07:愛するひとのための、あと自分のためのこの命

 十九年前 一九九九年五月

 七本槍ななほんやり市 七本槍中央公園 野外音楽堂


「いやはやー、青臭いねぇ……」

 ひとしきり玲香れいかに聞かせて一息つく。話し終わってから、もう少し時間も経てば立派に若気の至りで笑い話、なんて思える日も来るんだろうか、と聊か疑問に思ってしまった。

「男性の、男の子の部分は理解に苦しみます」

 玲香はそう言って、あぁ、何ということだろう。あろうことか、おれが玲香のために買ったベビーカステラを五個も一気に口に押し込んでいるではないか。何と恐ろしい光景だろうか!

 本当に好きなんだな、ベビーカステラ。

「ま、男の中に男の子がいるって判ってくれるだけでもありがたい、かな」

 もふもふと笑顔でベビーカステラを咀嚼する玲香におれは言う。色んな自慢をしたがるのが男の子であって、それがどんなに取るに足らないことであったとしても、笑ってやるのが女の愛嬌。

 なんてのは男が女に求めすぎか。涼子がそうしてくれるものだから、つい甘えた考えが出てきちゃうな。

「ほれふぉかあうい」

「飲み込んでからにしなさい」

 玲香の意外な可愛らしさに苦笑が浮かぶ。

「……ぷは。それを可愛い、と思えるにはまだまだ修行が足りないということですね」

 詰め込みすぎて突っかかったのであろうベビーカステラを冷たい麦茶で流し込むと、神妙な面持ちで玲香は苦笑した。つまるところ、思うところのある相手にそうした男の子の部分が強く垣間見えるのだからこそ。

「知って、理解して、納得までする必要はないんすよ、玲香さん。まったくもう、って苦笑してやれば男はそれで満足するもんです」

 すまん。多分おれの理想を押し付けてしまったかもしれない。でも、そうしてもらって悪い気になる男はきっといないはずだし。

「それもまだ、難しいですね……」

 あんな悪態吐きながらワルタを食事に誘うんだから、玲香のツンも相当なものだ。

「でもな、女の方にそうでもしてもらわないと、男側が……」

 言ってりょうを指差す。

ひびきのドラマん時も思ったけど、身悶えるってこういうことな」

 自分の肩を抱くように諒がわざとらしくぶるぶると震えて見せた。うん、気持ちは判る。凄く判る。この場に響がいたのなら、響の話題にすり替えてしまいたいほどに。

「いいじゃない、青春してて!」

 少し酒が入って陽気になっているのか、我が女神涼子さんが随分と嬉しそうに言う。本当に今となっては笑い話にできてはいるけれど、涼子りょうこ自身、巻き込まれそうになったことだって何度かあったのに。

「駄目よ涼子、こういうのは本人達にとっては黒歴史なんだから」

 苦笑しつつ夕香ゆうかがフォローを入れてくれる。良く判っていらっしゃる。流石は夕香大明神。ただ、黒歴史にはしたいものの、自分の中に蠢く男の子が武勇伝にしたい気持ちもそこはかとなく残ってはいる、という非常に筆舌尽くしがたいもどかしさがまた問題なのだよ。

「えぇ、私は男の子っぽくて好きよ、貴と諒君の話」

 そうなのだ。男の子とはそうしたもの。まだ三〇にも満たない若造であることには変わりないのだ。とはいうものの当時、実害はなかったにしても、涼子にも迷惑をかけたことはあった。涼子、夕香、諒との四人でいるところに、他校の生徒から絡まれたりしたことは一度や二度ではなかった。

 だからこうして涼子自らが笑い話にしてくれる気遣いは正直有難いな、と思ってしまう。

「さてさて、大したバンドもいなかったし、あとはバラシだな!」

 人気の少なくなってきた野外音楽堂を見渡して諒が言う。

「うっし!じゃあおれももうちょっとだけ労働者に戻りますかね!」

 あと少し、会場の後片付けが終わるまでは付き合わなければ仁義を欠くというものだ。

「バラシまでは依頼してないわよ、貴ちゃん」

 確かに夕香の言う通り、ライブがスタートするまでのローディーとワルタの監督が今日のおれの仕事だった。つまり、ライブがスタートした時点でおれの今日の仕事は終了しているのだが、それで帰ってしまってはローディーとしても参加した訳だし、他のローディー達にあまりにも薄情というものではないか。

「今日の職長はワルタだからさ、最後まで見張ってないと何しでかすか判ったもんじゃないじゃん」

 と、言いつつダシに使って悪いな、ワルタ、と心の中で詫びておく。そういえばワルタにもコーラ買っといてやんねぇと。

「じゃあ勤務中にお酒呑んだってことで良いのかしら?」

 は、し、しまった、それは確かに良くないな!特に酔ってはいないけれども、今日は運転もしないし仕事に支障はない!はず!それにあれ、矛盾してるけど仕事終わってから呑んだことには変わりないから!

