05:認めたくない若さゆえの過ちは誰にでもあるんだよ

 十九年前 一九九九年五月

 七本槍ななほんやり市 七本槍中央公園 野外音楽堂


 なんだかんだで無事にライブはスタートを切った。おれ個人の仕事としてはお役御免といったところだ。陽も落ちる頃になると、涼子りょうことみふゆもライブを見き来てくれていた。

たか、お疲れ様」

「お、妻と娘!」

 白いブラウスにカーキ色のジャンパースカートにミュール。涼し気でとっても可憐で、すごく可憐だ……。可憐すぎるよ涼子さん。それと、ペパーミントグリーンのキャミワンピ。どうやらみふゆは去年あたりから自分のパーソナルカラーを緑と決めているらしい。気に入った色なんだろうな。そのお気に入りの色をまとった姿はまさしく天使のような愛らしさだ。

 いや天使そのもの!

「お父さーん!」

「おーぅみふゆ!」

 駆け寄ってくる天使のハグを受けてからくるりと百八十度体の向きを変えさせて両脇に手を入れると、ぐん、と勢いを付けて持ち上げる。流石にちょっと重くなってきたな。持ち上げてふわりと浮いたみふゆが足を開くと、その間に頭を入れて肩車の出来上がり。

「よ、お疲れ」

 肩車をして少し歩くと、正面から見覚え有りまくりの身長一八四センチメートルが声をかけてきた。我が株式会社GRAMグラムの代表取締役社長、谷崎諒たにざきりょうだ。手には何やら紙の手提げ袋を持っている。

「おろ、今日は代取も来てたか」

「諒君、こんばんは」

「諒兄ちゃん!こんばんは!」

 口々に諒を迎える水沢一家。涼子には敬礼を崩したような挨拶で手をひょいと上げる。そしてその手はおれの頭の上にいるみふゆの頭をガシガシと撫でた。

「おー、みふゆぅー!お父さんの肩車じゃ低いから諒兄ちゃんがしてやるぜ!」

「するー!」

 そう言いながらおれから天使を奪い、肩車をする。ちきしょうこの野郎。こいつがいるといつもこうだよ。

「おぉ、さすがにしゅうほどじゃねぇが成長してきやがったなぁみふゆも!」

「……」

 確かにワタクシ男の中では身長は低い方だけれども、諒と比べたら大抵の奴は小さい。だから気にしてはいけない。

「ま、まぁまぁ」

 ぽんぽん、とおれの肩に手を置いて、おれだけの女神様が優しく微笑んでくれたので、水に流してやるとしよう。命拾いしたなウド野郎が。

「なぁんかワルタが暴れそうになったって?」

 そんなおれの心の声に気付く訳もなく諒が言う。耳が早いな。ま、当然玲香れいかから報告は行ってるか。

「ま、大丈夫だったけどな。そもそもがワルタのせいじゃなかったし、玲香がいてくれたおかげで色々助かったわ」

 あの場に玲香がいなかったら、おれもワルタに便乗して感情的になっていたかもしれない。演技はしたものの、少々腹が立っていたのもまた事実だ。

 可愛げのない生真面目な朴念人かと思っていたけれど、今日は少しだけ玲香の可愛らしい一面も知ることができたし、そうだそうだ、お礼にベビーカステラ買わないと。

「らしいな。なもんで玲香の大好物とやらを買っといてやったぜ!」

 その紙袋に大量のベビーカステラが入っているのか、もしかして。

「え、マジかよ!おれが買おうと思ってたのに!」

 きょろきょろと辺りを見回すとすぐ左手側にあった。ベビーカステラの屋台。十二個で三百円。三十個で六百円。まぁ三十個入を二つも買っておけば良いだろう。諒も買ったとなるとかなり余りそうな気もするけど、こういうのは気持ちですよ、気持ち。

「ばばーん!ちんこ団子!」

 手に持っていた紙袋を掲げて諒が馬鹿みたいに嬉しそうに言う。

 あのな、言っておくけどおれと諒は割と二個一ニコイチみたいに思われていることが多い。でもおれはこういう小学生程度の悪ふざけはしないんだ。いや、今時は小学生だってこんな馬鹿、やらないかもしれない。だから時々、一緒に見られるのがとてもすごく恥ずかしい時がある。

「は?」

 もしくはベビーカステラも好きだけど、その団子も好きなのか?確かどこかの特産品だったような気はしたけど、おれが通った小学校、中学校、高校は地理や社会、歴史の授業がなかったのでをうけてなかったので、教わっていないんだ。だから詳しくは知らないのだが、昔ツアーで回ったどこかにそんな名産品は確かにあった。何しろネーミングが強烈すぎる。

「玲香ちゃんが好きなのはベビーカステラよ、諒君」

「え、マジでか!」

 やっぱり間違ってはいなかったか。丸くてコロコロしているくらいの大雑把なイメージで団子だろう、と決めつけるところが谷崎のアホウたる所以だ。それも団子にしたって草団子やらみたらし団子ならまだしも、よりにもよってその団子を買うとか、馬鹿の極みとしか言いようがない。しつこいようだが、おれは幾ら何でもここまで極まってはいない。ていうかどうやって手に入れたんだ?

