第16話 わんこはとろける
「……ここ、なのか? お前が行きたい場所って……」
――時計は、午後七時半を指していた。
辺りはすでに真っ暗で、春だというのに、体温を削り取るようにして風が抉ってくる。
⋯⋯るるの方向音痴さのわりには、その場所にはあっさりとたどり着いた。
しかし、それもそのはず。
この場所は、俺たち三人の、思い出深い場所――近所の公園なのだ。
「わあー……全然変わってないね、ここ!」
体育館の大きさの半分もないような、こじんまりとした公園。
遊具は、さびた鉄棒に小さな砂場、壊れかけた滑り台以外にはない。
そのわりには、街灯が公園中に点在していて、暗くなっても犯罪が起こりにくい、遅くまで遊べる穴場の公園だった。
「わーっ見て見て、ぞうさんの滑り台! 懐かしいー!!」
るるは、寒さを忘れて上着を脱ぎ捨てながらも、ぱたぱたと滑り台へと走っていく。
「……懐かしいわね」
ねおも、目を細めて公園を見渡した。
大きな川が流れるそばにあるこの公園。
小学生のころ、高すぎて川が見えないと嘆いていた、公園を囲う柵が、今では俺の胸ほどの高さになっている。
この公園は……小学生の頃、三人で毎日のように通い、足が動かなくなるまで走りまわった、思入れのある場所なのだ。
「わあ、砂場も変わってないねー!」
「昔ここで、誰が一番大きい泥団子を作れるか、競走したわね」
「ああ⋯⋯そんな事もあったな」
るるに続きねおも、星が広がる夜空の下、碧眼を街灯できらめかせながらも息をついた。
「ここは……私の、初恋の、場所」
ねおはそう、誰にも聞こえない程小さな声で、そう呟いた。
♢
――時は、六年前、小学五年生にさかのぼる。
ねおはいつものようにして、るると風斗と一緒に、この公園につくなりきゃあきゃあとはしゃぎまわっていた。
当然、学校では大注目を浴び、二人はモテモテだった。
二人が山ほど告白されるなんて事は、夏は暑い、なんて事と同じくらいの常識だったのだ。
さらにその頃は、るるもねおもハーフツイン。
高い位置で結ばれたツインは、太陽の光で天使のようにきらめいていて、『二子の天使』という異名で学校中を圧倒させた。
あどけなく、狂おしいほどに整っていた顔は瓜二つで、いつもお揃いの服を着て、同じ声、同じ髪型だった二人。
何年もずっと一緒にいた風斗でさえ、何度も、どちらがどっちか間違えてしまうほどに、るるとねおはそっくりだったのだ。
「きょうは、何してあそぶーっ?」
「俺! 俺が選ぶ!」
それは、夏の暑い日のことだった。
毎日、何を公園で遊ぶかは、3人がかわりばんこで選ぶことになっている。
その日は、風斗が遊びを決めていい日だと思っていたため、わくわくしながらも声を発したのだが⋯⋯。
「違うよ風斗くん! 今日はねおが選ぶ日だよ!」
「え、ええ?! 違うよ、俺の番!」
なんとその時ねおも、自分が遊びを選ぶ日だと、そう言い始めたのだ。
今の風斗だったら勿論譲るし、順番はメモしておくとか、解決案は山ほどあったはずだ。
しかし、小学五年生のことだ。
二人はお互いに主張を重ね、とうとうねおの頬に、ぼろっと涙が伝ってしまった。
「ひどいっ、風斗くんの意地悪!」
「ねおちゃんの方が意地悪だ! ねおちゃんのことなんて、嫌い!!」
「ね、ねおだって! もう一生遊んでやらないんだから!」
咄嗟に風斗の口からこぼれた「嫌い」。
ねおは一瞬瞳を見開き、その大きな瞳から涙をますます零した。
そして、ねおも続いてそう叫ぶなり、だだっと家の方まで駆けていってしまったのだ。