「そ、そこはほら、ここからはバイト代別にいらないから多目に見て!」

「馬鹿ね、冗談よ」

 ふ、と笑って夕香大明神が言う。こういう笑顔を見るとつくづく美人だなぁ、と夕香の美しさに感嘆する。高校生の頃から飛び抜けて大人びた子だったからな、夕香さんは。我が相棒ながら良くこんなイイ女を口説き落とせたもんだよ、諒ちゃんも。

「じゃあみふゆ、お父さんこれからもうちょっと仕事だから先に帰ろっか!」

 ここからなら我が家もすぐそこだ。女神も天使も気を付けてお帰りあそばせ。

「えぇー、一緒じゃないの?」

「ごめんなー、何かお土産買ってってやっから、先に帰っててな」

 嬉しいことを言ってくれるじゃありませんか。あと十年もしないうちに「お父さん臭いから洗濯物別で洗って」とか言われる日が来るのかと思うとマジで絶望に打ち震える……!

「判ったぁ」

 ひし、と足にハグしてくる我が子に後ろ髪を引かれるが、まぁちゃっちゃと片付ければ良いだけのこと。

「みふゆちゃん、またね」

「うん、しゅう君またね!」

 将来の旦那様候補、今のところナンバーワンの愁にパタパタと手を振り、愁もまた手を振り返す。夕香に似て顔立ちが整ってるんだよなぁ。近い将来イイ男になること間違いナシだ。ほんと、みふゆにも言えることだけれど、父親に似なくて良かった。

「近いとはいえ、気を付けてな」

「うん、貴も」

 娘ちゃんが愛するお方とのご挨拶をしているのでこちらも。

「あぁ」

 涼子の何気ない笑顔。その何でもない、いつもの会話の、いつもの笑顔。それでも感じる幸せに、気付く。

 何故おれの隣にいてくれるのか。それは涼子自身が答えとなって、おれに寄り添ってくれている。何度も何度も失敗して、何度も何度も泣かせてしまったことだってある。それでも、今、こうして涼子はおれに笑顔を見せてくれている。

 おれが守るべきもの。

 おれが立って歩くために、おれの支えになってくれているもの。そしておれが支えるべきもの。 

 今の、この、宙ぶらりんのままでは、いつか失ってしまうかもしれないもの。

「……ん?」

「あ、あぁ、なんでもない……」

 いつもの、何気ない、でも、心の底から大好きな涼子の笑顔に、つい見惚れてしまった。私見でしかないけれど、こういう時の涼子は大明神すら軽く凌駕するんだ。

「何年ラブラブ夫婦やってんのよあんたら」

 嘆息交じりで大明神が呆れたように言う。

「うらやましい?」

 自慢気に、満足そうに、自信に満ち溢れた笑顔で言う涼子を見て確信する。

「べっつに!」

 照れ隠し意外の何物でもない口調でそっぽを向く夕香。

「心底うらやましい!」

 馬鹿みたいな相棒。

「旦那様は正直みたいよ」

 それでもこんな、高校時代から少しも変わらない軽口の飛ばし合いに、何の特別な事もないただの日常に、おれ自身の生きる意味が、特別な意味がある、と思い知らされる。

「いいから!気を付けてさっさと帰りなさい!」

「はぁい」

 小さくおれに手を降って歩き出す涼子とみふゆを見て、決心した。

 今日、今からが、動き出す時だ、と。



 二〇一八年八月二〇日

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 バー Ranunculusラナンキュラス


「それで-P.S.Y-サイの結成というか、貴さん自身の活動復帰、ということになったんですね」

「ま、そういうこと」

 あの時の自分自身の決断が正しかったかは、まだ判らない。だけれど、間違いではなかったと信じられる。今涼子とみふゆが笑顔でいてくれること。今こうしてバンド活動もできて、家族とも友達とも、若い子達とも楽しくやれていること。そしてこんなくだらない話をしながらも、最高に旨い酒が呑めること。そうしたことを幸せだと実感できる今があるからこそ、あの日の決断を間違ったものにしないために日々動いていることもある。

 もしかしたら近いうちにみふゆと愁との結婚話なんかも出てくるかもしれない。ちょっとはやってみたかった「お前などにうちの娘はやらん!」は、やったところで冗談としか取られないくらいにおれと愁は親密な関係だ。

 洗濯物は分けられることもなく、一緒に洗ってくれておれの闇落ちもどうやら防がれた。

「やっぱり家族って良いですねぇ。守らなくちゃいけない存在であって、自分を支えてくれる、守ってくれる存在でもあるなんて、素敵です」

 とはいうものの、ありていに、当たり前に、家族がいるから頑張れる、というのはほぼほぼ支えられているだけのような気がする。だからこそ、何かを返したいという気持ちに駆られることもある。

