第11話 わんこは俺を振り回す


「この電車に乗ったら、二十分くらいで着くみたいっ! 切符を買わなきゃ!」



数分、他愛のない会話を交わしながらも歩いた頃に、俺たちの家からの最寄り駅にたどり着く。



五月だというのに、空は快晴で日が照っている。


額にうっすらと浮かんだ汗をぬぐいながらも、俺たちは駅の中に入った。



「ちょっと待っててねーっ」



るるは、いつもの愛らしい顔を綻ばせ、あっけらんとそう言うなり、あっという間に切符を二枚購入してくる。



「あっ、おい、それは俺が払うって!」


「ふーとくんには払わせないよーだっ」



財布を取り出す俺に、るるが胸の前で大きくバツをつくり、俺の手に切符を一枚押し付けてくる。



ちなみにだが、るるの家はかなりのお金持ちだ。


るるはそんなことはないが、ねおなんかはいつも高級そうなブランド品を身に着けていたりする。


実は、ねおるるの父親がイギリスと日本のハーフであり、つまり、ねおやるるはイギリスと日本のクォーターということになる。


父親はどうやら、イギリスかどこかの会社の社長らしく、裕福な暮らしができるという事らしい。



……そう考えると、今るるの肩で跳ねている栗色の髪も、綺麗な空色の瞳にも説明がつくよなあ、と考えながらも、俺は仕方なく素直に切符を受け取った。



「……帰りは俺が持つからな」


「そうはさせないけどねーっ」



絶対払ってやる、と意地を張りながらも、俺はるると共に進みだす。



改札口を出て、俺たちがホームに足を踏み出すと、丁度電車がホームに来るところだった。

そのせいか、ひっきりなしに人が集まってきて、俺は思わずるるの手をぎゅっと握りしめる。

迷子になられたら困るし、万が一怪我でもしたら……心配すぎる。



「わーっ、よかった、ぴったり!」

「そうだな」



時刻は昼前だというのに、電車はびっくりするくらい込んでいた。


まるで滝のように出てくる人たちを避けながらも、俺たちはようやく電車に乗り込むことができた。



「……あれ?」



その人込みの中に、見慣れた金髪とお団子を見た気がして、俺は一瞬目を見開く。


が、まばたきをすると、その姿は人込みに溶けてどこにもない。



……気のせいだよな、まさかねおがいるわけない。



「わぁ……混んでるね……」

「そうだな……おいるる、俺をしっかりつかんどけよ」



混みあった電車の中に乗り込むなり、そう小声で伝えると、るるはおとなしく俺の来ているパーカーの裾をぎゅっとつかんだ。


が、人が度々乗り込んできて、るるが前につんのめる。



「わぅ」

「気を付けろって……ほら」



始めは、扉側にるるに立ってもらおうと思っていたが、乗ってくる人につまずくと危ないため、俺が扉側に移動する。


さらに俺は、るるの頭を抱えるようにしてるるを抱きしめた。



「わあっ、電車の中でぎゅーなんて……憧れだったんだっ!」

「いいから黙ってろって……」



るるの高めな声は、電車の中でよく響く。


一気に数人の視線を感じ、俺は赤くなり、るるをなだめながらもるるの頭をぎゅっと胸に押し付けた。



やがて、電車は大きく揺れたかと思うと、ゆっくりと進み始る。


それにしても、人が多いな……通勤ラッシュくらいいるぞ? 痴漢がいないといいが……。


俺はるるの頭を抱きながらも、小さく息をついた。






――電車は十五分ほど走り、何個かの駅に止まった後、ようやく次が俺たちの降りる駅になった。


相変わらず電車内は混んでいて、身動きするのも苦労するほどだ。



それに、先程から、ちら、ちら、とるるから視線を感じ、緊張してしょうがない。


なんでそんなに見てくるんだ、恥ずかしいだろうが!!