「な、仲良くしようよぉ⋯⋯」
るるが半泣きになって俺を見つめる中、
「⋯⋯るるちゃん、ちょっとまっててね」
「へっ?」
風斗は大きく息を吸うなり、駆け足でねおの後を追った。
――ねおは、住宅街内にある広場で、膝を抱えて泣いていた。
「うぐっ⋯⋯ぐすっ⋯⋯風斗くんなんて、大っ嫌い⋯⋯」
ねおは顔を覆って、涙を零していた。
そんな時だった、
「ね、ねおちゃん!!」
ここには来るはずのない、聞こえるはずのない風斗の声が聞こえ、ねおはぱっと顔を上げた。
「えっ」
「ご、ごめんねねおちゃん⋯⋯げほっ」
全速力で走ってねおを探し回っていたのだろう、額には大粒の汗が光り、頬は紅潮して真っ赤になっていた。
荒い息を繰り返したあと、風斗は、何故かその頬をより一層赤らめながらも、叫ぶように言った。
「た、例え、ねおちゃんが俺を嫌っても⋯⋯お、俺は、ずっとねおちゃんが、好きだから!!!」
ねおはしばらく意味がわからず、涙の残った目で風斗の顔をまじまじと見つめていた。
「さっきは、ご、ごめんなさい」
破れたジーンズからは、膝が破れ、出血しているのが見える。
「……」
ねおは、ただただ唖然として、そんな風斗を見つめていた。
⋯⋯たったこれだけを言うために、風斗は息を上げ、汗を流し、血まで零して、ねおを探してくれたのか。
「あ、ありがとう⋯⋯」
――『大好きだから!!』
大好き。
好き。恋愛感情。
ねおはしばらく、風斗の顔から目を逸らせないでいた。
……きゅん、と高鳴る胸の音。
「ね、ねおも⋯⋯す、き」
「え、なんて……?」
「なんでもないっ……今日は、風斗くんが遊び、選んでもいいよ? どうせ泥団子競争でしょ?」
「ぐっ、なんでわかったの!」
ねおは風斗から不器用に差し出された手をとり、立ち上がる。
その手が暖かかくて、優しくて。
その瞬間だった。
ねおが、恋に落ちたのは。
♢
――これも同じく、小学五年生の頃のことだった。
「わあ、もうこんな時間だ! るる、風斗くん、帰ろ!」
「やだあ、もっと遊んでいたいー」
「帰るの! 置いていくよ、もうっ」
いつものように遊んだ後、ねおはるるを置いて、風斗と手を無理やり繋いで公園から出て行ってしまった日があった。
その頃るるは、いつもハーフツインを桃色のリボンで束ねていた。
それが、先生や生徒、風斗の唯一の、双子判別基準であり、それがないと、どちらがどちらかを断言するのは難しかった。
「わあーん、待ってよお……あ、あれっ」
るるは、不意に頭に手をやり、片方にリボンがついていないことに気がついた。
「……ど、どうしようどうしよう、どうしよう」
あれは、大切なリボンだ。
それは誕生日に、風斗がるるとねおのために作ってくれた、手作りのリボンだったのだ。
ねおは水色、るるは桃色。
「こんな目立っちゃうの、恥ずかしいよ!」
と言って髪にはつけなかったねおだが、お気に入りのぬいぐるみに大切そうに結ばれていたのを、るるは知っている。
……それはさておき、るるにとって「リボンをなくした」ということは、風斗との友情崩壊であり、つまるところ世界の終わりであった。
「さ、探さないとっ……」
時刻は六時過ぎ。
ねおは風斗を連れて、さっさと公園を去ってしまったため、るるは一人で一生懸命に探した。
「ない、ない、ない」
三十分ほど、公園を探し回った。
でも、派手なはずのピンクのリボンは、どこにも見当たらない。
「ううぅ……どうしよお……」
辺りは薄暗くなってきて、とうとう公園内のライトがちかっと点滅して、光を灯した。
