第9話 わんこはからかいがお得意

「はぁ……」



るるに加え、ねおとも一緒に登校し始めて、約一週間が経った。




「……教科書五十九ページを開いて。じゃあ……遠藤さん、答えは?」




今日は金曜日、俺はぼうっとしながらも六限目の授業、数学を受けていた。

のだが。



「ぐぬあぁぁ……っ!」


頭の中はるるとねおのことで一杯。数学の知識が入る余地がない!!



俺はぐりぐりとシャーペンの先をノートにこすりつけながらも、荒々しく息をついた。



頭を駆け巡っている問題は、一つ。



……俺をフッたはずのねおと俺が、なんで普通に登校できているんだ!?


ばんっ、と勢いで机を叩いてしまい、近くの席の生徒がびくっと身を震わすが、俺はそんな事を気にしてはいられない。



そうなのだ、ねおは、俺をフッたんだ。


だから普通は、気まずくなったりするだろ……。



なのに、実際、俺たちは前のような関係に戻っているのだ。


俺はぼんやりと、今日の朝のやり取りを思い出す。



「るる、お風呂いっぱいのカレーを食べてみたい!」

「バカなのか、お前は」

「バカがバカにバカと言っても、たいして説得力がないのね」

「「はあああ!?」」


るるがボケて、俺はツッコみ、ねおが呆れたように、でも容赦なく追撃してくる。


そして、これまでに見たことがなかった、ねおの照れ笑いや恥ずかしそうな顔が見られるようになってきた。



――それに、あの放課後に、完全な事故でしてしまったキス。


ときめきはなかった。


ただ、胸がぐわっとかき混ざって。自分でもわからないような何かが心を支配した。



「うーん……」


これは恋愛感情ではないことは確かなんだが……。


その事件以降、俺とねおは気まずいどころか、るるも含めて三人でいると、過去に戻ったような気さえしてくる。



というか、むしろ……距離が近くなったと思うのは、俺だけなのか?




「――はい、今日はここまで。さっき言った課題は忘れないように」




……げっ、課題だと!? 聞いてなかった!!


俺は青ざめ、授業終了の号令を聞きながらも目を見開いた。



最近はいつもこうだ。二人が頭に張り付いて離れねぇ……っ!! 

そのせいで、授業にも集中できねえ!!



「ふーうーとーくんっ! 数学どうだったー?」



来たよ、俺の脳内を妨害してくる、かわいいの塊が……!



チャイムが鳴り、教室にぱっとにぎやかさが戻る。



いつも通り、くしゃっとまとめられたハーフツインはぴょんと揺れ、ぱっちりとした瞳はきらきらと輝いた、俺の彼女――るるが駆け寄ってくる。


髪は、ぴょんぴょんと乱れ、多少アホ毛が立っているとはいえ、天の川を思わせる神秘さだ。


かわいいを凝縮したようなるるに少し見惚れた後、俺はあえて期待せずに問いかけた。



「なあるる。数学の課題ってなんだったか? 俺、聞いてなくて」



それを聞いた途端、るるは満面の笑みになり、どやあと胸を張る。



「安心して、私もーっ!」


「だろうな!!!」



ダメじゃん! まあ知ってたけど!

るるは、まるでそれが正しい事かのように、誇らしげに鼻を鳴らして見せる。



「ふふーん、ずうっと寝てたのっ! いい夢ばっかり見た! 成績は多分大丈夫!!」



どこからその自信気な気持ちが湧いてくるのか、全く持って意味不明だ。

一度、るるの脳内を覗いてみたい。ねじが数本抜けているに決まってる。



「……はあ」



……それはいいとして。

これじゃあ、課題がわからないじゃないか……ただでさえ、怪しい成績なのに!!


俺は頭を抱え、わしゃわしゃと髪をかき混ぜた。



「これじゃあ、内申点が怪しいぞ……どうすんだ、課題……」




「教科書六十ページ、大問三までをノートに解く、よ」




そんな中、不意に澄んだ声が頭上から降ってくる。


一瞬脳が神の声だと錯覚するくらい、その声は綺麗で、言葉は神の一声だった。


そして、その声の主こそ――



「! ねお姉っ」

「全く、二人して聞いてないなんて。授業くらいしっかり受けなさい」



僅かにつった目に、嘲笑うような情を含み、いつの間にか後ろに立っていたねおがそう言う。


――俺の脳内システムを阻害してくる、もう一人の登場だ。



「うぅー、だって、ねお姉は何でもかんべきだもんっ」

「……ええそうよ?」


るるの言葉に、一瞬沈黙して俯いた後、ねおは何事も無かったかのようにしてうっすらと笑みを浮かべた。


それに伴い、頭の上の綺麗なお団子はふわんと揺れ、ついお団子をもふりたくなってしまう。


そして、恋愛感情はないとはいえ、その整った顔立ちにはいつみても感動してしまう。


すらっと丸出しの白く透き通るような足は、努力しないと手に入らないような美脚。



俺の自慢の幼馴染だと、胸を張って言えそうなほどにねおは美しいのだ。


そんな中、ねおは桃色に塗られた綺麗な爪を俺に向けながらも、ふんっと鼻で笑う。



「ほんと、ダメな幼馴染と妹を持ったものだわ」



ちなみに告白する前は、こんなにねおの方から近づいてこなかったんだが。


俺がねおに課題を聞いた日には、「はあ? そんなことも分からないの?」と冷たく睨むどころか、スルーしてくる時もあるくらい。



「ま……また、困ったら言いなさい。いつもこうやって隣にいると思わないでよねっ」



矛盾したことを言いながらも、ねおはぷいっと向こうを向いて、リュックを取りに行こうとする。



「お、おお……」



俺は、そのねおの豹変ぶりに、ただぶるぶると震えることしかできない。


怖い、怖いぞねお……俺が告白してから、なにがあったんだ?!



