第20話 ねこは恋バナがしたい
「ふーとくん、食後、部屋に来てね!」
「なんなんだか……」
――夜八時頃、しゃこしゃこ、と歯を磨きながらも、俺はぼんやりと鏡に映る俺と向かい合っていた。
食後、ねおが作ったハンバーグや俺が炒めた野菜などを食べ終え、皿洗いをしていると、るるが目をきらきらさせてそう言ってきたのだ。
「……女子の部屋に入るなんて、人生初体験な気がするんだが?」
さらに、その部屋は彼女のもの……も、もしや。
「ああああバカ、変なコトをするなとさんざん言われてるだろうが!!!」
るるねおの家に着いた後、言われていた通りお母さんに電話すると、お母さんは何度も『るるちゃんねおちゃんがかわいすぎるからって、手を出したらダメよー?』と念を押してきた。
まあ、あのテンションは、かなりの酒が入った時だ。
まあ俺は今の今まで、そんなことを一ミリたりとも考えていなかったのだが?
「うおおあああ、だったら何をするんだ!」
夜八時、彼女の部屋に呼ばれる……という行為に、いったい何が込められているんだろう!?
いやいや、まさか、でも、もしかしたら、と、二つの意見が葛藤して、ぶつかり合う。
「……な、ないから! ないない! ばかばかしい!」
俺は無理やりそのことを意識から追い出すなり、口をゆすぎ、歯ブラシを立てかける。
そして、一応、本当に一応、髪を手ぐしでとかし、整えておく。
拝借した高級そうなシャンプーに加え、いつもより念入りに乾かした黒髪は、いつもより艶やかでいい香りがしてくる。
「……よ、よしっ」
俺は気合の声を出すなり、洗面所を出る。
そして、ねおから渡されていた、ふわふわもこもこのスリッパをぱたぱたと鳴らしながらも、らせん階段状になっている階段を上がった。
二階に上がると、るるの部屋はねおの部屋の隣にあり、扉には『るるのへや』という紙が貼られていた。
「すぅ……っ」
変なコトは何もない、一切、何にもないに決まっている!!
俺はそう、心の底から叫び、自分をなだめる。
俺は、扉を数回ノックして、扉を開き――。
「あーふーとくんだぁ」
「遅かったわね」
「……!?!?!」
突如、俺の視界に映りこんできた、顔面が能のお面のように真っ白になっている二人の少女。
反射的に不審者と判断し、身をすくませた俺だったが、なんとか踏みとどまり、不審者たちがるるとねおであることを理解した。
「う、うぉう……」
下着姿を期待してい……こほんっ、ま、まあそのような想像とは全く違う、普通のパジャマ姿だったるるに、俺は少なからず拍子抜けする。
まあ、当たり前なんだがな!
万が一、下着姿で一人、るるが部屋で待っていたなら……それは、十分すぎるほどの『変なコト』に値してしまったからな。危ない危ない。
とにかく、部屋にるるだけでなかったことや、なにより、るるとねお、二人そっくりな能のお面のような顔をしていることに、俺は怪訝げに首を傾げた。
「あはっ、ふーとくん、どうしたの? ただのパックだよお」
そんな中、るるはけらけらと笑い声を上げながらも、俺をからかうような声を上げる。
よくよく見ると、どうやら二人は、スキンケア製品のパックを顔に貼り付けていたらしい。
「なるほどな……」
安堵の息をつく俺だったが……しかしやはり、疑問は残る。
「まず、なんでパックなんかしてるんだ」
「それはぁ……彼氏とのお泊りデートなんだもん、かわいいって思われたいし?」
先程の騒動を引きずっているのか、ちらりと俺を睨んでくるるるだが……俺が視線をずらすと、るるは諦めたようにして苦笑する。
「つまり、せっかくのおうちデートだから、ねお姉から高級パックを分けてもらったの!」
「それ、数量限定で手に入れた、大事なパックなんだけどね……」
そう、るるのベッドにの端にちょこんと腰かけ、ため息をつくねお……うーん、顔がパックで覆われていると、どっちがどっちか、全く違いがつかめない!
