06:チビ野郎とウド野郎

 三十二年前 一九八六年八月

 七本槍ななほんやり市 七本槍中央公園 野外音楽堂


「すげぇ……」

 中学二年の夏、ライブイベントで会場もここ、七本槍中央公園野外音楽堂だった。何やらブッキング屋が取り仕切っていたイベントで、昼間は中学生バンド、夜には高校生バンド、社会人バンドのライブという割と大掛かりなイベントだった。

 おれはその日、初めて谷崎諒たにざきりょうのドラムを目の当たりにして、驚愕に打ち震えた。

 そこいらの高校生バンド、社会人バンドでもこの腕前は中々いない。だから、素直に出た言葉だった。

 だけれど、諒とは通う中学が違い、当時おれ達の街は三つの中学でくだらない縄張り争いなんかもしていた。だから、おれと諒の最初の出会いは殴り合いの喧嘩の場だった。

 北中の谷崎、といえばそれはそれは魔人の如く、呆れ返るほどにどうしようもなく強い奴がいる、というのはおれの中学でも有名な噂だった。だから、個人的な恨み辛みなど欠片もなかったが、ただアイツより強い、アイツには負けたくないという、大人になってしまえば本当にくだらないペラッペラのプライドとも呼べないものでしか物事を考えていなかった。

「どこがだよ。ただ手数が多いだけだろあんなもん。それに演奏だってバラバラじゃないか」

「周りのレベルが低いだけだ。それにバラバラなのはおれ達も大して変わんねぇよ」

 当時も練習はそれなりにしていたし、喧嘩に駆り出されるより、もっとベースを練習したいという気持ちに変わっていた頃だった。当時のバンドはおれみたいなやんちゃ者でも受け入れてくれたし、メンバーにそれなりに恩義も感じていた。当時世話になっていた小さな楽器店の店長、俗称『隊長』にも、馬鹿なことはさっさと辞めて音楽やれ、と口煩く言われていたものだった。

「一緒にすんじねぇよ。あいつらは三番目だけど俺らはトリだぜ」

 ただ、当時組んでいたドラムの奴だけはいけ好かなかった。おれと諒が喧嘩の場に立つといつも勝負がつかなかった。それが、諒がいた北中には負けていない、というこいつには無関係のはずのレッテルを自分にべったりと張り付けて、あの北中の谷崎と張り合う水沢みずさわがうちのバンドにいる、というワケの判らない自慢をするような奴だった。それがバンドの実力にでもなったかのような言い方におれは内心腹を立てていた。

「実力でトリになったとでも思ってんのかよ。めでたい奴だな、お前。だから巧くなんねんだよ」

「お前さぁ、何なんだよ」

 そんなつもりなど更々ないが、おれが手を上げればバンドはクビになる、という暗黙の了解を盾に取って、おれにも態度はデカかった。喧嘩をする気など勿論なかったが、こんな奴本気を出すまでもなくいつでも半殺しにできる、くらいには思っていたけれど。

「あ、悪ぃ悪ぃ。自分の姿勢も実力も棚に上げて僻んでるようにしか見えなかったから」

 おれはそう言い放ってそいつとの会話を終えようとした。

「てめえ!」

 我慢ならなくなったのか、そいつがおれに殴り掛かろうとした。その瞬間。


 けたたましい破砕音がした。何かが倒れて、何かが壊れる音。それと怒号。諒のバンドの演奏はぴたりと止み、そんな喧噪がおれの耳に飛び込んできた。

「え……?は?」

 ステージの袖から会場を除くと、数人、鉄パイプや金属バットを持った連中が我が物顔でのさばっていた。

「おらおらぁ!やっちまえ!」

「うぉらー!」

「え、なにこれ……」

 ブルったドラマーが震えた声を出す。所詮この程度の奴でしかない。おれもこのバンドからは抜けた方がお互いのためかもしれない、などとこの時には思ったかもしれない。

「いわゆる荒らし、ってやつか」

 ギターの松井まついだったかボーカルの猿渡さわたりも戦々恐々として小さく呟いた。

「だろうな。あいつ、相当あちこちから恨み買ってんじゃねぇかな……」

 それは多分おれも同じだ。うちの中学と北中と南中、縄張り争いは三つ巴。おれも自分がぶっ飛ばしてきたヤツの人数なんて覚えちゃいない。それは諒も同じで、きっと南中の連中が今日この場に、前谷中学の水沢と北中学の谷崎がいる、とどこかで聞いたのかもしれない。

