執事兼幼馴染アルト
馬車の中で、私は極力少年に寄り添い、手を握っていた。
いきなり現れた見知らぬ夫婦に馬車に連れ込まれたのだ。まずは安心してもらえるよう、誠実な対応をしなければ。
次に馬車が止まったのは、ベルゼ公爵領の市街地。
「屋敷に戻る前に、ここに寄らせてくれ」
そう言って馬車を降りた旦那様の後を私もついて降りると、私の後を追うように少年もついてきた。
少しの間だけれど、だいぶ慣れてくれたようだ。
旦那様がどんどん街の中心部へと歩いていくのを、私は少年の手を引きながらついていく。
奥に進むにつれて大きくなってくる不特定多数の人の声。
たくさんの色を孕んだ声が重なり合って、私の耳に波のように押し寄せてくる。
これは……ちょっとまずい、かもしれない。
「ここだ」
「あー……に、ぎやか……ですねぇ……」
連れてこられた街の中心部。
たくさんの店が立ち並び、店主の声、客の声が混ざり合った市場だった。
まずい、詰んだ……!!
いいえ大丈夫よ、まだ耐えてみせる!!
「おぉ!! ロイド様じゃないですか!!」
「まぁロイド様!! 今日は視察ですか?」
旦那様の姿に気づいた人々が旦那様の周りに集まってくる。
合同農園の時にしても今にしても、やっぱり旦那様は領民からとても慕われているようだ。
黙って考え込んでる姿とか、人殺しそうな人相してるのに。
それはきっと、領民たちには旦那様の内面がよくわかっているからなんだろう。
だけど農園にいた人数の比ではないくらいにたくさんの人々が押し寄せてきて、私の耳から脳みそを攻撃していく。
「あぁ。視察がてら、妻になった女を案内している」
いや、だから妻になった女って……うっぷ……。
だめだ気持ち悪い。
私はどうにか笑顔を貼り付けてから「め、メレディアです」と領民たちへと挨拶をした。
「まぁなんてお綺麗な方なんでしょう!! もう、ロイド様ったら!! ご結婚されたなら結婚パレードでもしてくださったら良かったのに!!」
「そうそう。皆喜んでお祝いするのになぁ!!」
結婚パレードなんてされたらパレード中に吐く。間違いなく。
「そんなことに時間をかけるのは無駄だ」
旦那様、その通りですが言い方……!!
まぁ実際、時間を無駄にすることなく結婚翌朝から3日間出ていたものね、旦那様。
「はぁ!? あんたこんな綺麗な奥様捕まえといてそりゃないですよ!?」
「奥様、ロイド様に傷つけられたりしてませんか? 何かあったらなんでも私たちに言ってくださいね? 皆でストライキ起こしてやるからさ」
「あ、ありがとう。でも、大丈夫よ? 旦那様は優しい方だから」
ちょっと、いや、かなり口は悪いけど。
「そうかい? なら良いんだけど……ロイド様、ちゃんと奥様を幸せにしてやりなさいよ!!」
「は? あ、あぁ……善処、する」
歯切れ悪くもそう答えた旦那様。
ここの領民すごいわ。あの旦那様に勝ってる……!!
「旦那様、この子もいますし、そろそろ……」
「ん? あぁ、そうだな。またゆっくり来る」
私がやんわりと帰る方向へと話を持っていったその時だった──。
「お嬢様!! メレディアお嬢様!!」
この声……!!