俺は、二人を見分けるのを早々に諦め、次にるるの部屋を見渡した。
ピンク色に塗装された壁は、イルミネーションがつり下がっていて、いかにもるるらしいデザイン。
広さは、悔しいが、俺の部屋の二倍はある。
ベッドだって、一人で寝ているはずなのに、贅沢にダブルベッドが置かれている。
そして、何よりも目を引くのは……散らかりに散らかった、地面だった。
「……ほらるる、片づけときなさいって言ったじゃない」
「うあーっふーとくん、そんなに見ないでよっ!」
俺の視線に気づいたのか、ねおが呆れたようにして声を上げる。
と、るるがばっとダブルベッドから離れるなり、高級パックをぺろんと地面に落としながらも、俺の目をすぐに覆ってしまった。
「……隠しても、気づいてしまったものは取り返せないぞ?」
「むむむ……」
まあ、床に散らばったノートやぬいぐるみ、脱ぎ捨てられたパーカーや靴下は、まあある意味るるらしくはある。
なんて考えていると、るるがその考えを読んだかのようにして、ぎゅうっと目を覆う手に力を入れてきた。
「ふーとくん、今失礼なこと考えたでしょ!」
「……前から気になっていたんだが、どうしてそんなことが分かるんだ?」
るるは、やっぱりそう失礼なコト思ってたんじゃん、とむくれてしまう。
が、不意に、俺の目を覆っていた手をゆるゆるとおろし、それを俺の胸辺りにまでおろしたかと思うと、そのままぎゅうっと、腕に力を込める。
――つまり、るるからバックハグを受けた状態に、俺は少なからず驚きの色を顔に浮かばせた。
るるは、頬を俺の背中に押し付けるなり、
「それはぁ……ふーとくんのことが、大好きだから、わかっちゃうんだっ」
「!!!」
その甘えたような声と、背中に触れる柔らかい体温で、俺の心臓はドキッと一気に心拍数を増加させる。
愛らしすぎる、かわいすぎる。なんだこの生き物、と思わずにはいられない程に、るるは「かわいい」の上限を軽く突破していた。
「こ、こほん! 無駄なスキンシップは控えなさい!」
と、いつの間にか横に立っていたねおが、無理やりにるるを俺から引き離し、俺ははっと我に返った。
「んわー、いいところだったのにい」
「い、いいところってなによ!」
ツインテールをぴょこんと残念そうに伏せながらも、るるが伏目がちに俺を見上げてくる。
その綺麗な瞳に吸い込まれそうになり……って、落ち着くんだ俺!!!
俺はこんなことをするために、るるの部屋まで出向いたわけではない!
……ということを、俺は遅まきながら思い出しながらも、るるに慌てて向き直った。
「そ、そうだ、るる。……俺をこの部屋に呼んだのは、なぜなんだ?」
そう、僅かに心臓の音を高鳴らせながらも問いかけると……同時にるるとねおが、顔を緩め――。
「それは……恋バナをするために決まって」「るる、枕投げがしたくて!」
…………。
……あまりのしょうもなさに、俺はたっぷり数秒間、口をぽかんとさせて二人を見つめていた。
「「な、なに?」」
俺の、はあ?? という顔に気圧されたのか、二人が赤い顔をしながらも、同時に聞き返してくる。
「いやぁ……もっと大層なことなのかな、とか思ってたから……」
「大層なことって……ま、まさか」
「えっ、風斗……まさか、変なコトを」
ねおが、顔からぺろりとパックを剥がれ落ちさせながらも、俺をギョッとしたような目つきで見つめてくる。
そのはがれたパックの隙間から、真っ赤になった頬が覗き……俺も相乗効果で真っ赤になってしまう!!
