イメージトレーニングの敗北


 屋敷の外までロイド様のお母様を見送って、私がマゼラと共にエントランスホールに戻ると、ロイド様がなんともいえない表情で壁を背にして立っていた。


「ロイド様」

「……すまなかった。お前を残して、感情的になって部屋を出て行ってしまった」

 しゅん、と申し訳なさそうに肩を落とすその姿は、まるで捨てられた子犬……いや、大型犬のよう。


「大丈夫ですよ。仕方ありません。ロイド様には複雑な思いもあるでしょうし。こちらこそ、すみませんでした。勝手なことをしてしまって」


 お母様のこと。

 そしてお母様が育てている孤児達のこと。

 この公爵家の当主でもあるロイド様にお伺いも立てずに、いろいろ決めてしまった。


「あの、実はロイド様のお母様は──」

「知ってる」

「へ?」

 私の言葉を遮ったロイド様は、僅かに視線を伏せ、眉を顰めた。


「扉の外で聞いていた。あの女の身体のこと、男たちとのこと、拾った子どもの事」

「!! 申し訳ありません、私、勝手に……」


「奥様は悪くありません。私が勝手に申し出たことです。旦那様、本当に申し訳ありません」

 私が肩を落とすと、すかさず私のすぐ後ろをついていたマゼラがそう言って深く頭を下げた。


「別に、俺は決めたことについてとやかく言うつもりはない。それにマゼラ。お前にはそれを決める権利がある。あれを拒む権利も、助ける権利も……。──メレディア、お前もだ」

「私も?」

 繰り出された私の名前におうむ返しすると、ロイド様は当たり前かのようにコクンと頷く。


「お前にも、それらを決める権利がある。お前は、俺の唯一の妻だからな」


 妻。

 それは仮初の?

 それとも本当の?

 そんなどうしようもない問いかけが頭の中をよぎる。


「ロイド様……。でも、ロイド様はよろしいんでしょうか?」

「俺? ……あぁ、まぁ……。……正直、あれのことは許すことはできない。それだけのことをしてきたんだ。だが……それでも13年の間、確かに愛情を注いでくれたのもあの人なんだ──……」


 それはいつも強い彼の、弱々しい本音。


「……父は領民思いの素晴らしい領主で、誰からも慕われていた。だが、母としてはもっと自分を見て欲しかったんだろうな」


「愛してくれる証明が欲しかったんでしょうね。やり方は間違ってますけど、なんだかわかる気はします」


「わかる?」


「はい。何も言わずに伝わるなんて、そんなの自分に都合の良い幻想ですもの」


 嵐の日からずっとモヤモヤした思い。

 ロイド様はあれから特に何も変わることなく、いたって普通に私と接するけれど、今の私たちの関係って一体どんなものなのかしら? 


 夫婦──にしてはキスの一つもないし、たとえ一緒にベッドに入っても甘い雰囲気すらもない。

 恋人──にしては恋人らしいことなんて何一つしていない。

 視察はデートではないし、会話もそんな思い合う二人というよりは、領地のことに関する議論やらで甘さのかけらも無い。


 でも、恋人や夫婦でもない人間と同衾するなんてことはないし、ロイド様がそれを嫌がっているというようにも見えない。


 わからない。

 ロイド様が私をどう思っているのか。

 恋愛経験皆無の私には、全く。

 こればかりは前世で読んだ恋愛小説だって役に立たない。

 イメージトレーニングだって意味がないんだもの。

 完敗だ。


「……お前も、そうなのか?」

 静かに尋ねられた言葉に、私は一瞬だけきょとんと思考を停止させてから、絞り出すように「そりゃ……まぁ」と答えた。


「そうか……」


 ロイド様はそう呟いてから、私とマゼラに背を向け、屋敷の奥へと入っていった。

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