「おーおー、水沢もいんじゃねえかよ!」

「……長江ながえか」

 元南中だった二つ年上の奴だ。確か一回はおれが、二回は諒が半殺しにしているはずだ。懲りないという点ではうちの学校にも噂が伝わってくる奴だったが、コイツ本人はとにかく口だけの弱い野郎だった。

「めっちゃくちゃにしてやっからよ!指でもしゃぶって見てな」

 総勢で十五、六人ほどを連れいるからなのか、今日もやけに威勢だけは良い。

「くわえてだろ、阿呆が」

 諒がドラムセットから立ち上がり、長江に向かって行った。

「るせぇ!」

「あの野郎、一人じゃ何もできねえくせに……」

 おれも長江の卑怯なところが大嫌いだった。だから袖から出て、諒に加勢した。



 おれも諒も中々にイイ面になったころ、長江はべそかいて喚き散らした挙げ句、諒の手加減ナシの蹴りをもろに腹で受けて動けなくなっていた。残るは四人。体中痛いし、口の中は血の味しかしない。ただ、ステージ上の器材にだけは手を出させないようにしたし、スタッフも機材は舞台袖に隠してくれたので、そっちの被害はなかったはずだった。そして恐らく、警察にも連絡は行っていたのだろうが、警察は来ない。当時のこの街の警察官は当てにならない人間ばかりだった。何度か補導もされたし、何度殴られたかも判らない。

「……よぉ、災難だったな谷崎」

 まるで他人事のようにおれは言った。まぁ最初に狙われたのが諒だったというだけで、おれも標的には入っていたんだろうけれども。

「ジゴージトクっつーんだろ、これ」

「頭イイじゃん」

 鼻血は出てるし口の中は傷だらけだし頬は腫れてるしでちょっと発音がおかしかったが。

「癪だけど客が少なかったのはラッキーだったぜ。あと六人、なんとかなっか?」

「二人はおれんとこのメンバーだ。一人は逃げたみてぇだけど」

 松井と猿渡はことの顛末を見守っていたのか、震えあがって動けなかったのか、逃げなかった。ただドラムの奴だけは一目散に逃げて行った。喧嘩寸前にまで言い合いしたおれが、奴を守ってやる義理なんて欠片もなかったし、手間も省けたので正解と言えば正解だろう。

「あのクソみてぇなドラム叩くやつか!」

「そーそー、お前のドラム見て大したことねぇとかほざいてたぜ」

 誰が見たって一目瞭然だった。それだけ諒のドラムは群を抜いていた。当時からおれは自分が巧いとは思ってはいなかったけれど、あんなドラムにベースを乗せられたら、どんなに気分が高揚するだろう、と思うほどに。

「なんであんなクソドラムなんかと組んでんだよてめぇは!」

 意外と言えば意外な言葉におれは一瞬言葉を失った。今でも良く覚えている。

「……は?し、仕方ねぇだろ!こんなことばっかやってて相手にされねんだから!てめえだってそうじゃねぇのかよ」

 おれだってもっとちゃんと対等に付き合える奴とバンドを組んで、もっとちゃんとベースを弾きたかったんだ。中学生風情がたかだかこの辺のごろつきの中で一番強くなったところで、そんなものに何の魅力も感じていなかったことに、おれは気付いてしまった。

「かっ、ジゴージトクじゃねえか!」

 そう言って、背後に迫っていた一人を殴り倒す。

「はっ、お前が言うかよ、それ!」

 倒れた奴の腹を思いきり踏みにじっておれも返す。そもそもこの日、この場におれと諒が雁首揃えて趣味に講じていたことが要因の一つでもあったはずだ。だから、確かに自業自得だった。