「違う違う違うっ、へへ変なコトは考えてるわけないことはないじゃなくもないだろうが!!」
「…………へんたい」
ねおは、かあっと真っ赤になりながらも、両腕を胸の前で交差させ、俺を睨んでくる。
一方で、るるはというと、
「た、大層って……嫌だよ、お泊りしてまで勉強はしたくないよおーっ!」
その天然さを発揮し、るるは通常運転のようだ。
呆れたようにしてため息をつく俺に、ねおがもじもじとし始めながらも、るるをちょいちょいとつついた。
「で、こ、恋バナ……するの?」
「えー、枕投げの方が面白いよお?」
もこもこのパジャマからはみ出た、細い足をぱたぱたと動かしながらも、るるは少しだけ不満そうにして唇を尖らす。
が、少し黙考した後、ぱあっと顔を輝かせた。
「でもるる、ふーとくんの恋バナ、聞きたいっ! あと、ねお姉の彼氏のことも知りたいかもっ!」
途端、ねおの頬がぴきっと強張ったように見えたのは、気のせいではないだろう。
「??」
疑問に思った後、俺はどこに座ろうか、一瞬の間に脳を働かせる。
……さすがに乙女のベッドに座る勇気はなかったため、俺は迷ったあげく床に座り込み、あぐらをかくことにした。
「でもなぁ……恋バナって言ったって……する話がほとんどないんだよなあ」
「えーっ、るるのかわいい所をいっぱい言うだけでも、恋バナだよ?」
そんなの語りだしたら、夜が明けるぞ……とはさすがに言わなかったが、俺は代わりに目を細めて首をもたげさせた。
「ね、ねえ、なら! 過去の恋バナ、とかはどうかしら……」
と、いつもにはないほど瞳を輝かせたねおが、ぐいっとベッドの上から身を乗り出す。
「えー、いいねそれっ! 過去の恋バナ、暴露するまで寝られませんっ!」
「えぇー……」
二人の過去の恋バナはいいんだが……俺が語るとすると、かなーり、気まずい空気になるんじゃないのか?
と、それを見越してか、るるが不満を隠しきれないままも、俺にぎこちなく笑いかけてきた。
「この際、ふーとくんにどんな好きな人がいても、妬かないって、約束……する……からぁ……」
そう言いながらも、目に涙を浮かべ始めてしまうるる。
「だっ、大丈夫か?」
「う、うん、るる、ふーとくんの恋バナ聞きたい!」
るるが涙目のまま、こくんっと頷いて見せたため……半強制的に、俺の過去の恋バナを暴露することが確定してしまう。
過去の恋、と言ったら……俺には、一つしか思い当たらないんだが?
「じゃあ、まずは誰から話すー?」
「じゃんけんで決めましょう、公平にね」
さいしょはぐー、じゃんけんぽいっ! という可愛らしい掛け声とともに、俺は拳を突き出してみせた。
恐る恐る見ると……るるとねおがぱーを出していたことに、少なからず安堵する。
るるとねおは再びじゃんけんを再開し、やがてねおが勝利する。
「うーっ、るるからかあ……」
頬を赤らめてうんうんとうなるるる。
「るるの初めての恋は、ふーとくん、だからなあ……」
「~~~~っ!!」
かなりの優越感と幸せに浸ってにやけていると、ねおが冷たい視線を向けてき、俺は慌てて顔を引き締める。
るるは俺たちの視線を浴びた後、とんでもないことを口に出した。
「あーでもっ、一回だけ、男子と付き合ったことはあるかな?」
「「はっ!?!」」
ねおと同時に悲鳴を上げると、るるは慌てたようにしてぶんぶんとツインテールを振る。
「違うの違うのっ、るるはオッケーって言ってないんだけど、相手が、るるがオッケーしたって思っちゃってたみたいで……」
――るるのその話は、どうやら小4の頃の話のようだった。
その頃、クラス内で最もイケメンだと噂されていた男子がいた。
成績優秀、美形でサッカーが上手い、そんな少女漫画に出てくるようなイケメンである。
ある日、るるはそんな彼から告白をされたのだそうだ。
るるは、その男子に対して少なからず感服のまなざしは向けていたが、恋愛感情までには至っていなかったらしい。
その時るるは、「るる、そういうの、全然分からなくって……でも、一つ分かるのは、もっといい子と付き合った方がいいと思うってこと……ごめんなさいっ」と丁重に断ったらしい。
しかし、そのイケメンは何を取り違えたのか、次の日から家の前で待っていたり、休み時間にやたらと話しかけてきたり、手をむりやり繋いできたりしたようなのだ。
それが気持ち悪くなって、るるは「やめてよ」と何度も言ったそうだが、そのスキンシップはだんだんとエスカレートしていった。
ついにはるるの体にべたべたと触れたり、ついには家までつけてきたりしたらしい。
「……結局、お母さんとお父さんが対処してくれたから、その子はやむなく別の学校に転校して行ったんだけどね……んー、元気にしてるかなあ……」
……るる、どこまでお人好しなんだっ!!!
