少年拾いました


 大きく揺れた後、すぐに馬車は停車し、御者席から「大丈夫ですか、旦那様、奥様!!」と声がかけられた。


「問題ない」

 旦那様はそれだけ声をあげて返事をし、それからすぐに視線を落として──「ッ!?」──固まってしまった。


「旦那様?」

「!! す、すまない!!」

 そう言ってまた飛び跳ねるようにして私を離し距離をとった旦那様。

 何度でも言おう。うぶか。


「いえ、大丈夫です。守ってくださって、ありがとうございます」

「っ、別に、そういうのじゃ……」

 こういうの、なんて言うんだっけ?

 えーっと……あ、ツンデレか。

 旦那様ってツンデレ気質だったのね。


「何かあったんでしょうか?」

 馬車が動く気配はなく、外から御者が何かを言っているような声だけが僅かに聞こえる。

「見てくる」

 そう言って腰を上げ扉を開けて外に向かう旦那様に「私も行きます」と言うと、私も後を追うように馬車を降りた。



「おーい!! 聞こえてるのか!?」

 私たちが馬車の外へ出ると、ちょうど御者席から御者が降りていくところで、御者が向かう先を見た私は思わず足を止めた。


 小さな背をこちらに向けて座り込んでいる──少年。

 御者が何を言っていても何も反応を示さない。

 それどころか気づいていないようで座り込んでぼーっと空を見上げていた。


 もしかして……。

「またか……」

 隣で旦那様がボソリと吐き出すように呟いて私が「また?」と尋ねれば、旦那様は苦々しい表情で私を見下ろして口を開いた。


「聴覚障害者だろう。聴覚障害者の教育は難しい。字を教えるのも根気がいるし、字を覚えたとしても紙の消費が激しく、平民の生活を圧迫してしまう。だから、捨てる親もいるんだ。この辺境の地にな」


 捨て……る?

 耳が聞こえないから?

 育てるのが難しいから?

 自分の子どもを?


 私は前世、耳が聞こえなくてもとても愛されていたと思う。

 少なくとも、耳が聞こえる今よりも、私は親に愛されていた。

 2人とも熱心に私に言葉を教えようとしてくれたし、時には専門家のいる言葉の教室に通ったりもしたし、手話だって一緒に覚えてくれた。

 “一緒に”乗り越えようとしてくれたんだ。

 私のハンデを。


 だから今旦那様から発せられた言葉が、私には信じられなかった。

 でもここはあの世界とは違う。

 機械が発達しているわけでもないから、紙を大量生産することも大変な労力を要する。だからこそ、そんなにぽんぽん買えるような価格ではないし、平民がそうそう消費できるようなものではない。

 と考えれば、ハンデを背負った人にとってはとても生きにくい世界なのだ。


 私はたまらなくなって、一歩ずつ、ゆっくりとその少年へと近づいた。

「お、おい!!」

 旦那様の声も無視して。


 そっとしゃがみ込んで、少年の肩へ自分の手を添えると、私の存在に気づいた少年がまんまるな栗色の瞳を私に向けた。

 瞳に見えるのは、驚き、不安、そして諦め。

 きっとこの子は、自分がどう言う状況になっているのかを理解している。


 持っていた小さなメモに「あなたの名前は?」と書いて手渡すも、それを見ても首を傾げるだけで、彼には理解できていないようだ。

 レイとは違う、文字の書けない子。

 

 完全に耳が聞こえない人に文字を教えることは難しい。

 事象に対して行動して見せて学ばせるしかないのだから。

 もちろん、前世では機械を使って僅かな聴覚を刺激したりする方法もあったけれど、当然ながらこの世界にそんなものはないものね。


 歳はレイより少し下、くらいかしら?

 よく見れば身体に打撲痕のような痕がある。

 虐待でも受けていたのかもしれない。


「旦那様、この子、一度屋敷に連れて帰ってもいいでしょうか?」

 気がつけば、私は旦那様にそう尋ねていた。

「は? なぜ?」

「この子の世界を、少しだけ広げてあげたいんです。お願いします!!」

 少年の肩を抱いて頭を下げる。


 わがままなのかもしれないと言うのはわかる。

 もしかしたら離縁されるかもしれない。

 静かな生活のために離縁されたくない、そう思ってきたけれど、今回はそれならそれで仕方がない。

 屋敷を追い出されても、この子を連れてひっそりとどこかで暮らそう。

 静かに暮らせたらいい。だから離縁を回避したい。

 そう思っていたけれど、私のそんな考えすらもひっくり返してしまうほどに、この世界の闇は私の心を動かしてしまった。


 私が真っ直ぐに旦那様を見上げ懇願するのを驚いたような表情で無言のまま見下ろしていた旦那様だったけれど、しばらく何かを考えた後、大きく息を吐き出して言った。


「……はぁ……。きちんと面倒は見ろ。この領内に捨てられたなら、もうこいつはうちの領民だ。拾った責任は最後まで取れ」

「!! はい!!」


 離縁を突きつけるでも怒鳴るでもなく、ただ少年のことを思うようなそんな言葉に胸を熱くしてから、私はできるうる限り表情を和らげ、少年に微笑みかけた。

 私は敵ではないと。

 私は味方だとわかって貰えるように。


 そして少しずつ顔の強張りが取れたのを確認し、少年を支えながら立たせると、私はその子を連れて馬車へと再び乗り込むのだった。

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