すぐそばに流れる大きな川が、その光を反射して、ぎらりと揺れて光る。
――こんな時間まで、公園に残ったことは、ほとんどない。
ましてや一人でいたことは、ゼロに等しい。
そんな恐怖から、いつもは好奇心旺盛なるるでも、さすがにぞっと背筋が凍るのを感じるほどに怖かったのだ。
「う、うあああぁああぁーっ!!」
るるは大声で泣き始め、小さくなって膝を抱えた。
夜空にうっすらと月が見え始めても、るるが一歩も歩くことができなかった。
そればかりか、立ち上がる事さえ怖くて、るるは耳を塞いで顔を膝にうずめ、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
――そんな時だった。
「る……るる、ちゃん!! 見つけた!!」
ふーとの声だ、と悟った瞬間、考えるよりも先に、体がぱっと跳ねた。
やはり、風斗だった。
いつもランドセルについていた、頼りなげなミニ型懐中電灯を照らして、風斗が公園の中に踏み入ってくる。
るるは、自分でも驚くべきスピードで一直線に走り、
「わぅっ」
「うっ、うぁあぁあっ、怖かったぁあ!!」
るるは風斗に抱き着くなり、わんわんと声を上げた。
「ど、どうしたの、こんな時間まで。みんな心配してるよ?」
「り、りぼん、な、なくしちゃって……っっ」
るるは涙で頬を濡らしながらも、風斗に抱き着いたまま、白状した。
きっと、風斗は怒るに違いない。
風斗が何日もかかって作ってくれた、大切な髪留めだった。
どこかで買うよりも、ずうっと価値のあったリボン。
無くした自分が憎くて、風斗から突き放されるのが怖くて、るるはまた新たに涙をこぼす。
――風斗から漏れた言葉は、たった一言だった。
「……え、それだけ?」
へぇ? という間抜けな声が、るるの口から洩れた。
抱き着いたままで顔を上げると、風斗のひどく安堵したような顔があった。
「よかった、怪我して動けないのかな、とか、不審者に連れ去られてないかな、とか、凄く不安で……るるちゃん、かわいいから……」
どきっ、と胸が音を立てた。
気のせいじゃない。今、胸がどきってした。
「リボンは、ほら、またつくるしさ! じ、時間はかかっちゃうかもしれないけど……」
「……ふーとくん……」
るるは不意に、ぎゅっと背伸びをした。
そして、風斗の頬にまで顔を近づけ、
「……大好きっ!!」
「へ」
るるはそのまま、風斗の頬に、唇を押し付けた。
「……あれ、どうしたの?」
唇を、頬につけた。
……たったそれだけのことだ。
なのに、風斗の顔は、あっという間に真っ赤に染まってしまった。
「え、あ、あ……」
「ふーとくん……ありがとねっ!」
るるは風斗の手をぎゅっと掴み、ようやく公園の外へと足を踏み出せた。
「今日の夜ごはんなんだろ、ふーとくんは何だと思う?」
あっけらんとしていうるるに、風斗はしばらく固まっていたが……。
「……るるちゃんって、わんちゃんみたいだね……」
「んえー? わんちゃん? あはっ、なにそれー!」
どこか照れたようにしてそっぽを向く風斗に一層近づきながらも、るるは笑い声をあげたのだった。
――当然その後、二人が親から大目玉を食らったことは、明らかだったが。
♢
「……いろんなことが、あったね」
長い沈黙の後、るるがそう照れたようにして言った。
ねおは、何かにとらわれたようにして、砂場の近くで佇んでいる。
「? あ、ああそうだな」
いきなりの言葉に驚いたが、俺は素直に頷いて見せた。
この公園には、本当に、数えいきれないほどの思い出がある。
そうだ、例えば……。
