ロイドの思い〜Sideロイド〜


 あの女の顔を見たのは、あの時以来だった。


 父が死に、俺が当主になり、粛清を行なったあの時以来。


 あの女や関係を持っていた男達をこの家から追い出し、あの女を自領の修道院ではなく隣のマルクス領の修道院へ入れた日、もう会うことはないだろうと思っていた。

 だからあの女がいつもつけていた結婚指輪を持ち出すことも、金のトップのついたネックレスを持っていくことも許した。

 何かあった時に、それを売れば生きていくぐらいはできるように。


 13歳まで、俺は父のことも、母のことも大好きだった。

 父は領民のことを常に考え領地経営を勉強し、母はいつも明るく、よくピクニックに連れ出してくれたり、勉強を見てくれたり、俺を大切に育ててくれた。


 だからだろう。

 許すことができないのも。

 非情になりきれないのも。


 だから正直、メレディアが、そしてマゼラが、母への救済の道を示してくれたことに、心にのし掛かっていた重いものが降りた気がした。


 俺では、母を救うことなんかできない。

 突き放して、背を向けることしかできないから。


 父は決して母を愛していなかったわけではない。

 むしろ、母だけを愛していた。

 大切にしていたのだ。

 ただ伝わらなかっただけで。

 伝えようとしなかっただけで。


『何も言わずに伝わるなんて、そんなの自分に都合の良い幻想ですもの』


 あいつの──メレディアの言う通りだ。



 あの言葉を聞いて、俺はふと考えてしまった。


 俺は、メレディアに自分の気持ちを伝えただろうか? ──と。



 メレディアが好きだ。

 どんな時もまっすぐで、どんな時も前向きで、誰かのために自ら動くことのできる彼女が。


 あの嵐の夜、確かに通じたように思えた気持ち。


 だがあれ以来、二人の間に特に何かあるわけでもなく、いつも通りの時間だけが過ぎていった。

 何も言わなくても伝わっているだろうと思っていた自分が、過去の父と重なる。


 父母の事件以来、人間を信じることができず、人と関わるのを拒み続けてきた俺は、恋やら愛やら、そういうものに疎い。

 正直、世の恋人や夫婦はどうすればいいのかよくわかっていない。

 とりあえず夫婦らしく同衾は続けているが……。


 困っている。

 ここ最近、隣で一定の距離感で眠るメレディアが気になって眠れない。

 意識すればするほど、触れたくなる。

 口付けたくなる。

 前はこんな感情を持つことはなかったのに。


 そう悩み始めた最中さなかでの母の来訪だったのだ。


 何も言わずに伝わるなんて思ってはいけない。

 それでは父母の二の舞だ。


 俺は一度大きく息を吐くと、妻の待つ寝室へ向かうべく執務室を出た。


「っと」

「旦那様」


 扉を開け廊下に出ると目の前にアルトが立って、今まさに扉を叩こうと右手を上げたところのようだった。


「どうした、何か用だったか?」

 珍しいな、こいつがメレディアではなく俺のところに用だなんて。


 メレディアの幼馴染であり、彼女とともに育ってきたアルトは、おそらく俺にいい感情を抱いていない。

 まぁそれも当然か。

 アルトが執事修行に出ている間に、メレディアは俺と結婚して遠くベルゼの領地に旅立ってしまっていたのだから。


 メレディアを蔑んできたあの家で、彼女を守り、支えてきたアルトは、彼女のことを1番に考えている。

 それ自体は俺も望ましいが、複雑な感情がないわけではない。

 メレディアの気持ちが、アルトにあったら、と。


「夜分失礼します。旦那様に言いたいことがありまして」

「言いたいこと? なんだ? あらたまって」

 まさかメレディアに関することで何か不穏な動きでも察知したのか?

 そう姿勢を正すが、アルトの言いたいことは俺の思っているようなことではなかった。 


「……旦那様。嵐の日、メレディア様を守ってくださりありがとうございました」

 深々と頭を下げるアルトに、俺は呆然とする。

 まさかこいつから感謝の言葉が飛び出して来るとは思わなかったからだ。


「あの日、メレディア様が野盗に襲われたと聞いて、生きた心地がしませんでした。ですがあなたは、あの方を守ってくれた。心より感謝するとともに、俺はあなたに忠誠を誓います」

「!!」


 アルトが、俺に忠誠を?

 あのメレディア命の男が、その旦那に?

 嵐が過ぎ、屋敷に戻った時、アルトは涙を浮かべてメレディアを迎えていた。

 眠れていなかったのだろう、目の下にはうっすらと熊まで浮かべて。

 この男にとってメレディアは、本当に大切な存在なのだ。


「……いいのか? お前はメレディアのことが好きなんじゃ……」

「はい。幼い頃からずっと、大切にしてまいりました」

 それを隠すことなく真っ直ぐに俺を見てアルトは言った。


「ですが、旦那様が思うような男女のものではないと思います。どちらかというと、大切な家族、だったんです。メレディア様は」

「家族……」

「えぇ。俺の大切に見守ってきたお嬢様を、よろしくお願いします」


 そう言ってふわりと笑ったアルトに、俺は「あぁ」と力強く頷いた。


「そうだアルト。相談があるんだが……」

「? はい、俺でよければ」


 そして俺は、さっき出たばかりの執務室にアルトを連れて入り、またしばらくの間話し合いを行った。

 ある、計画のために──。

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