「大体てめぇとはあん時の勝負だってついてねんだからなぁ!」

 鉄パイプを持った奴が大きく振りかぶっておれを狙ってくる。今思えばあんな一撃をまともに受けたら病院送りでは済まなかっただろう。考えなしの馬鹿な行動に、当時はビビりもしなかった。半身になって上から降ってきた鉄パイプを躱すと、がつ、と鉄パイプがコンクリートの地面に激突する。相手の下がった頭から目を放さずにそのまま回し蹴りを側頭部に叩き込む。ぐらり、と揺れて倒れこむ男の腹をサッカーボールでも蹴るかのように手加減ナシで蹴り飛ばす。おぐぇ、と苦しそうな声を上げてそいつも動かなくなる。あと二人。

「馬鹿、ありゃあおれが引き分けにしてやったんだろうが!」

 いつのことだったかは今では思い出せないけれど、ともかく、おれと諒のタイマンはいつもおれも諒も動けなくなるまで続いた。だから多分、そんなこともあったと思う。

「ざけんな!オレの方が手ぇ引いてやったんだろうが!」

 でかい体の割に機敏に動いて一人を羽交い絞めにする。おれは羽交い絞めにされた奴の鼻、顎、鳩尾をぶん殴って、股間を蹴り上げた。

「どけっ!」

 諒が言っておれは訳も判らないまま横っ飛びする。すると、おれがぶん殴ったせいで羽交い絞めされたまま動けなくなっていた奴を、文字通り、おれを背後から襲おうとしていたやつに向けて、ぶん投げた。恐るべき馬鹿力。

「先に手ぇ退いたんならお前の敗けだよなぁ!おれは勝ってたのか、そーかそーか!」

「はぁ?てめぇがもっかい勝負し直しだっつったんだろうが!」

 そんなこと言ったかどうかももはや定かではないけれども、ともかく脱力しきった人間の文字通りの体当たりを食らった奴も動かなくなった。多分動けた奴も多かっただろうが、気絶した振りをしてやり過ごした方が安全だと思っていたのかもしれない。

「おれは別にあのままやってたって勝ってたけどな!」

 びし、と諒に中指を立てる。あの時は多分本当にそう思っていたかもしれない。

「ほざけクソチビ野郎が!」

 当時の、おれに対する禁句。後から聞いた話だけれど、前谷中学の水沢にチビは禁句、という噂が立っていたらしい。なので諒がそれを知っていても不思議はなかった。そしておれも、同様の噂は聞いていた。

「てめぇ……今、なんつった?このウド野郎が!」

 今度は諒に向かい、おれの目線くらいの高さにある諒の胸倉を掴み上げる。

「あぁ?てめぇこそ今なんつったぁ!」

 諒もおれの胸倉を掴み返して、おれの足が一瞬地面から浮く。鼻っ柱に頭突きでも食らわせやろうかと思ったその瞬間。

「こ、こっちです!」

 ぶるって動けなかったのかと思っていた松井と猿渡が誰かを連れてきていた。

「あーあー、なんだこりゃ。ひでえなんてもんじゃねぇなぁ」

「た、隊長……」

 おれも諒も世話になっている小さな楽器店の店長だった。いつも眠たそうな半開きの目を珍しく見開いて、隊長が嘆く。隊長の店もこのイベントに協賛していたらしい。

「はぁ……。とりあえず事情は今聞いた。非はお前らにはなさそうだってこともな。諒は災難だったな。だからこういう馬鹿なことから足洗えっつったんだよ。貴もだぞ」

 おれと諒が隊長の店でカチ合うことはなかったけれど、隊長からは諒の話は聞いていたし、それはどうやら諒も同じだったらしい。

「う、うす……」

 これも良い機会だ、と思ったのは間違いなかった。この時には既に諒のバンドメンバーは全員逃げてしまったし、残っていたのはイベントスタッフと隊長、ギターとボーカル、それとおれと諒だけだった。おれ達にやられて、動けるようになった奴と、ハナから気絶した振りをしていた連中は全員、わらわらと逃げて行った。