「お前それ、よりにもよって玲香にあげたらまじセィクハラーだからな……。おっちゃん、でっかいの二袋頂戴」

「あいよ」

 屋台に寄っておっちゃんに声をかける。甘い匂いがほんわかと漂ってきて食欲を刺激する。

「あ、おめ、汚ねぇぞ!」

「や、汚ねぇも何も、世話んなったのおれだし、間違えたのお前だし……。さんきゅーおっちゃん!」

 まぁその団子もやったら良いじゃないか。社長からのセクハラなんて最悪だと思うけど、そもそも玲香を拾ってきたのは諒だ。もしかしたら許してくれるかもしれないしな。……ものすごい冷たい笑顔で。

 おぉ、想像するだけでもおっかねぇ。おっちゃんが手渡してくれた紙袋二つと六百円を交換して再び野外音楽堂へと歩を向ける。

「おーみふゆ、ちんこ団子食うか?」

 頭上にいるみふゆにとんでもないことを言い出す馬鹿社長。大腿部に下段回し蹴りでも入れてやろうと思ったが、諒の肩の上にはみふゆが乗っている。けっ躓きでもして、諒はまじでどうでも良いが、我が天使に何かあったら、我が女神にまで恨まれてしまう。

「……諒君?」

 にっこり。

 うちの女神様を怒らせるんじゃありませんよ。お宅の大明神ともども、おれらみたいなごろつきなんてどうせ勝てる見込みもないんだから。

「お、おぉ、お団子食うかみふゆ!」

「たべる!」

 みふゆには聞こえていなかったようで何よりだ。でもラベルに貼ってあったら面倒だな。玲香にやるつもりがないならみふゆが食べ始める前にラベルは全部引っぺがしてしまおう。

「そういやぁ、客席の奥の方にテントあんだよな」

「おー、あるある」

 なんでも固定カメラを一台置いて、録画もして、出音の調整もするっていうんで、PAも置いてきちんと音響も整えるらしい。いやはや、プロが出る訳でもないのに大したもんだ。

「そこでみんなで食うべ」

「だなー。晩飯代わりにいろんなもん買ってくか!」

 とは言っても出ているのは屋台だ。串ものも肉ばかりだろうし、他も粉ものと菓子類ばかりだろう。ま、酒の当てには丁度良いか。

「いいねぇ~。ライブ見ながら晩酌と洒落こもうぜ」

「今日は歩きだし、わたしも呑んじゃおっかな!夕香も呼ぼ」

 そう言って珍しく持ってきている携帯電話をバッグから取り出して、夕香に電話をしようとすると、諒がそれを制した。

「あー、もうそろそろ来んじゃねぇかな。会場にいるって言ってあるから、あっちも寄り道してくんだろ」

「そうなのね。みふゆ、愁君来るって」

 今のところみふゆと愁は仲良しだ。夕香などはみふゆを嫁にするだとか気の早いことを言っているけれど、おれとしても子供同士が仲良くしてくれるなら言うことはない。それに愁が相手となると、ドラマなんかでたまに見かける「貴様などに大切な娘はやらん!」というアレ、ちょっとやってみたい気もするけど、ギャグにしかならない気がするんだよな。まぁまだまだ実感値が伴わない、ってのが大きいのかもしれないけれども。

「あ、じゃあ愁君の分もお団子、取っといてね、諒兄ちゃん」

「……お、おう!そうだな!」

 やっぱり自分の息子が自分みたいになっちまうのは嫌なんだな、諒よ……。



「……そんなことがあった訳ねぇ」

 夕香と愁が合流してから乾杯し、一息ついたところで夕香は苦笑した。

「玲香ぁ……」

 改めて包み隠さず一切合切を報告した玲香に少々恨みがましい視線を飛ばす。どのみち諒が知っていることだし、夕香の耳に入るのも時間の問題だったとはいえ。

「別にワルタさんに落ち度はないと思いますが」

「や、まぁそらそうなんだけどさ……」

 問題は、理由はどうあれワルタがキレた、という事実だ。ワルタ一人に責任ある仕事を任せられない懸念材料はまさしくソレなのだから。

「ま、いいじゃない。あたしだってそのくらいでワルタに減給、なんて言いやしないわよ。貴ちゃんがいなかったら逆に巧くやってたかもしれないんだし」

 あ、そこは判ってくれている訳ね。それなら安心だ。

「だなぁ。おれがもうちょい早めにビシっと言っときゃ良かった」

 そもそもはあのバンド小僧どもに舐められる前に、説得できてりゃ良かった訳だから、ワルタがキレたのは、おれにも責任がある。今思えば、あれだけの脅しをかけた訳だから、最初からおれも威圧感丸出しで行っても良かったのかもしれないな。