「ふーとくん!」

「⋯⋯へ?」


さらに頭を悩ませ、一人青ざめる俺に、いきなりるるが俺の視界を埋め尽くした。


正確には、るるが俺の頬を挟み、強制的にるるの正面へ向けた、というべきか。



いきなりの至近距離に、俺は真っ赤になって口をぱくぱくとさせる。


るるはきらんっと瞳を輝かせたかと思うと、



「ねえねえふーとくん、もんだいですっ!」

「あ、後にしてくれ」

「今じゃなきゃダメー!」



帰りの支度をしようと思ってたんだが、るるは俺の肩をぎゅっとつかんで離さない。



「……なんだ?」


しょうがない、るるのことだから、どうせ簡単に答えられるなぞなぞのようなものだろう。

少し付き合ってやるか、という感情が芽生え、俺は降参を表すために両手を挙げてみせる。


るるは嬉しそうにぱあっと顔を輝かせたかと思うと、すぐに、何かを決意したかのように息を吸った。



「えーっと! ⋯⋯か、カレカノと言ったらなんでしょう、ふーとくん!」



「……!」


少し離れたところに移動したねおの肩とお団子が、少しぴくんと跳ねる気配がした。


しかし、俺が怪訝げに振り返ると、ねおは何事もなかったかのようにロッカーへ向かってしまう。



「……?」


俺はそんなるるの背中を見て首を傾げたが……諦めて、るるに向き直った。


カレカノと言ったら、か……。

俺は少し考え、



「……リア充」


「んーっ、り、リア充と言ったら!」


「あ? カレカノ」


「カレカノと言ったら!」


「リア充」


「リア充と言ったら……って、あああもう! デートだよ、で、え、と!」



強調するように言葉を区切り、そのたびにダンダンと机を叩くるる。

心なしか、頬がピンク色に染まっている。



「? で、デート……か?」

「そ、そうだよ! それでね……るる、ふーとくんと行きたいところがあるのっ」



るるは俺の机に手をついたまま、ぴょんぴょんと跳ね始めてしまう。


拍子にスカートがばっさばっさとめくれ、るるの後ろを通るクラスメートが赤い顔をして、その中を覗き込んでいる……気がする。



「……おい」

「ひゃっ」



……彼女のパンツを他人に見られて、面白いと思う奴はいない。



俺は強引にるるの頭を抱え込み、そのまま胸に抱いた。


強制的にるるはおとなしくなり、代わりにわたわたと手を動かし始める。



「な、な、なななっ」

「……大人しくしろって。で、なんだっけ? デート?」



るるの真っ赤になった頬のぬくもりを感じながらも、俺はるるを離す。


るるはしばらく両手を頬に当て、沈黙する。



「……るる、今どきってした」

「はいはい」

「すんごい、ときめいた」

「わかったわかった」

「どうしよう……るる、もっとふーとくんの事好きになっちゃうよ……!」



……かっ、かか、かわええええええ!!!!!


という感情を必死に押し殺し、大きな胸を机に乗せて上目遣いをしてくるるるに、俺は極めて冷静な視線を向けた。


「……なあに? 顔、赤いよ……?」

「な、なんでもない!」


るるがかわいすぎて高ぶった……なんてこと、恥ずかしすぎる。冷静だ、冷静になるんだ、俺!