その話を聞いていて、俺はぶるぶると震えていた。
「くっ……おのれイケメン……」
嫉妬が渦巻くのを必死に抑えながらも、俺はなんとかすました顔で、今度はねおの方を見る。
よし、この話は忘れよう! 聞かなかったことにしようじゃないか!!
「こほん、で? ね、ねおはどうなんだ?」
無理やり話をずらしたとはいえ、俺は、ねおの恋バナに興味がないわけではなかった。
ねおの彼氏の話も聞いてみたいと思っていたし、俺とるるはわくわくしながらもねおを見つめる。
……しかし、期待を向けられたねおの口は、一向に開くことはない。
「……ねお?」「ねお姉?」
ねおは、しばらく明後日の方向を向いていたが……やがて数回瞳をしばたかせ、ようやく俺たちに焦点を合わせた。
「あ……え、っと、恋バナ……だったわね」
「「??」」
その瞳がとろんとし始めたことをどこか怪訝げに思いながらも、俺はねおに頷きかけてみせる。
「わ、たしの、はつこいは……――うと、くん」
「「え??」」
ねおの滑舌がなまり、俺たちは、肝心な名前を二人そろって聞き逃してしまう。
そんな中、ねおは不意に、かくん、と顔を俯かせた。
「かっこよくって、しょうごのときから、ずうっと、ずっと、すき……で……」
「えっ、ねお姉!?」
途端、ねおがぱたりとベッドの上に倒れ込み、俺たちは同時に悲鳴にも近い声を上げる。
「ね、ねおっ!?」
急にどうしたんだ……っ!?
俺は前につんのめりそうになりながらも、転びかけながらも慌ててねおに近寄り――。
「……寝て、る?」
ねおの口元に耳を近づけた途端、すうすう、という平和すぎる寝息が聞こえ始め、俺は目をまんまるにした。
「わ、もう十時半っ! ねお姉が普段寝る時間を、一時間くらいオーバーしてるよっ! ……ふ、あぁあ……」
と、るるも目をとろんとさせ、かわいらしいあくびをした。
俺はるるの部屋にある時計を見、そろそろ俺たちも寝た方がいいな、と悟る。
目がしばしばしてきて、体も限界だ。
明日は普通に学校があるし、るるのためにもそろそろ寝た方がいいだろう。
「うー、ねお姉の恋バナ、聞きたかったぁー」
「また明日、じっくりと聞けばいいじゃないか、な? ねお、今日はお前のベッドで寝てもいいな?」
るるがこくんと頷いたのを見て、俺は安心しつつ、照れながらも小さくるるに手を振った。
「じゃ、また明日……うお?」
が、その腕をぎゅっと力強く握られ、俺はその場に引き留められる。
振り返ると、頬を赤らめ、照れたようにして俯いたるるが、消え入りそうな声で呟いた。
「やだ……おやすみ、がいい」
だから……その可愛さは、反則だと言っているじゃないか……。
俺は、その可愛さに胸をいっぱいに満たしながらも、ねおの頭をぽんぽんと撫で、
「……おやすみ、るる」
「おやすみっ……ふーとくん」
二人で甘い笑顔を交わし、俺は名残惜しげに、るるの部屋を去った。
……今夜の夢は、きっとるるが出てくるな……いや、出てきたらいいな。
ゲストルームに入り、ベッドに潜り込んだ後も、俺はしばらくそんなことをつらつらと考え、頬を綻ばせていたのだった。
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