ」
一心が引っ張ったせいで強制的に足を動かさざるをえなくなった夜鶴は顔をしかめた。
まるで、注射を射たれている間、痛みを我慢するかのように強く目を閉じて。
「日野に抱き締められそうって思うと猛烈に嫌になったからだよ」
「俺に抱き締められるのは顔をしかめるほど嫌なの!?」
「嫌だよ」
「おおう。胸にグサグサと鋭利なナイフが」
間髪いれずに答えた夜鶴に一心は心に大きなダメージを受ける。
「……まあ、今は俺のことはいいや。旭、本当のこと言って。言わないと勝手な判断で無理にでも抱えていくよ」
「本気?」
「俺が旭にかける思いは知ってるでしょ?」
一心は確信していた。
夜鶴は間違いなく足を捻っていると。
だから、どれだけ暴れられて拒否られようとも夜鶴が痛みを認めないのなら一心は無理やりにでも夜鶴を横抱きにして運ぶつもりでいる。
その真剣さに観念したのか夜鶴はため息を吐くと小さく首を縦に振った。
「……ちょっとだけ痛い」
「ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ。これは、本当だから……でも、走るのは正直、キツい」
「正直でよろしい」
一心はしゃがんで夜鶴に背中を向ける。
「ほら、乗って」
「いっ!? いやいや、いいよ。高校生にもなっておんぶとか恥ずかしいし」
「なら、抱っこの方がいい? 隙を見てチューしちゃうかもしれないけど」
「おんぶでお願いします!」
「はい、かしこまりました」
夜鶴がゆっくりと近付いてくるのが前を向いている一心の耳に届く。
「ううっ……なんで、私がこんな目に。やっぱ、乗らないとダメ?」
「諦めて乗ってください。旭専用タクシーに」
「……はあ。重たいとか言ったら嫌いになるからね」
夜鶴が一心の背中に身を預ける。ずっしりとした重みを背中で感じるがこのくらいなら大丈夫だ、と生まれたての小鹿のように足を震わせながら一心は立った。
「ね、ねえ。本当に大丈夫なの?」
「よ、余裕だよ。羽毛のように軽い、とまではいかないけど、旭なら何人でも背中に乗せて運べるよ」
同い年の女の子をおんぶするのは初めての一心にとって夜鶴の重みがどれくらいなのかはいまいち分からない。軽い方なのか重たい方なのか。それとも、平均的なのか。
夜鶴の食べる量から考えて軽い方ではないんだろうな、と思いつつ夜鶴が気にするかもしれないので言わないでおく。
そのまま、一心はゆっくりとゴールラインが引かれてある学校までの道のりを走り始めた。のろのろだとしても少しでも早く夜鶴を安静な場所に連れていくために。
「落ちないようにしっかり掴まっててね」
「わ、分かった」
両肩に手を置く夜鶴が力を込めるのが分かる。
「それにしても、嘘をついてたのは雛森じゃなくて、旭の方だったとはね。戻ってきて正解だったよ」
「……ほんと、こーは余計なことをした」
「余計なことじゃないよ。雛森、すっごく旭のこと心配してたし、焦ってたんだよ」
「……でも、日野に言わなくていいでしょ。私が足を捻った瞬間、日野に話してくるって言って聞かなかったし。止めてって言ったのにさ」
「俺は頼られて嬉しかったよ」
「……日野なら絶対に来るだろうな、って思ってたから言ってほしくなかったの」
「どうして?」
「……今日に向けて頑張ってたの知ってるから。だから、こんなことで努力を無駄にしてほしくなかった」
いじけたようにボソボソと夜鶴は口にする。一心からは顔が見えないが、そっぽを向いているいような気がした。
「無駄になんてしてないよ。旭と短時間で会うことが出来た。それは、あれだけ走る練習したおかげだと思うから、それだけで十分だよ」
「……日野は私に甘過ぎ」
「旭は俺の好きな女の子なんだよ。好きな子はいくらでも甘やかしたくなるもんなんだ」
「だからって、本当に戻ってくる必要はなかったじゃない」
「旭の危機にはすぐに駆けつけたいんだよ」