「でもそれを言うならそれこそ貴ちゃんのせいじゃないじゃないの」

「まぁ、そうかもだけどさ」

 小僧どもにも言ったことだけれど、連中が空中分解しそうなほどに仲違いをしていたのはおれ達のせいではないし、さすがにそこまでの責任も負えない。

「それにしても本番当日に喧嘩だなんて、昔を思い出しちゃったんじゃない?」

 やっぱりそう来るか。誰かがそれを言い出すんじゃないかと思ってはいたけれど、それが我が最愛の女神様だったとは。

「それを言うなって、涼子ちゃん」

 諒が苦笑する。学生の頃はそんな馬鹿な行為が災いを招いていたし、実際それで色んな人間に迷惑をかけてしまったこともあった。涼子にも夕香にも、実害はなかったにしても、随分と気を揉んだだろうし、おれとしてもあの頃のことはあまり思い出したくない半面、一生忘れられない出来事が多く記憶に残っている。

「でもま、事態を目の当たりにすると、嫌が応にも思い出しちゃうよなー」

 それこそおれと諒が初めて組んだ時のことでもある。

「でもありゃあ酷かったよな、マジで」

 笑いながら言う諒を見て、ふっと力が抜けた。もう十年以上も前の、それこそ笑い話だ。

「何があったんですか?」

 興味津々に訊いてくる玲香を見ると、それもまた他人の些末事なのかもしれない、とも思える。

「ま、今日みたいなことだよ」

 それはそれは、もっともっとどうしようもなく馬鹿げたことだけれども。

「せっかくだし、可愛い若手に聞かせてあげれば?」

 それも良いかもしれない、と思えた。何の教訓にもならない、ただの若気の至り。いや、こんな馬鹿なこともしたよな、という点では何かの教訓に成り得るのかもしれないけれど、確かに、そんなに大したことでもない、ただの思い出話だ。

「んなもん面白くも何ともねぇぞ……」

 おれら当事者からしてみれば、本当にそれに尽きる。でも、だからこそ、世代の違う若い子には刺激のある話にもなるのかもしれない。

「あら、私は結構好きよ、あの話」

 まぁ、涼子さんがそう言うのなら、ちょっとした昔話も悪くないさ。

「そ、そうなんか……」

 判るよ相棒。教訓だとか昔話だとか笑い話だとか言う前に、だって恥ずかしいもの。

 それでもおれは、目の前の紙コップに注がれたビールを一口飲んで、昔を思い出してみた。



 二〇一八年八月二〇日 

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 バー Ranunculusラナンキュラス


「なるほど……。ここからが本当の若気の至り、というやつですね!」

「ま、まぁそうなるかな……」

 心なしか六花りっかの声音が高くなっている気がするが、もしかしてこれは酔っているのか。ま、ここまで来たら区切りの良いところまでは全部話しておきたいし、ここまでべらべらと喋ってしまったらもう後はさして長くもない。五〇にもなろうというおじさんになったけれど、やっぱりまだ気恥ずかしい気持ちもある。いや、この年になっても恥ずかしいんだ。きっと一生恥ずかしいに違いない。

「私としてはここからが本題、ですよ。貴さんもどうですか?コカレロ」

 今まであまり見ることがなかった、素直な六花の笑顔を見ておれも気分が良くなってくる。

「や、ハイボールな気分になってきた!ターキーで!」

 ハイボールも、素になるウイスキーと作り手に依って、やっぱり味わいが変わる。当然、六花の作るハイボールは絶品だし、ワイルドターキーはロックで呑んでも旨い酒だ。

「かしこまりです」

「少し酔ってきたかなー」

 うん、六花の笑顔が素晴らしく素敵なのもあるけれど、コンビニエンスストアのサンドウィッチと当てのナッツだけじゃ腹だって減る。空腹に酒ばかりでは酔いも回るのが早いというものだ。

「何かお腹に入れます?」

「うん。六花さんお任せで」

 この店のメインは酒だが、もちろんそれに当てる肴も充実している。ネットで見知ったレシピなどをうまく利用して、短時間で出せるような肴も結構準備してあるのだ。下ごしらえが必要なものもしっかり下ごしらえいているし、きっと料理の腕前も高いのだろう。

「ささみの親子ユッケ、なんてどうです?」

「お、いいですねぇー」

 名前だけでも旨そうだ。鶏肉はさすがに生肉ではあるまいが、しっかり下処理をして熱を通せば結構なレアでも食べられるらしい。時々涼子も鶏ハムを作ってくれるので、涼子から聞いた話なのだけれど。

「昨日少し下準備してみたんです。初めてなので実験台ですね」

「望むところですよ、六花さん」

 六花がまずいものなんて出す訳がないしね。

「貴さんの胃袋、掴んじゃうかもしれないですよ」

 どことなく嬉しそうに六花は言うが、ま、それならそれはもう時既に遅し、というやつで。

「酒も食い物も旨いRanunculusの常連さんですよ、あたくし」

 掴まれてなかったら、そう足しげく通わないでしょ。

「その割りにはお久しぶり、でしたけどね……」

 少しだけ意地悪く言ってから、くすりと笑う六花さんのまぁ楽しそうなこと。

「悪かったって……」


 05:認めたくない若さゆえの過ちは誰にでもあるんだよ 終り

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