「……やっ!?」



るるの小さな悲鳴が聞こえたのは、その時だ。



「??」


俺がその悲鳴に目を丸くし、るるを見る。


るるは真っ赤になって、半泣きで俺を見つめてきた。




……なにかおかしい。


俺は咄嗟にるるの周りを見回し――




るるの後ろに、五十代後半の男性が、るるにぴったりとくっついていて。


その汚らわしい左手が、るるの背中辺りに触れている。



……そういうことか。




「おっさん。俺の彼女から離れろ」



「「「「「……!」」」」」




俺の大声に伴い、電車内にぴりっとした空気と、息を呑む気配がする。



るるは視線で、この痴漢のことを訴えてきたのだろう。


非力な女子、さらにこの沢山の人が乗った電車の中で、痴漢だと声を出すのは恥ずかしいに決まっている。



おっさんは、俺を見て、さらに矢のように飛んでくる視線にたじろいたようにして、視線を彷徨わせる。



しかし、一言も発することなく、るるから離れようとしない。

どうやら、とぼけるつもりのようだ。



……これは、俺が一発……。


そう思っていた時。




「ふーとくん……大丈夫だよ?」



その声と重なるようにして、がっ!! ぱちいいんっ!! ぼごおっ!!! という恐ろしくけたたましい音が電車内に響いた。



「へ……」

「こっちは大丈夫なんだけど……あのね……」



驚いたような、恐怖に震えた顔をして、るるからじりっと一歩離れたおっさん。



……るるがおっさんをはかいじめにし、さらに顔面に平手打ち、しまいにグーパンチを叩きこんだことを認識するのには、数秒を要した。



「は……?」



ただ唖然とする俺。


そんな中るるは、もじもじと赤い顔をしながらも、小さな声で俺に告げた。




「るるね……トイレいきたい」









「ごーめーんってー! 怒らないでよふーとくんっ!!」



――数分後、公衆トイレから出てきたるるに、俺は思いっきり、ぷいっと顔を背ける。



「あんなの誰だって、るるが痴漢から助けてほしいって伝えてると思うだろうが!」


「ちかんは、るるはどうにでもできるの知ってるじゃん!」



るるの言葉に、俺はぐっと言葉を詰まらせる。



そう、るるは、ねおとは違って運動神経抜群。


柔道やら空手はお手のもの、部活は陸上部。



……そうじゃん、痴漢なんて、るるはいくらでも対処できるじゃん!!



「電車の中で、ずっとふーとくんに、トイレ行きたい、っていう視線を送ってたのに!」

「知らんがな!! それに、それならなぜ、すぐ痴漢の方を対処しなかった!」



鬼の剣幕でわあわあまくしたてる俺に、るるはなぜか、よくぞ聞いてくれましたとでも言うように顔を輝かせた。



「だって、もうすぐで駅に着くところだったから、騒ぎも被害も少ないタイミングで潰そうと思ってたのー! それに、こんなの慣れっこだし? あのおじさんはマシだったよー。それに……」



るる……今回だけでなく、何度も被害にあってる……だと??


言葉を紡ごうとしたるるを、今度は驚愕の目で見つめると、るるは慌てたようにして首をぶんぶん振る。



「違うよ、るるが被害にあったわけじゃなくって……ねお姉が」

「あぁ……」



あの端麗な美貌に、るるに負けず劣らずのスタイル。


そりゃあ、狙われやすいだろうな……ねおが一人で出かけてないことを祈るしかない。


心配げな顔をする俺に、るるがどんと胸を叩いてみせる。



「大丈夫っ、そのたびに、るるがねお姉を守ってるし!」

「まるで姫とナイトだな」

「どっちが姫ー?」



適当に言った言葉に、るるが満面の笑みのまま尋ねてくる。


怖い怖い怖い怖い、その笑顔が怖い。



「あー……両方姫の間違いだったな。はは……」


「……そっかあ!」



るるはしばらくじっと俺を見ていたが、やがて納得したようにぱあっと顔を輝かせた。



「ほっ……」


どうやらるるの単純さに救われたらしい。

俺が安堵の息をつくと、るるは勢いよく公衆トイレのそばから離れる。



「じゃー行こっか、るるの騎士さんっ!」

「なんで俺が騎士なんだ。逆だ、逆」



途端、やっぱりと言った顔でるるが俺を睨む。



「ほらあ! やっぱりるるが騎士なんじゃんっ!」



しくじった……! という顔をする俺に、るるはむーっと頬を膨らませる。



天然に見せかけて、るるのこういう鋭さは侮れないんだよな……昔から!



「ごめんって……」

「なでなでで許すっ」



慌ててるるの頭をなでなですると、るるはにへっと溶けたような、そんな幸せそうな表情をする。



「ゆるすー。るる、ふーとくんのペットになるー」

「それは困る」

「じゃあ……ふーとくんがご主人様でどうかなあ?」

「同じじゃないか!」



羅列の回らない様子でるるが俺にもたれてくる……やばい、かわええ! ずっと頭を撫でてやりたくなる……っ!