「まぉとりあえず機材に手ぇ出させなかったのは偉い。んで、コイツらは族か?」

「そっすね。あいつが二個上の奴で、族に入ったって話は聞いてました」

 やっと動けるようになったのか、長江が怯えた顔をこちらに向け、のそのそと立ち上がった。おれは落ちていた鉄パイプを拾い上げ、自分の肩にとんとん、と当てながら長江ににじり寄る。

「ひ」

 短く悲鳴をあげて脱兎の如く逃げ出す長江を追う気にもなれず、おれは鉄パイプを客席の脇に置いた。パイプ椅子が倒され、飛ばされた辺りに、財布らしき物を見つけたおれは、躊躇なくそれを開いて中を確認する。中には免許証が入っていた。しかも原付だけの免許証で長江の物に間違いはない。この襲撃の首謀者の身分証明書を手に入れた。

「隊長、いいもん見っけた」

「ん?」

 畳んだ財布の上に免許証を乗せてそれをそのまま隊長に渡す。

「これ。こいつが何人も連れてきて暴れ始めた奴。奴自身は族だろうけど入ったばっかの下っ端に族連中は付き合わない気がする」

 それにあの卑屈な性格だ。原付の免許しかないなら馬鹿にされるだろうし、オートバイだって持っていたのなら自慢気に乗り回してくるだろうし。多分去年まで幅を効かせて言うことを聞かせていた後輩ばっかりを族のネームバリューだけで動かしたんだろう。

「ほぉ、そいつぁでかした。これなら報復も抑えられんだろ。ま、あっかもしんねぇけど。その辺は俺がナシつけといてやっから、お前らはとりあえず帰れ」

 おれは演奏できなかった訳だし、出演料も払い損だけれどこればかりは仕方がない。諒の言う通り、自業自得でもあったし、その自業自得に他人を巻き込んでしまった。おれと諒以外に怪我人がいなかっただけでも上出来すぎた。

「え……」

 諒が微かに反駁の声を上げた。

「これ以上ここにいてどうすんだ。今日は夜の部だってあんだぜ。今更中止になんてできっこねんだから、あとは大人の仕事だ」

 確かに子供だったおれ達にはやれたとしてもせいぜいが倒れたパイプ椅子の片付け程度だった。だけれど、諒はそれで抵抗の意思を見せた訳じゃなかった。

「や、でもさ隊長、こいつまだ演奏してねぇし……」

 一瞬耳を疑った。

「谷崎」

 自分達の演奏だって中断されたというのに、妙なところで義理堅い。そもそも義理堅くなければ学校同士でのいさかいになどに力を貸さないはずだから、元々がそういう性格なんだ。

「んなこと言ったってドラムは逃げちまったんだろ?俺を呼びに来たこいつらだって震え上がっちまってんだ。無理な」

「ドラムならオレがやる」

 隊長の言葉を遮って諒は言った。

「え、やるったってお前、曲……」

「おまえらだって殆んどがコピーだろ。一曲あるオリジナルは……。頭に来っけどオレの頭ん中に入ってる」

「は?」

 確かに諒が言った通り、中学生時分でバンドをやっている連中はまだプロのアーティストのコピー曲が多い。おれた達には、おれが悩みに悩んで創ったオリジナルソングが一曲だけあって、それをライブでもやっていた。

 その、おれのオリジナル曲の構成が諒の頭の中に入っている、という意味なのか、真意をつかみ損ねた。

「てめぇも同じなんじゃねぇのかよ」

 多分だけど、同じなんだろう、という思いはあったと思う。だけれど、何に対してかを言い当てるには色々なものが邪魔をしていたんだ。

「色々すっ飛ばしてそういうコト言うんじゃねえよ。意味判んねんだよ……」

 諒の真意を確かめるためにわざとそんな台詞を吐く。

「てめぇには実際個人的な恨み辛み、金の貸し借りもねぇ。タイマンは別に張ってもかまわねぇけど、それこそソレに意味なんてあんのかよ」

「……」

 そう。そんなものになんて何の意味も見出せなくなっていた。おれは、もうこの時には既に、諒とは喧嘩ではなくバンドをしたい、と思っていた。

「決着着かなかったインネンはあっかもしんねぇけどよ、そんなもんどうでも良くなるくれぇ、オレはてめぇの創った曲、すげえって思ったんだよ……」

 こうまで素直に出られちゃあ、おれもそれに応えるしかなくなる。

「……やっぱ同じ事思ってたんだな」

「……」

 諒はそっぽを向いて頷いた。可愛いところもあるもんだ、なんて言ったらそれこそまた喧嘩になってしまう。おれはこの場に残った松井と猿渡に視線を飛ばした。

「あのさ、松井、猿渡これで最後にすっから、最後に一曲だけ、付き合ってくんないかな。今までおれのこと、警戒させたままだったけど、これでお前らとも最後にするから……。頼む」

