誕生日プレゼントは……


 ひゅん──と、一瞬風が吹き荒んで、長い黒髪が風に攫われる。

 それと同時に、小さく聞こえた旦那様の声。


「──誕生日プレゼント」

「はい?」

「誕生日プレゼントを、この二日、いろいろ考えた。ドレス、宝石、化粧品……。だがどれも、お前は興味を示さないような気がしてな。結局何も買うことができなかった」


 苦々しく眉間に皺を寄せる旦那様に、私は苦笑いを返す。

 確かに、私はあまり物に頓着はしない性格だから。

 貰えるものはどんなものでも嬉しいのだけれど。


「だから、お前をここへ連れてきた。ここなら、パーティなんて賑やかな場所よりも、お前の好みに合っているだろうと」


 私の、ために?

 とりあえず結婚した妻である私なんかのために、こんな素敵な場所に連れてきてくれたの?

「嬉しいです……!! ありがとうございます!!」

「……別に」

 そう言ってふいっと顔を逸らした旦那様は、すぐに何か思い出したかのように悪い笑顔を携えて、私の顔を見下ろした。

「お前は水に入るのが好きらしいからな」

「はい?」

 どういうこと?

 私、水に入るのが特別好きってわけじゃないけど……。


「マゼラから聞いた。レイのこと」

「!!」

 自死しようとしたレイを助けるために水の中に飛び込んだこと、知られてる!?


「あ、あの、えっと、その……」

 しどろもどろになる私に、旦那様は小さく笑ってから、真剣な瞳でこちらを見つめ口を開いた。

「うちの家族を助けてくれたこと、ベルゼ公爵として礼を言う。ありがとう」

 そう言って頭を下げる旦那様に、パニック状態になる私。

「え!? そ、そんな、あの、差し出がましく首を突っ込んでしまって、申し訳ありませんでした!!」


 おとなしくしていろと言われていたのに首を突っ込んだ挙句、下手にレイに手話を教えていたのだ。

 立派な契約違反と言えるだろう。


「あ、あの、契約違反、ですよね? 離縁……でしょうか……?」

 恐る恐る一握りの勇気を振り絞って尋ねる。


 離縁よね、うん。

 契約、だもの。

 短い間だったけれど、ここにいられてよかった。

 私はここを出たらどこか街の外れでひっそりと暮らそう。

 あの家には帰りたくないもの。

 どうせまた他の家に嫁がせられるのは目に見えているから。


「お前は……」

 そう呆れたようにつぶやいてから一つため息をついて、旦那様は続ける。

「お前は離縁したいのか?」

 疑問に疑問で返され、私は咄嗟に首を左右に振って否定した。


 その意思を確認すると、旦那様は少しだけ表情を緩めて

「なら、ここにいろ。俺は離縁をする気はないんだから」

 そう言って私に背を向けた。


 この人は本当に優しい。

 物言いはぶっきらぼうだけれど、その中に優しさがあって、照れ隠ししているのがもったいないくらい。


「で、誕生日だが、何か欲しいものはあるか? なんでも言え。可能な限り用意しよう」

「えぇ!? 良いですよ!! この素敵な景色をいただきましたし」

 これ以上を望んだらバチが当たりそうだし、何より、こうして祝おうとしてくれたことが嬉しいんだもの。


 けれど旦那様はそれに納得いかないようで、

「何か一つぐらい言え。この景色だけでは割りに合わん」

 と食い下がった。


 どうしても何か望みを言って欲しいみたいだけど……んー……。

 服はもう十分いただいたし、宝飾品もそんなにいらない。

 本も屋敷の図書室にたくさんあるし──……。


 悩み出した私に、旦那様は深いため息をついた。

「無欲すぎるだろう。聖職者か何かか、“お前”は」

「!!」

 ──それだ!!


「旦那様!!」

「なっ、何だ?」

 一つだけ自分の望みに思い至った私は、旦那様の大きくて暖かい両手をがっしりと掴んで向き合う。


「名前です!!」

「は? 名前?」

「はい!! 名前で呼んでいただきたいです!! いつも私のことは“これ”とか“お前”とかですし……」


 あまり気にしていなかったけれど、私は旦那様に名前で呼ばれたことがない。

 いつも“これ”とか“お前”だ。

 私にだって“メレディア”という名前があるのだ。

 一応、一応は妻なのだから、名前で呼ばれたい。


 私がいうと、旦那様は目を丸くしてぽかんとした表情を浮かべてから、今度は苦々しい表情を浮かべた。

 顔面忙しいわね。


「そんなことで……良いなら……」

 渋々ながらもそう低く呟かれた言葉に、私は「ありがとうございます!!」と感謝を伝えた。


「はぁ……。もう十分堪能したなら行くぞ。屋敷でゼウスとマゼラが張り切ってお前のために料理を用意しているらしいし、アルトは何かするつもりなのかそわそわしていたし、レイとカイも誕生日を祝いたいと朝から忙しくしていたようだからな」


 皆、私のために?

 温かいものが胸いっぱいに広がる。

 誕生日をこんなふうに感じる日がくるなんて。


「行くぞ、──メレディア」


 私に背を向け放たれた旦那様のその声に。

 赤く染まったその耳に。

 私は顔を綻ばせ、笑顔で彼の後を追うのだった。

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