よく知った声が人混みの中から聞こえて、その声の持ち主が人の波をかき分けて姿を現した。
「アルト!!」
「お嬢様!!」
ミルクティー色のサラサラの髪。
シュッとした琥珀色の綺麗な瞳。
黒の執事服を着た彼は、まさしく私の幼馴染で、実家であるフレッツェル伯爵家の執事──アルト・グレンディその人だった。
「あなたなんでここに?」
私が気持ち悪さを押し殺して彼に尋ねれば、その切れ長の瞳をパァッと大きくして笑顔を咲かせた。
「お嬢様に会いにきました!! あぁ……よかった。すぐに会えて……。2ヶ月の研修から帰ってきたらお嬢様が嫁いだなんて聞かされて……俺、俺……」
大型犬だ。
大型犬がここにいる。
「もうその日のうちに辞表を提出して、荷物まとめて出てきました!!」
「はぁっ!? 何やってるのあなた!?」
研修から帰って早々辞表を提出するとかどう言うこと!?
「お嬢様のいない屋敷に用はありません!! お嬢様、俺をまた、あなたのそばに置いてください!!」
「ちょ、何言って……」
私に決定権はない。
それに、せっかくまだ離縁されずに入られてるのにここで勝手なことをして追い出されても困るし……。
かといってアルトを私のために無職にさせるわけにもいかないし……。
あぁだめ。
とりあえず一刻も早くここから立ち去りたい。
耳が、脳が、限界に近い。
これをどうしたものか、と、私はチラリと旦那様を見上げると、その翡翠色の双眸と視線が重なった。
「これは?」
「あ……えっと、フレッツェル伯爵家の執事をしていたアルト・グレンディです」
「グレンディ? まさかグレンディ子爵家の……?」
さすが旦那様、そこに食いついてきたか。
「はい。グレンディ子爵家の三男です。三男ということもあり、小さな頃からフレッツェル伯爵家へ執事見習いとして過ごしてきたので、私とは幼馴染になります」
子爵家を継ぐのは長男、そして次男はそのスペア。
三男であるアルトは、スペアにもならないということもあって、幼い頃から執事への道を決められていた。
たまたま執事見習いとしてうちに来て、たまたま私と馬があって、たまたま幼馴染として育ってきたという、いわば腐れ縁だ。
それでもあの家で唯一、彼だけが私を畏怖することなく見てくれた。
その存在にどれだけ救われたか。
「あ、あの……旦那様……」
私がモゴモゴと口を開けば、旦那様は呆れたように「はぁ……」と一度ため息をついてから「ついでだ。そいつも連れて帰ればいい」と諦めたように言った。
「!! ありがとうございま──っ」
無理、限界……!!
感謝の言葉を最後まで送り切ることなく、私の身体は力を失い、ふらりと傾いて──「っ、おいっ……!!」──力強く長い腕に抱き止められた。
旦那様のおかげで倒れることのなかった私だけれど、呼吸が浅く繰り返されていく。
「はぁっ……はぁっ……」
「お嬢様!!」
「おい!!」
アルトと旦那様の声がすぐそばで聞こえるけれど、周りの雑踏と混ざり合って私の中心を刺激していく。
とりあえずここから離れたい。
すぐそばで心配そうに私を見つめる少年と目があって、私は彼に精一杯微笑んで見せた。
大丈夫よ、と。
「旦那、様……」
呼吸をなんとか整えながら、私は旦那様を呼ぶ。
「なんだ?」
「私、大丈夫、です。でも、ここにいたら私、ダメになるので……馬車へ……。帰り、ましょ」
やっとのことで紡ぎ出した言葉を聞き取った旦那様は表情を硬くしたまま頷き、そして──。
「ひゃぁっ!?」
私の身体は、旦那様の逞しい腕によってふわりと抱き上げられてしまった。
「だ、旦那様!?」
「歩けなさそうだからな。このまま連れていく。お前たち、ついてこい」
そう言って旦那様は私を抱きかかえたまま「また来る」と領民たちに一言告げて馬車の方へと歩き始めた。
あぁもう。
恥ずかしいけれど、背に腹は変えられない。
私は少年の方へと顔を向けると、手招きをし、こちらへついてくるようにと意思を送った。
ジェスチャーが正確に伝わったようで、少年とアルトは私たちの後をついて歩き出す。
そして私たち4人は馬車に乗り、公爵家へと帰って行った。
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