「ま、おれが守るってよりは、おれが失いたくないもの、って所だね。自分で言うのも不謹慎だけどさ、最悪おれに何かあったとしても、二人ならやってけるだろうし」

「……そんなことないですよ」

 ふ、と目を細め、六花は言った。

「そうかね」

 その表情に思うところがない訳ではない。これ以上はやめておいた方が良さそうだ。それに自分にもしものことが、なんて話、面白くもなんともない。

「そうです!はぁ、良いですねぇ、家族。私にもそんな日が来ることがあるんでしょうか」

「……まぁ一人、候補がいないでもない」

 言って真佐人の顔を思い浮かべる。真佐人とは真佐人が高校生の頃からの知り合いで、当初はバンド小僧だった。知り合ってから割と早い段階でEDITIONエディションでアルバイトをはじめ、そのまま正社員となった、今ではEDITIONナンバーワンの実力者でもある。

 今となってはワルタも真佐人に次ぐ実力者だが、もしも真佐人がいなくなったとしたらEDITIONは大打撃だ。基本的には温厚で穏やかで面倒見も良いが、曲がったことが嫌いで、意外と融通が利かない実直な性格はもはや愚直とも言える。社会人になってからはバンドはしていないようだけれど、時々ギターを試奏するときはえらく楽しそうに弾くのが印象的だ。

「っ!」

「ま、まって、そんな期待した目で見ないで!イケメンじゃない!いやブサメンではない!だがイケメンというにはちょっと」

 そう、イケメンとは言い難いが、決してブサメンではない。今年で四〇か?になるくらいのはずだが、なぜ今まで浮いた話がないのかが不思議なほどではある。六花が三十代半ばなら年齢的には申し分ないだろうが、問題はお互いのフィーリングだ。

「明日連れてきてください」

「明日ぁ!」

 完全におれが言い終わる前に被せて六花が興奮気味にまくし立てる。いやまぁおれは大丈夫だけど、真佐人が空いてるかは訊いてみなくちゃ判らない。それに真佐人が彼女を欲しがっているなら良いけれど、その気がないなら真佐人にも六花にも悪い。

「明日もお待ちしております」

「どこぞのラーメン屋のどんぶりですか」

 ま、でもとりあえず六花さんのためにも一肌脱ぐとしますかね。これも商店街活性化のきっかけだ。

「あ!〆にラーメンも良いですねぇ。貴さん、奢りますから行きましょう!」

 お酒の席で馴染みの客の昔話に、恋人候補の話まであってはいつもクールな六花であっても浮足立つのもなのかもしれない。それにいつもの六花もクールで良いけれど、おっちゃんはこっちの六花の方が自然体な感じがして結構好きだぞ。

「それはつまり、閉店まで付き合えということね……」

「貴さんの話だってまだ終わってないんですし、そのお方のお話ももっと聞きたいですし……」

 そうだろうそうだろう。恋人候補になるかもしれない真佐人の話は是非とも聞きたかろう。

「貴さんの話、完全についでになったな?」

 わざとニヤリと笑って言ってやる。いやはや、こんなクールビューティーにも可愛らしい女の子の一面がちゃんとあるなんて。いや、本当はごく当たり前のことなのかもしれないけれど、隠そうとして隠されたもの、それも女の子のことともなれば、ただでさえ野暮天でにぶちんの五〇に手が届きそうな初老にそれを見抜けというのも厳しかろう。

「そ、そんなことはありません」

「ちょっとにやけてますよ、六花さん」

「う、私としたことが……」

 自覚ありかよ。ま、でもそれも良い兆候だね。五〇の初老の昔話より真佐人の話に夢中になってくれた方が良いってもんさ。

「ま、ともかく、今奴が彼女欲しいか訊いてからだな」

「それは、そうですね!でも明日は連れてきてくださいね!」

「候補にならなくてもお客として来てくれれば良し。それとも真佐人にその気がなくとも六花さんの魅力でその気にさせる?」

「両方です!」

 くい、とサムズアップしてとても良い笑顔を見せてくれる。ほんと、何でこんなイイ女、放っとくんだろうねえ、七本槍の男どもは。

「そこまで言うなら了解ズラ!」

 おれも六花にサムズアップを返して自然と笑顔になる。

「それに私が一方的に好きになる、なんてパターンもあるんじゃないですか?」

「それでもいいんだ」

 ほほう。どうやら気概があるのは六花の方かもしれないな。真佐人には悪いが一晩つきあってもらうとするか。いや、六花みたいな素敵な娘が彼女になるかもしれないんだ。悪いなんてこたないな。

「成就するばかりが恋、じゃあありませんからね」

「そいつぁまた大人だね」

 なるほどなるほど。ちょっとばかり意味深な気もするけど、とにもかくにも恋がしたいという訳か。

 でもま、女の子はこうじゃなくちゃね。


 07:愛するひとのための、あと自分のためのこの命 終り

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