初めての譲れないもの


「ねぇお姉様。エレノアにロイド様──、ちょーだい?」

「!!」


 何言ってるの、この子。

 本気?


“えぇ。ですから、念のため、です。念のため、お気をつけください”


 いつかのアルトが言っていた言葉が、まさか本当になるだなんて。

 だって実の姉の夫よ!?

 いくら人のものを欲しがる癖があるとはいえ……。


 落ち着くのよメレディア。

 冷静に対処しなきゃ。

 この子は私が困ったり悲しんだりする姿を見るのが好きなんだから。

 みすみすこの子を喜ばせるようなことをしてはいけないわ。

 私は自分の顔を無に塗り替えると、背筋をしゃんと伸ばし、目の前の期待の眼差しでこちらを見る実の妹へと視線を向けた。


「エレノア。それは無理よ」

 私のはっきりとした拒絶に、青くきらきらとした瞳が大きく膨らんでいく。

「えぇ!? どうして……何で!?」


 この子のお願いを拒否すれば、この子は泣く。

 それはもう甲高くて大きな声で。

 そして怒られるのは私の方なのだ。

 姉のくせに何で妹の言うことを聞いてやれないんだ、何て冷たい姉なんだ──って。


 だから私はいつしか彼女の“お願い”を無になって聞き入れることで後々の面倒ごとを回避するようになっていってしまった。

 エレノアは、私が今日も表情を変えることなく、わがままを通してくれると思っていたのだろう。

 でも今回はダメだ。


 物ならばいくらでも差し出せる。

 後で金切声で泣かれるよりはマシだもの。

 でも今回は違う。

 旦那様は────ダメだ。


 私は表情を落としたまま、エレノアに向かい口を開くと、

「旦那様は私の旦那様だわ。だから、あなたにはあげられない」

 自分でもびっくりするくらいの冷たい声が飛び出た。


「何で!? お姉様、いつも勝手にしなさいって私にくれてたじゃない!!」

「そうね」

 うるさく泣き喚かれたり、両親に長々とお説教されるよりはマシだったもの。

 ドレスも、小物も、父や母でさえもエレノアのものになってしまっても、静かな世界にいられるならば、どうってことなかったのに。

 なのに旦那様だけは、なぜか嫌だと思った。



“お前は荒れすぎているんだ。もう少し、ちゃんとケアしてやれ。せっかく綺麗な形の指をしているんだから”


“これまでも、これから先も、お前ただ1人だ”



 旦那様の声が、耳に蘇る。

 ひどく心地がいい低い声に、波立つ心が静まっていく。

 こんな感情初めてで、なぜかはわからないけれど、これだけは譲れなかった。


「でも、お姉様たち、政略結婚でしょう? 愛がないなら今のうちに別れた方が良くない? 子供ができないうちに」


 できないわよ、その予定はないもの。

 とは口が裂けても言えない。


「それでも、旦那様のことを私は尊敬しているし、良好な関係を築いていると思っているわ。旦那様が出て行けと言わない限り、私に離縁するという選択肢はないわ」


 旦那様から切り出されたのならば、それを受け入れるしかないけれど。

 それ以外であの人から離れようとは思わない。

 なぜかはわからないけれど……でも、私の手に気づいてハンドクリームを贈ってくれたり、音酔いを起こしても心配して抱きかかえてくれた優しい旦那様だ。

 そばにいたくないなんて思わない。


「そんな……何で……!!」

 今まさにエレノアが金切声を上げようとしたその時だった──。


「奇遇だな。俺も、離縁などする気は毛頭ない」


 深く低く、芯のある声が応接室へと響いた。

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