 言っておれは頭を下げた。勿論おれはバンドにいる間に、この二人には気遣いを怠らないようにしてきたつもりだったし、二人が嫌な思いをしないように、馬鹿なども一切しなかった。

 だけれどおれはそんな馬鹿どもしかいない世界から、急にバンドに舞い込んできたただの馬鹿でどうしようもないろくでなしだ。何か言ったらすぐキレるんじゃないか、という不安はありありと感じられた。

「別に水沢君だけが悪いって思ってた訳じゃないし、おれは、いいよ」

「……そうだな」

 猿渡と松井は一度顔を見合わせてそう言ってくれた。不安にさせたことはあるだろうけれど、それでもこの二人に気を配っていたことは無駄にはならなかった。

「猿渡、松井、ありがとう」

「い、いいよ頭なんて下げなくて」

 もっと早くに色々なことに気付けていたら、確かに二人には頭を下げることはなかったのかもしれない。でもその代わり、諒と組むこともなく、今のおれは存在していなかったかもしれない。今となっては残された現実しかない訳だけれども、すべて正しい道を選んできたからここにいる訳ではないことは確かだ。

「ま、一曲くらいならやれんだろ」

「ありがと、隊長」

 おれと松井達のやり取りを見ていた隊長が腰に手を当てて嘆息する。

「これに懲りたらきっちり足洗えよ、貴も諒も」

 そう笑って隊長は客席の一番奥に設えられたテントへと向かう。PA卓をいじって中音なかおとの調整をしてくれていたのだが、そんなことまでできる人だとは、この時まで知らなかった。

「うっす!……谷崎、悪い。頼めるか」

 今度は諒に向き直り、おれは改めてそう言った。

「谷崎、じゃねえよ」

「……諒、頼む」

 何のことかと思いはしたがすぐに思い当たって、この時、おれは初めて諒の名を呼んだ。

「頭なんか下げんな馬鹿。やるぜ、貴」

 妙な照れ笑いを浮かべ、諒はステージに上がると、ドラムセットについた。



 二〇一八年八月二〇日

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 バー Ranunculusラナンキュラス


「すごい!漫画みたいですね!喧嘩の後に芽生える友情!こんなことがあるなんて!」

 きゃ、とでも声が出そうなほどにはしゃいでいる。こんな六花りっかを見るのは初めてのことだった。いつもは凛とした大人の女性の佇まいだが、こうした可愛らしい女の子の部分も当然、あるということか。

「六花さん、酔ってます?」

 ま、まぁ変に大人びた反応をされても困るし、このくらいの反応の方が話した甲斐もあったというものだろう。中々にレアな六花を見ることができて僥倖だと思うことにしよう。

「流石にちょっとハイになってしまいました」

「まぁなかなかない経験だとは思うけどね」

 悪い意味で。

「中学生の時のお話ですもんね、これ」

「まぁね」

 信じられないかもしれないだろうけれど、これが事実なんだよなぁ。

「でもアラフィフだろうとなんだろうと、カッコイイですよ。特にロックバンドなんていうものを生業にしている方のお話なら」

「お、おぉ、そりゃどうも」

 ま、スポーツ選手の美談には敵わないし、泥にまみれてるけれどもね。でも六花にそんな風に言ってもらえると、なんだかちょっとだけ誇らしい気持ちにもなる。

「はぁ~、わたしにもどこかにいませんか、そんなかっこいい人!奥様が羨ましいです!」

 これは、完全に酔ってるな。それとも素なのだろうか。Ranunculusのオーナーとしてのプライドや、店の風格を崩さないように自分を取り繕っているのだとしたら気丈な女性だ。