「そういや、るるが夜遅くまで、俺が作った髪留めをなくして泣いてたこと、あったよなあー」
「わっ、やめて! 恥ずかしいよお!」
「その時、るるは俺にキ……」
――その時、空気が変わった気がした。
遊具のきしむ音も、木が揺れる音も、遠くで聞こえる大きな川の水の音も、全てが意識から放たれた。
感じるのは、るるの息遣い、心臓の音、そして、星のようにきらめく瞳。
「……ふーとくん?」
るるの唇が開き、小さな声で、俺を呼ぶ。
髪は天の川のように耀い、揺れ、僅かに隠していた顔を、全てさらけ出す。
――今、なのだろうか。
不思議と不安はなかった。
るるの、ただただ美しい肌が、唇が、髪が、全てが俺を虜にする。
「るる」
俺は、十メートルの距離を、ゆっくりと詰めた。
るるはそこで、俺が何をする気か察したのだろう、目を大きく見開き、頬を紅潮させる。
「ふ、うと、くんっ」
顔を近づければ近づけるほど、その美貌が露になる。
全てを俺のものにしたい。
そんな独占欲がこみ上げ、もうどうしようもなくなる。
るるはそれを感じたのか、ゆっくりと、長いまつげを震わせて、目を伏せた。
残り三センチ。
二センチ。
一センチ――――。
「……んっ」
唇に、柔らかい、とろけるように甘美な感覚が、唇を包み込んだ。
このまま風と共に溶けてしまっても、許せるほどに、幸せがこみ上げる。
るるの小さな吐息、ぬくもりと体温が脳を刺激して、るるを一生離したくなくなる。
――時間が、俺たちの間だけ、ゆっくりと流れている気がした。
「……ぷはぁっ」
何秒が経過しただろうか。
るるが先に音を上げ、顔を最高潮に真っ赤にさせながらも、身を離した。
俺もそこで我に返り、慌てて酸素を吸収する。
周りの音が戻ってき、一斉に襲ってくる音や情報で、くらりとめまいを感じる。
「るる……え?」
「ふ、ふへ……ふうとくん、しゅきい……」
るるは大丈夫だろうか、と思いながらもるるを見下ろすと……るるは真っ赤になり、酔ったようにして、ふにゃりと顔を綻ばせていた。
「ふぁーすときしゅ、だったんだから、ねえ」
「俺もに決まってる……」
俺はしばらく、俺に寄りかかってくるるるを無理やり立たせ、仕方なくおんぶをしてやる。
「ほら、乗れ」
「ありが、とぉ」
……全く、なんてかわいい彼女を持ったんだろう……と幸せ過ぎる悩みを持ちながらも、俺は砂場の方を見る。
「お、おい、ねお。帰ろうか……」
そこで、ずっと砂場のそばで佇んでいたねおは、くるりと首を回し、こく、と頷く。
「……ほっ」
よかった、この様子じゃ、俺たちが口づけを交わしたことには気付かなかったようだ。
俺は安堵しながらも腕時計に目を落とし、
「げっやべ、もう八時過ぎてるんだが!? おらねお行くぞ!」
「うあー、時間やばーい。ふーとくん、責任取って、家に泊まらせてー」
「いい加減るるは、正気に返れ!」
俺たちは公園から慌ただしく出て、家まで駆け足で戻ったのだった。
「……ふ、風斗がるるに、き、ききキスをするからじゃない……!!! もう、バカっ!!」
――家へと三人で走りながらも、ねおはそう小さな声で叫んだが……それが聞こえたものはきっといないだろう。
「むうううぅっ……わ、私も本気でいかなきゃなのね……っ!!!! 諦めないっ、諦めたらそこで終わっちゃうんだから……負けないわよっ!!!!!」
ねおはぎゅうっと唇を噛み、そう最小限の音量で叫びながらも、風斗とるるの後を追ったのだった。
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