目が行き届かない場所であったとしても、可能なら一心は夜鶴が困っているならすぐに傍に寄って助けになりたいと思っている。
それが、可能な範囲ならなおさらである。少しでも夜鶴のためになりたい。
「学校に近かったくせに……デートしてあげられた可能性を捨ててまで戻ってくるんだもん。本当に馬鹿だよ」
「旭が痛い思いしてるって知って、それを、ただぼーっと待ってるだけの俺に旭とデートする資格なんてあると思う?」
「あるでしょ。日野の頑張った結果だし、約束は約束だったからちゃんと守るつもりだったんだよ」
「それでも、俺が嫌なんだ。ああ、あの時、旭は痛い思いしてたのに今俺とデートしてるんだよなあ、って絶対デート中に思い出して楽しめなくなるし」
「それも、心配しなくてよかったの。そうならないために、最後まで走ろうとしてたんだから。ちゃんと完走すればこーがどれだけ騒いでも気のせいって誤魔化せるでしょ」
一心に余計な不安を抱かせないために、足が痛むというのに夜鶴は走ろうとしていたらしい。
「あーあ。ちゃんと練習もしたのにどうしてこうなるのかなあ」
「旭も走る練習したの?」
「したよ。日野のこと焚き付けといて自分は何もしないってのは気分悪いから。日野よりは少ないけどね」
「量の問題じゃないよ。俺は今、旭の信念に感激して涙が出そうだよ」
夜鶴を背負いながら、もうジョギングにすらなっていない一心の足は当然遅くなり、後方にいた生徒達にも追い抜かれていく。
区内マラソンという、学年の全生徒が参加しているイベントで同級生におぶられている姿を同級生に見られるのは恥ずかしく、夜鶴は顔が見えにくくなるように俯く。
走るのに邪魔で鬱陶しくなるから纏めたポニーテールも崩し、長い髪で少しでも顔を隠すようにした。
「あ、信号。ちょっと止まるね」
「え。わあっ」
「っ!?」
信号が赤になっていて一心は急停止した。
髪を纏めていた髪ゴムを取り外すために一心の両肩から手を離していた夜鶴は急停止の反動で一心の背中に体を押し付けるような形になった。
「ご、ごめん……もっと早く言えばよかったね」
「ううん。私が手を離してたのがいけないから」
すぐに元の体勢に戻ろうとした夜鶴だが、このままの方が顔を見られにくいのではないかと思い、腕を一心の首元に回した。
「こっちの方が顔バレしないと思うから、こうしていてもいい?」
「い、いいよ! 本来、この形が正解だしね!」
ぎこちなく答える一心の態度が気になりつつも信号が青に変わり、歩き始めた一心に夜鶴は身を任せきりにする。
いつもは口数の多い一心が静かなまま進んでいく。何も文句を言わず、疲れているはずなのに夜鶴を背負ってただひたすらに。
そんな、どこまでも一途な姿を上から見ていれば夜鶴は申し訳なくなった。
「……ほんとにごめんね、日野。私のこと迎えに来てくれたお礼に今度、デートする?」
「い、いいの? 約束、守れてないのに?」
「だって、私のせいでなくなったようなもんだし」
「でも、あのまま走っていても俺の体力は限界を迎えてたから結果はどうだったか分からないよ。だから、旭のせいじゃない」
「……日野は私とデートしたくないの?」
「したいよ。したい……けど、今回のことでデートするのはなんか嫌というか。その、旭が責任感じながらするデートよりも、ちゃんとお互いデートだって楽しめるデートを俺はしたいんだ」
「……手、繋いでいいって言っても?」
「そ、それは、魅力的だ……でも、うん。旭と手を繋ぐのもいつか自分で勝ち取ってみせるよ。旭に俺と手を繋ぎたいなあって思ってもらえるように」
一心は言い切ってみせた。
これから、夜鶴は一心に異性としての魅力を嫌というほど理解させられ、付き合うようになるのだ。一心の中での確定路線は何があっても変わらない。手を繋ぐのはその時でいい。
「そんな日、来ないかもしれないのにチャンスを逃していいの? お礼なんだから受け取っておくべきなんじゃない?」
「……その、お礼なら既に受け取っているというか」
「既に受け取ってる? 私、何もあげてないよ」