「こほん、そ、それでなんだ?」

「そ、そうだ……デート! ふーとくん、デート行こうよ!」



もちろん行きたい。

……なんてすぐいうのは面白くないので、俺はあえて悪戯気に微笑んでみる。



「うーん、どうしよっかなー」

「……っっ!?」



途端、ばっちりとした瞳をますます大きく見開き固まるるる。

この表情が、めちゃくちゃにかわいいのだ。


後で存分に甘やかすことを誓いながらも、俺はるるににやりと笑いかける。



「るるが俺の事、どれくらい好きかによるかなー」

「る、るる、ふーとくんが、ねお姉と唐揚げと同じくらい、大好き!! ほんとう!!」



無人島に何か一つ持って行けるなら何を持っていく? と聞かれたら、真っ先に「唐揚げ!」と答えるのが、るるだ。

誕生日だって、毎年唐揚げをタワーのように積み上げて、ケーキ代わりとして食べるらしい。


それに、ねお側はともかくとして、るるはねおのことが、大大大好きだ。

少なくとも小学生の頃は、いつもきゃあきゃあと楽しそうで、ずっと隣にいた二人。


瓜二つで、どっちがどっちかわからないくらいに二人は似ていて、仲良しだった。



――つまり、それくらい大好きなねおや唐揚げに並べるのは、光栄なことである。



ついにやける俺に、るるが少し涙目になりながらも、顔をぎゅっと近づけてくる。



「るる、なんでもするから! 本当に! ちゅ、ちゅーがしてほしいんなら、するよ! ほら、ちゅ、ちゅ、ちゅーっ!」


「お、おい……ぁっ!?」



ぎょっとする俺に、頬に三連発、昇天しそうなほど甘い柔らかさがぶつけられる。


一瞬、くらりと意識を失いかけるほどの甘さが脳にいく。あ、宙に天使が見えた。



「……くぁっ……!」


も、もうギブだ、降参!!!


俺は、飛んでいきそうになった意識をかろうじて保ち、るるにデートしよう、と伝えようとする。


ちなみに、頬から火が出るんじゃないかと言うくらい、俺の頬は熱を発していた⋯⋯ああ!



が、しかし、るるの勢いは止まらなかった。



「ほかに何をご所望ですか? こ、この胸!? それなら……えっと、う、家に来る!? 言えばパパもママも、ねお姉だって、るるがお願いしたら家から出て行ってくれるしっ!! 今夜がいいなら、すぐに……」


「むむむ胸をすり寄せてくんな、離れろ離れろ! デートしよう、しよう! するから離れてくれーっ!!」



るるのかわいい顔を見ようと思ってからかったつもりが、逆に存分に照れさせられた俺。


暴走し始めたるるを止めるべく、俺は慌ててネタばらしにかかる。



「その、ほら、元々デートはしたくてたまらなくって……ごめん、必死になるるるがかわいくて……」


「ほぇ……?」


ぽっかーんとしたるるに、俺はぼりぼりと後頭部をかく。



「いやぁー、るるがかわいすぎて……。つまり、からかっただけ、というか……」


「う、う、う……っ!?!」



るるの表情は、みるみるうちに真っ赤になり、ぷくうっと頬が膨らみ――



「ばーかっ!!! るる、怖かったああっ!!!! 大好きいいっ!!」



むくれながらも凄いスピードで、るるは俺に抱き着いてきた。

ふんわりと甘い香りが漂い、俺はそれに意識を持っていかれそうになりながらも、るるをなでなでする。


はぁーっ、かわいすぎますわ、俺の彼女は……。



「じ、じゃあ、デート、行ってくれるの?」

「ああ、もちろん」

「るるね、いぬねこカフェに行きたいのっ」



るるは少し機嫌を直しながらも、もごもごと言う。



「ああ、いいよ。明日土曜日だし……明日でいいか?」

「うんっ」



るるは少し嬉しそうに顔を輝かせる。

が、そのかわいらしい顔に、一瞬だけ鋭さがにじんだ。


「……ていっ」

「ふあっ!?」


どこかむくれた情を瞳にともしたまま、るるは不意に、俺のおでこをつついた。


その力が半端なく強力で、俺はぎぎっと椅子が嫌な音を立てて、バランスを崩すのを感じる。



「ひぃ!?」



バランスを失って後ろに倒れかける俺。


そんな中、るるは俺の机にのしかかるようにして……俺を、抱き留めた……!?



口をぱくぱくとさせる俺に、るるはくすっと微笑を浮かべたかとおもうと――



「たくさん甘やかしてくれないと……るる、すねちゃうんだからね?」



そう言って、ちゅっと頬に唇を寄せた。



「「「「きゃあぁあぁあああぁぁあぁぁ!?!?!」」」」



数秒後、フリーズしていた脳は、その空気をつんざくような悲鳴でたたき起こされた。


ハッと気づくと、ほとんどのクラスメートが俺たちを見て、黄色い歓声をあげている。



「ど、どどどっ!?! ちゅー!? ちゅー!?」

「らぶらぶだあああああっ!!!! 甘いっ!!」

「完全にるるのものになってんじゃん、風斗くん! 気をつけなよーっ!!」

「き、教室でキスなんてぇええぇ⋯⋯」



「んふー、ふーとくんはるるのものだもんっ♡」



それを見越していたのか、それとも天然か。



「よぉーし、帰りの支度しよっとー!」


るるはにぱっと微笑むと、ぽかんとする俺を置き、何事も無かったかのようにして、帰りの支度を始めてしまった。



じんじんと痛むおでこに、まだ痺れた感覚がある、4回キスをくらった頬。



「⋯⋯⋯⋯よし」


とにかく、るるをからかうのは当分控えよう……と、俺は真っ赤な頬のまま、胸に刻んだのだった。
















「き、キス、キスなんてぇええ……まぁ、私も風斗からしてもらったし?? いいんだけど??」



その頃、教室の隅で、ぷるぷると震える少女。



「それにしても。⋯⋯ふーん、明日、いぬねこカフェね……。時間とか場所は……るるにそれとなく聞けばいっか……うふっ」




歓声が飛び交う裏で、何かを企むような笑みを浮かべるねおの姿があった。

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