ただ1人の妻として
「これまでも、これから先も、お前ただ1人だ」
そう見つめられたまま、私も旦那様の翡翠色の双眸を見つめ返す。
なんて澄んだ綺麗な瞳なんだろう。
初日の印象が不機嫌全開で人殺しそうな印象だったから、こんなに落ち着いた気持ちでこの目を眺めたことはなかったけれど、彼の瞳はとても澄んでいる。
まっすぐで。
誠実で。
優しい瞳だ。
「旦那様」
「なんだ?」
「ただ顔が怖い人だと思っていてごめんなさい」
「──は?」
私は今まで、旦那様のことを知ろうとなんてしなかった。
知る必要もないと最初から知ることを放棄していたし、私は私でただ静かに暮らせればそれでいいとしか思っていなかった。
だからレイのことも、隠し子がいてもそれでも大丈夫だと、愛人様がいても平気だと思っていたし、私の平穏で静かな生活を守るためにも、離縁されないようにしなければと……。
結局はそれも、自分のためだった。
でも……そもそもそんな思い違いこそが旦那様への偏見であり、侮辱であったのだ。
旦那様は自分の愛する人と子どもを離れに置きながら、別の女と結婚するような人間じゃない。
たとえ身分差があったとしても、なんとかして屋敷に迎え入れるはずだ。
そう信じてあげられなかった。
あまりに私は──無知すぎた……。
「私、もう少し旦那様のことを知りたいです」
私がそう口にすると、驚いたように目を大きくして「俺のことを?」と声をあげた旦那様。
「はい。旦那様はどんな人なのか。旦那様はどんなものが好きなのか。旦那様は何を思っているのか。旦那様が関わるなとおっしゃっても、私、知りたいです」
今世の私には家族だと思える人はこれまでいなかった。
父母や妹と血のつながりはあっても、彼らは私を家族として見てくれていなかったのだから。
だから、最初はどうであれ、縁あって家族になった旦那様は、唯一の私の家族でもある。
突然街中で音酔いを起こして倒れかけた私を、怒鳴るでもなく、呆れるでもなく、心配そうに抱き抱えて帰ってくれた。
人嫌いの理由を、妻だから、と仮初の妻である私に話してくれた。
やっぱりこの人は、巷で噂されるような冷酷な人なんかじゃない。
彼が恐ろしくて何人もの使用人が辞めていったという話はあったけれど、あれはきっと、この粛清が回り回って捻れて伝わっただけのことだ。
彼が悪いのではない。
きちんとした理由があるのだから。
冷酷無慈悲な人嫌い公爵なんてものじゃない。
この人は本来の温かい心に傷を負った、普通の人間なんだ。
なら私も、向き合いたい。
「知りたい?」
「はい。知りたいです。旦那様のこと。だって──。だって、私は旦那様の、ただ1人の妻ですもの」
そう言って頬を緩めて、まっすぐに旦那様を見上げた。
たとえそれが妻という名の同居人に過ぎなくても。
きちんと向き合いたい。
歩み寄りたい。
「お前……。ふん、……勝手にしろ」
ふいっと背けられた顔。
それでも僅かに赤く染まった耳が、旦那様の本心なのだろうと、ほんのりと心が暖かくなった気がした。
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