レイと手話
結局私は、音酔いを起こして旦那様に抱き抱えられたまま馬車へと乗り込み、そのまま屋敷へと帰還した。
馬車に乗っている間も旦那様は私を膝に抱き抱えたまま、特に何を言うでもなくいつもの難しい表情でじっと窓から外の景色を覗いていて、触らぬ神に祟りなし、と、私も黙って抱き抱えられていた。
あぁもう、何やってるの私。
わがままを言って見知らぬ少年を引き取ったりアルトをベルゼ公爵家に連れて帰ったり。
結婚の条件そっちのけでやりたい放題になってしまった。
挙げ句の果てに音酔いして旦那様に抱っこされるとか……。
終わった。
私の静かなる異世界スローライフ、終わった……!!
「あの……旦那様……?」
「ベッドに行くか?」
旦那様を見上げて声をかけると、鋭くも心配の色を孕んだ翡翠色の瞳が落ちてきて、私の鼓動がどくんと跳ねる。
「い、いいえ!! 大丈夫です!!」
「そうか?」
表情を変えることなく、旦那様は広間へ進み私をソファの上へと下ろすと、自分も私の隣へと座った。
え、待って、何、この状況。
昨日までいなかったほぼ他人と言っても過言ではない夫の、この距離感に思わず身体をこわばらせる。
「あ、あの……とりあえず、レイを呼んでもらえますか?」
レイと引き合わせて、ここは大丈夫なのだと安心してもらいたい。
子ども同士、大人よりも分かり合えることもあるだろう。
私がそう言うと、旦那様は訝しげに私を見てから「なぜお前がレイのことを……?」とつぶやいた。
しまったぁぁぁぁぁあ!!
旦那様は私がレイのことを知ってるということを知らないんだったぁぁぁあ!!
「えっと……、旦那様がいない間に……知り合いまして……」
しどろもどろになりながらもそう口にすると、旦那様はヒクヒクと頬を引き攣らせてから深いため息をついた。
「まぁいい。──マゼラ。レイを呼んで来てくれ」
と、扉前で待機していたマゼラへと指示を出し、しばらくしてからマゼラがレイを連れて広間へと戻ってきた。
私は早速レイの前へと足を運び、会話をする。──手話で。
『この子も耳が聞こえないの。字も書けなくて……。レイ、協力してくれる?』
『うん、いいよ。任せて』
ゆっくりだけれど、表情を変えながら、手を動かしながら、意思疎通がきちんとできる。
こんな短期間にここまでできるようになるなんて。
本当に賢い子だ、彼は。
会話もないのに通じ合っているその異様な光景を、旦那様も、そしてその場にいたマゼラやローグ、アルトたちも、ただ黙って見つめていた。
「旦那様、レイにこの子のこと、協力してもらうことになりました。とりあえずどこかのお部屋で身を整えさせても?」
「は? あ、あぁ……それは構わんが……」
私が話を振ると、旦那様は呆然とした様子で許可を出し、私はそれを確認すると再びレイへと向き直った。
「『レイ、早速この子を客間のバスルームに案内してあげて。マゼラも一緒にお願いできる?』」
私がわざと声に出してそう言えば、『わかったよ、奥様!!』とレイ。
そしてマゼラも「かしこまりました」と私に一礼した。
レイはにっこり笑って、戸惑い顔の少年の手を引くと、マゼラと共に部屋を後にした。
「おい、今の──」
「アルトはどうしましょう?」
未だ私のそばで控えてるアルトを見上げる。
「……ローグに任せよう。執事としてここに置けばいい。ローグ。ここで執事として働くことになったアルトだ。仕事を教えてやってくれ」
旦那様が淡々とローグに指示を出すと、ローグはしゃんと背筋を伸ばしたまま「かしこまりました、旦那様」と綺麗に頭を下げた。
「ローグ、アルトをよろしくね」
「はい。お任せください、奥様」
「アルトです!! よろしくお願いします、ローグさん」
アルトがローグに名乗り頭を下げると、目尻の皺をくしゃりとさせ「ようこそ、ベルゼ公爵家へ」と歓迎し、ローグはアルトを連れて部屋を後にした。
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