音の世界と向き合うこと


「奇遇だな。俺も、離縁などする気は毛頭ない」


 深く低く、芯のある声が応接室へと響いて振り返ると、腕を組み扉によかかるようにして旦那様が立っていた。


「旦那さ──「ロイド様ぁ!!」」

「お前の夫になった覚えはない。名前で呼ぶな。フレッツェル伯爵令嬢」


 私の声に被せ気味で旦那様の名を呼んだエレノアに、間髪入れることなくピシャリと言い放った旦那様。

 さっきから私も気になっていた名前呼びを真っ先に拒絶した旦那様に、なぜか安堵する。


「えー!? でも私、ロイド様ともっともっと仲良くなりたいんですぅ」

「いらん。もっと、というよりも1ミリも仲良くした記憶などないし、自己紹介以外で話した記憶もない」

「それはそうですけどぉ、私、ひと目見てロイド様のこと気に入っちゃったんだもん」

「そうか。だが俺は何とも思ってはいないので関係ないな」


 すごい。

 あのエレノアのよくわからない屁理屈に調子を崩されることなく淡々と言い返してる……!!


「むぅ。でもロイド様、私の方が絶対可愛いですし、社交的ですよぉ? お姉様みたいに地味じゃないし、暗くもないし、公爵夫人としてぴったりでしょう?」


 どこから出てくるのその自信!?

 まぁ、確かエレノアは華やかな見た目だし、社交的だし、誰からも愛されるエレノアの方が公爵家の女主人としては向いているのだろう。


 でも──。


 もやもやとした感情が心の中を巡っていく。

 こんな感情知らない。

 うずまき始めたよくわからない感情に私が恐怖を感じたその時。


「俺はギャーギャーとうるさい女は嫌いだ」


「!!」

 旦那様の手が、私の肩にそっと触れた。


「ついでに、見た目は関係ない。うちの妻はきちんと約束を守ろうとする賢い女だ。使用人ともうまくやっているし、家のこともよくやってくれている」

「旦那様……」

「それに俺は、これの見目は嫌いではない」

「!?」


 落とされた言葉に驚いて旦那様を肩口に振り返ると、翡翠色の目が真っ直ぐに私を捉えていた。

「落ち着いた神秘的な色の艶やかな髪。謙虚さの中にも強さと情熱を秘めた赤い瞳。どちらもとても──美しいと思う」

「!!」


 ドクン──。


 痛いぐらいに鳴り響いた鼓動に、私はぎゅっと胸を掴み抑えた。


「っ……。ま、まぁ、本人の前じゃそう言わざるを得ないですよね!! お姉様、とりあえずはロイド様のことは引き下がるわ。今日来た目的は別にあるしね。これ、お姉様に」

 そう言って引き攣った笑顔でエレノアが私に手渡したのは、1通の白い封筒。

 封蝋の紋章は──フレッツェル伯爵家のものだ。


「私の誕生日パーティを開くの。ぜひいらしてね、ロイド様と一緒に。お姉様のお誕生日はもうすぐよね? 招待状が来てないってことは、パーティはしないのかしら? 残念だわ」

「は? 誕生日?」

 旦那様の間の抜けた声が頭上で聞こえた。

 まるで今知ったかのような驚きのこもった瞳が見下ろされる。

 そういえば3日後か、私の誕生日は。

 パーティなんていらないから別にいいんだけれども……。


 今まで私は自分の家のパーティにも出なかった。

 もちろん最初は出ていたけれど、音酔いを繰り返すうちに「恥晒しになるから」と参加することを禁じられた。

 だから私の誕生日パーティも、もう何年も開かれてはいない。

 そしてその1週間後にある妹の誕生日パーティが盛大に開かれれば、その間私はひっそりと部屋にこもっていたんだっけ。


「よくお父様とお母様が許したわね、私の参加を」

「私がお父様とお母様に頼んだの。お姉様たちも呼びたいって」


 嫌がらせか。

 私に恥をかかせるのが目的ね。

 でも、そっちがその気なら……。


「……いいわ、出席します」

「え──?」

 私から飛び出た予想外の言葉に目を丸くするエレノア。

 逃げてばかりじゃダメだ。

 旦那様が私を妻として扱ってくれているのに、それを盾に逃げては……。


「……そう、楽しみにしてるわ。失礼」

 愛らしい顔をくしゃりと歪ませてから、エレノアはドスドスと足を踏み鳴らして、従者を連れて部屋から出て行ってしまった。


 嵐が去った後の応接室に2人、ただ立ち尽くす。


「……よかったのか?」

「え?」

「人が多いの、得意ではないんじゃないのか?」

「あ……いえ、あの……まぁ、はい」

 あの街での出来事で何となく察したのだろう。

 正確には人、ではなく、音、だけれど。


「辛いなら、俺1人で行ってきてもいいんだぞ?」

「えぇ!? いいですよそんなの。目にもの見せてやりたいですし」

 自信は無いし、倒れる気しかしないんだけれども。


「旦那様の、妻ですから」

 さっきまでの無を解き放って、表情がふわりと綻ぶのがわかる。

 それを見て大きく翡翠色の瞳が開かれていく。


「……なるほどな。あの妹だからこその鉄仮面だった、ということか?」

 そう察したようにニヤリと笑った旦那様に、言葉が詰まる。

「ぅっ……。め、面倒、でしたから」

 今更猫かぶる必要もないし、被ったとして旦那様にはお見通しな気がして私が本心を口にすれば、旦那様は少し意外だったのか一瞬だけ表情を崩してから、またニヤリと笑って「違いないな」と私の肩をぽんぽんと叩いた。


「ならば、お前を誰もが目を惹く淑女として着飾ってやろう」

「え、いいです」

 即答。

 目立ちたくないもの。


「お前なぁ……。目にモノ見せてやるんだろ? なら、徹底的にやるぞ」

「!!」


 ここに来て、旦那様の過去を知って、レイやカイを見ていて、私も色々と考えさせられた。

 旦那様は辛い出来事があっても逃げずに領地のことを考えて毎日頑張っている。

 レイやカイだって自分の力で世界を広げ、自分らしく生きようとしている。


  私も──。


「……わかりました。旦那様、私……やってみます!!」


 音の世界と、向き合ってみせる……!!

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