……が、るるはしばらくすると、我に返ったかのように姿勢を正し、俺の手を繋いだままぱーっと駆け出してしまう。


俺はつまずきそうになり、慌てて体制を整えながらもるるを睨む。



「るる、お腹すいたーっ! そろそろお腹と背中がくっつく!」

「嘘言うな! それに……そうか、カフェで食べれるんだっけな……」



カフェと付いているだけあって、いぬねこカフェではいろいろなものを食べられるらしい。



俺は少しわくわくしてきながらも、るると共に駅を出る。



「……?」



途中、俺たちの後を追ってくるような気配がしたのだが……振り返っても誰もいないし、気のせいのようだ。



俺は、ルート案内はるるに任せ(なぜなら俺は場所を知らないため)あとはるるのナビを信じて道を進み続けた。


……が。



「あっちゃー、道、間違っちゃった!」

「ありゃ、こっちでもない」

「わ、行き止まりー?」



「……全然だめじゃないかー!!!」



彷徨って十五分後、耐えかねた俺が悲鳴を上げる。



「だってー、スマホがここじゃないって言うんだもん!」

「はぁ、どれどれ……」



スマホにナビがあったなら早く言ってくれ、と思いながらも、俺は地図が表示されたるるのスマホの画面を覗き込み――



「……るる」


「なあにっ? どうだった、この近く?」



俺は小さく息を吸い、



「……俺たち、真反対に来てるんだが!?!!?」


「ひぇぇーっ!?」



俺は悲鳴に近い声を出し、るるが続いて悲鳴を上げる。



「第一、お前がこっちでいいっていうから!」

「そ、それは! ふーとくんも確認してよーっ!」

「責任転嫁するんじゃない!!」



俺たちは顔をぎゅっと寄せ合って、じいいっと睨みあい――。



「……ぷっ」

「あは……俺ららしいな」



同時に吹き出し、俺らは笑いに包まれながらもそれとなく手を繋ぐ。



「よし……戻るか。腹減って倒れそう」

「そうだね……なんかごめんね?」

「特別に許す」

「もー、上から目線!」



すでに時刻は十二時半を過ぎている。


……まあ、これがるるだし、俺も俺だ。こうなってしまうことは明らかだったし、追及するのは諦めよう。



俺たちは慌てて駅に戻り、切符を購入し(今度こそ俺が払った)、今度こそは正しい方向の電車を待つ。



「よかった、来たっ」

「よし、足元に気を付けろよ」



不意に、背後から、はーっ、とため息が聞こえた気がしたが、振り返る間もなく俺たちは電車に乗り込んだ。









「今度こそ……着いたね……!」

「あああぁ……空腹で倒れる!」



電車で二十分、さらに徒歩十分。



幸いるるが再び痴漢に会うこともなく、無事に俺たちは今、「いぬねこカフェ」の前に立っていた。


額に浮かんだ汗をぬぐいながらも、俺は目の前にそびえ立つカフェを見上げる。



山小屋を思い起こすような、木目とブラウンの外装。看板が、『いぬねこカフェ』と刻んでいる。


さほど大きくない、街中にあるこじんまりとしたカフェだ。



だが、先程からひっきりなしに人が出入りしている。後で知ったことだが、このカフェは口コミが高く人気らしい。



「わんちゃんとねこちゃんがいるんだよね……きゃあ、楽しみっ!」

「どこにそんな元気があるんだよ……」



るるは、これまでの過ちを全て忘れたかのかというくらい和やかな笑みを浮かべ、いぬねこカフェの戸に手をかける。



「よーっし、いっくぞー!」



そう無邪気に、るるが扉を開けようとした時。





「あ、あらっ!! はぁ、はぁ……っ、ふ、二人共、偶然ね!」





後ろから、荒い息遣いと共に聞こえた、るると瓜二つな、でも少しトーンが下がった声音。



俺たちは反射的に、同時に振り返り――。







「ねお……!?」「ねお姉!?!」







そこには、二つのお団子を揺らし、頬を真っ赤に火照らせ、膝に手をつきながらも荒い息を繰り返す美少女――ねおの姿があり、俺たちは揃って目を丸くしたのだった。

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