「そう面と向かってあけっぴろげに言われるとおっちゃん困っちゃうぞ」

 仮に酔っているとはいえ、六花ほどの美人にそう言われると、なんだか鼻の下が伸びて、完全に緩んだ顔になりそうだ。そのまま帰っても涼子さんに顔向けできなくなってしまう。むにむに、と自分の頬をつまみ、大して良い男でもない顔を引き締める。

「は、わ、私としたことが、すみません……」

 ぼん、と音が出そうな勢いで赤面して六花も自分の頬に手を当てる。いつものクールビューティーな六花とは真逆で良い物が見られた。

「ま、六花くらいイイ女なら焦らなくてもいい奴が見つかるさ」

 とは言え、中々六花クラスの女性を満足させられるだけの男もいないのかも知れないな。悪し様な言葉をあえて選ぶなら、六花は相当な上玉だ。

他人事ヒトゴト……」

「否定はしないが……」

 世の中には不思議なくらい、イイ女なのに独り身でいる子がいる。そういう人間には何か致命的な欠点があるのだ、という言葉も良く耳にするけれど、六花に限ってそんなことはなさそうな気もする。い、いや、六花くらいのイイ女になるとまたそれはそれで間口は狭くなるものだ。良くも悪くも己を自覚している人間では、六花は高嶺の花だと感じるだろうし、自覚もなしでアタックするような馬鹿は六花のお眼鏡には叶わないだろう。

 仮に、おれが独り身だとしても、六花にアタックする勇気は、正直無い。まぁそれは本気で六花に惚れている想像ができないからなのだけれども、ま、だとしても思いの強さを抑えきれずに、その思いの丈をぶつける、くらいの気概がない男では、六花を支えることもできないだろうな。だからこそこの六花の美貌は、多くの男にとって高い高い壁になる訳だ。

「その御身故……」

「はい?」

 美人は美人で苦労もあるんだろうなぁ。本当に夕香大明神は良くあんな馬鹿と結婚したもんだよ。それも大明神故、なのだろうけれども。ワルタと玲香もそうだなぁ、そう言えば。

「別に安売りしろとは言わないけど、受け皿は広く……。いや、おれ如きにそんなこと言うんだから広いのかもしれないけど……」

 情けない話だが、男として見た目でおれを選ぶ女に、見る目があるとは思えない。その一点だけで言うなら、それは我が女神も一緒。カッコイイとかイケメンとか言ってくれるけれど、それは痘痕あばたえくぼというやつで。

「選り好みしてる、と?この私が?」

 ぎょろり、と音が出そうな視線で六花がおれを見る。いや睨む。

「今、その六花さん、めっちゃ怖い。おれでも逃げ出したい」

「えっ……」

 両の頬に手を当てて六花が驚愕に目を見開く。自覚してないのかよ。怖いよ。

「もしかしてさ、素だと案外顔に出るタイプ?」

 おれが知っている古舘ふるだて六花という人間はバーRanunculusのオーナー兼バーテンダーとしてだ。当たり前のことだけれど、ひとりの女性としての六花をおれは知らない。

「ポーカーフェイスを身に着けるのに四年近くかかりました。酔っちゃうとまだダメですね……」

 お店を開くために勉強も訓練も怠らなかったという訳か。そうしたまっすぐさが、まっすぐすぎて、男が近付き難い印象になってしまっている可能性も充分に有り得そうだなぁ。

「善し悪しだなぁ……。あんまり素顔を隠すのは良くないとおっちゃんは思いますが」

「理解を深めたい、と思う人に出会えれば、それは留意しているつもりなんですけれどね……」

 なるほど。でも出会いはお店をやっている以上あるだろうし、別にお客と店員という関係から懇意になったって良いだろうと個人的には思う。そのあたりはあまり良しとはしないのだろうか。

「ま、でもまだまだ若いんだし、いくらでも出会いはあるよ」

 生かすも殺すも六花次第ではあるけれど。

「ヒトゴト……」

「否定はしない……」


 06:チビ野郎とウド野郎 終り

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