夜鶴は首を傾げた。お礼をしているどころか逆に迷惑をかけている。一心にはマゾ疑惑があると夜鶴は思っているが迷惑をかけられて喜んでいる訳ではないはずだ。
「いやあ、なんと言いますか……その、普段なら絶対に触れない部分が背中に当たっていて超気持ちいいというか、ありがとうございますぅぅぅ……というか」
一心の背中に当たっている、普段なら絶対に触れない部分の正体に気付くまで夜鶴は一瞬だった。
顔を見られないようにするために一心の首元に腕を回して、背中に体を預け、顔を隠しているがそのせいで胸が当たるようになっていた。
夜鶴は異性にドキドキしたことはないが、異性以外になら体は普通の反応をする。ホラー番組を見た時やソシャゲのガチャを回す時など、鼓動は早くなる。
今回もそうだった。一心にドキドキしたのではなく、自分が胸を当ててしまっていたことに体が熱くなり、急いで離れた。
「ば、馬鹿。日野のえっち。下心はちゃんと隠しなさい」
「普段は隠してるよ。でも、時と場合にもよるよ」
夜鶴を背負った瞬間は重みに足がふらつきあまり意識していなかったが、夜鶴の足に触れたり、体が密着していたりして一心の緊張が一気に高まった。
そこに加えて、夜鶴の女子高生にすれば発育のいい二つの膨らみが途中から当たるようになり、意識せざるをえなかった。
「旭のことを好きな俺があの状況を喜ばないと思う?」
「そ、そんなに嬉しかったの……?」
「もう、めちゃくちゃよかったです」
「へえ……そうなんだ」
正直、夜鶴はそう言われても気分がいいものではない。
でも、一心が喜ぶのは男の子として当然のことだとも思うし、隠されるよりはましなのかもしれない、ともギリギリ許せる。一心が本当に好いてくれていることも分からされているから。
だから、夜鶴は再び一心の首元に腕を回し、今度は胸が押し潰されそうなほどぎゅうっとくっついた。
「あ、旭っ!? 何してるのっ!?」
「う、うるさい。振り向かないで」
こんなのまるで恋人みたいな距離感ではないか。
一心とは恋人ですらないのに、こんなに体を押し付けるような真似をして、一心を誘っているようないやらしい女の子みたいではないか。
それでも、一心が嬉しくなって喜んでくれるのなら迷惑をかけているお詫びに、と実行してみたが想像以上に恥ずかしく、夜鶴は顔が熱くなる。
「……これで、デートの埋め合わせにはなるでしょ」
「う、埋め合わせというか、お釣りが出るくらいもらいすぎだよ」
さっきよりもより感触が分かるほど押し付けられていて一心の理性が崩壊しそうになるところをどうにか授業中だという意識で保つ。
おっぱい押し付けられてる、と叫びそうになるがどこで誰に見られているか分からないのだ。変な行動は起こせない。
理性をぶち壊しにかかる柔らかい感触に加えて、後から夜鶴に抱き締められている体勢は走って汗をかいたはずなのに嫌な匂いは全然しなくて、シャンプーのいい香りが鼻について一心の胸が跳び跳ねる。
「……旭、ドキドキしてるの?」
距離が近くなったから、夜鶴の鼓動も早くなっている気がするが一心も相当なので耳に鳴り響くドキドキという音がどちらのものか定かではない。
「……これは、走ったからで日野にじゃないから変な勘違いしないでよ」
「走った後は胸が痛いよね。よく分かるよ」
夜鶴の鼓動の動きを一心は観ることが出来ない。
なので、そういうことにしておく。
一向に鳴り止まない鼓動の音を耳にしながら一心は歩き続ける。
すると、より一層首元に回されている夜鶴の腕に力が加わり、そっと耳元に口が寄せられた。
「日野への好感度、上がってちょっと下がった」
「つまり、上がった方が大きいってことだよね?」
「さあね。ふふ」
クスクスと楽しそうに笑みを溢す夜鶴に一心は確信した。
こんなのもう俺のこと好きじゃん、と。
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