母と子


 取り残された私達。

 私はチラリとロイド様のお母様を盗み見る。


 ……あれ……?


 化粧で誤魔化してるみたいだけど、何だか顔色が悪い?

 目の下にもうっすらとクマが見えるみたいだし。


「……帰るわね」

 そう言ったロイド様のお母様の口元が僅かに上がって、まるで微笑んでいるかのように見えて、私は思わず「ま、待ってください!!」と呼び止めた。


「? あなたは……あぁ、もしかして、あの子が結婚したっていう?」

「はい。初めまして。ロイド様の妻になりました、メレディアです」


 まさかこんな形で旦那様の母親、つまり姑に挨拶することになろうとは。

 結婚式の時もロイド様側は友人はおろか親族すら参列者はいなかった。

 今思えば、納得していない結婚だったからこそというのもあれど、呼べる親族がいなかったのかもしれない。


「初めまして、ロイドの母です。……と言っても、私は母親失格だけれどね」

 そう言って自嘲気味に笑ったお母様。

 さっきまでの自己中心的な彼女とは思えないその態度に、再び違和感を感じる。


「あの、顔色がお悪いようですけれど、どこかお悪いのでしょうか?」

 オブラートに包むことなくストレートに尋ねたそれに、ロイド様のお母様はひゅっと息を呑んだ。

「!! ……胸の病を、ね。もう二月ふたつき保つかどうか……って言われてるわ」

二月ふたつき!?」


 そのどこか諦めのこもった声に、違和感が重なる。

 諦めた人間が、お金なんて欲しがるかしら?


「あの、お金って、治療費、でしょうか?」

 治療して良くなるのならお金を欲するのもわかる。

 だけどそれも何だかしっくりこない。


「……いいえ。治療をしてももう無駄なのはわかっているし、仕事をしているから、贅沢をしなければ暮らしていける。だからお金なんて正直いらないわ」

「!?」

 いらない?

 お金を用意するように押しかけたわけじゃないの?


「修道院からロバート……、マゼラの夫だった人に身請けされて、しばらく隣のマルクス寮で一緒に暮らしていたの。だけど、耐えきれなくなったのは彼の方だった。狭い家で、料理も慣れてなくて下手くそな私に、彼は『公爵家ではない君は、お金を稼ぐこともできない、ただの何もできない世間知らずだ』そう言って出て行ったわ」


「ロバートが?」

 それまで黙っていたマゼラが思わず口を挟む。

 その声に初めてロイド様のお母様はマゼラへと視線を移した。


「マゼラ……。あなたにも、あなたのお腹にいた子どもにも、辛い思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。私は……本当に馬鹿だったわ。生真面目で領地のことばかりを考えていた夫に愛されたいと、彼の愛を試すようにたくさんの男性を侍らせ、その結果彼を失ってしまった。大切だった息子の信頼も。やりたい放題してしまった結果がこれよ。男に捨てられ、病気でもう長くない」


 自責、後悔、諦め。

 それら全てがその言葉に込められているように感じる。


 マゼラは何も言わずにただ俯いた。

 夫を失い、耳の不自由なレイを育てるのは、相当な苦労があっただろう。

 そんな簡単に許せるはずはない。


 諦めている人間が、お金の必要のない人間が、わざわざやってきた理由。

もしかして……。


「あの、もしかしてここを訪ねてこられたのは……」

「……死ぬ前に会いたかったのよ。ロイドに。だってあの子は、私がお腹を痛めて産んだ大切な我が子ですもの」


 そう言って微笑んだ彼女の笑顔には、今度は自嘲や諦めはなかった。

 本当に、大切なんだ。ロイド様のことが。

 たくさんの罪を犯してしまった彼女だけれど、その思いだけは本当なのかもしれない。


「じゃぁ、私は行くわね。子ども達が待ってる」

「子ども達?」

 背を向け帰ろうとしたお母様に私が尋ねると、彼女は再び私に向き直って言った。


「捨てられていた子ども達よ。小さな家を借りて、そこで3人、内職をしながら面倒を見ているの。そのうち二人は耳が聞こえない子達でね。私が死んだ後、彼らは孤児院に任せるつもりだけれど、意思疎通ができない二人のことだけが心配……」


 耳が聞こえず、意思疎通ができず、親が辺境へと置き去りにしてしまった子ども。

 カイのように。

 彼らは孤児院で引き取られるが、その意思疎通には孤児院も苦労しているようだ。

 何とかなれば良いけれど……。

 私が毎日孤児院に行って教えるわけにもいかないし……。


「……ならば、レイとカイに教えに行かせればよろしいかと」

「マゼラ?」

 意外にもその問題に答えをくれたのは、難しい立場であるはずのマゼラだった。


「奥様のおかげで、レイもカイも手話や文字などのコミュニケーションができるようになりました。それを、マリア様が引き取っている子ども達、そして孤児院の子ども達にも教えたらよろしいのではないでしょうか? レイのことなら大丈夫です。レイは私のお腹の中にいたので、父親についても、何があったのかも知りません。そして私はそれを、あの子に教えるつもりもありません」


「マゼラ……。……でも……」

 言い淀むお母様に、マゼラは笑うことも、怒ることもなく、ただ淡々と「あなたのためではありません。子ども達には罪がない、そう思っただけです」と言った。


 レイと同じ耳が聞こえない子ども達。

 マゼラにも思うところがあるのだろう。

 強い人だ。


 それを聞いて、ロイド様のお母様は目にうっすらと涙を浮かべ、マゼラへと頭を下げた。


「ありがとう……。ごめんなさい……」

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