第8話 にゃんこは企てる


「んふ……ふふっ、うふふふふ、朝よ、るる」


朝。

ふぁさあ、と掛け布団が剥がされ、代わりに冷たい風が身を包む。



「あ、あともう少し寝かせて……寒いよお……」


「だーめ、もう七時十五分よ? 起きないと……待ち合わせに遅れちゃうんでしょ?」


そう意味ありげにねお姉に言われ、るるはしぶしぶと言ったようにして目を開いた。


瞬間、窓からさす日光が瞳を射抜いたことで、るるはくらりとよろけかける。



「もう……容赦ないよ、ねお姉っ」


「しょうがないでしょ、じゃあ冷水でも顔にかければよかった?」


「おっお断りしますっ!」



顔面に冷水がざばっとかかるところを想像し、るるは小さく震える……怖いよねお姉!



「ほら起きて。早くしないと……おいていくわよ?」


「お、おいていくって?」



あれ、るる、ねお姉と一緒に学校に行く約束してないはずなんだけど?


首を傾げて聞き返したが、ねお姉はそれ以上言葉を発することはなく、上機嫌でるるの部屋を物色し始める。



「へ、変なもの触らないでね!」

「変なものって何よ」



ねお姉は口角を持ち上げ、くすりと微笑んで見せる……えっ、えええっ、ねお姉、どうしちゃったの……!!?


ぽかんとするるるに、ねお姉はしばらく散らかった床をごそごそと探り、学校の制服を発掘した。



「あったわ……制服ね。うわあ、るる、あなたアイロン当てずに放置してたでしょ。しわしわじゃない」


「え、えへへ……まあ、いいかなって……」



その後に続く言葉に、るるはますますぽかんとし、目をまるくした。



「しょうがないわね、アイロン、当てといてあげるわよ」


「え、え、え……?」



あれ、まだ夢でも見てるのかな? と思って、ぺちん、と顔面を叩いてみる。


乾いた音に、じんじんと痛む頬。でも、ねお姉には変化はない。



「ほら、さっさと顔洗って、ご飯食べてきなさい」

「う、うんっ?!」



るるはベッドから急いで立ち上がり、最後にねお姉の顔を見て――



「ひぇっ⋯⋯!?」



これまで見たことのないような、ねお姉のとろけた笑顔に、るるは悲鳴にも近い声を上げるのだった。







「ほらるる、トースト焼いといたわよ。何にする、バター、ジャム、それともチョコレート?」

「ちょ、チョコで……」


顔を洗って食卓へ向かうと、いいわよ、と笑顔でトーストにチョコレートを塗ってくれるねお姉。


こ……こ、怖いよおっ、何が起こってるのお!?



「はいどうぞ、熱いから気を付けて食べるのよ」

「は、はい……」



ね、ねお姉が微笑んでる……なんで!? いつもはむすーってしてるのに!?



「はっ……」


も、もしや……ねお姉、宇宙人の手によって、すり替えられたのっ!? 


なら説明がつくっ、そういうことかぁ……!


ね、ねお姉をさらったやつには、容赦しないんだからね!!



「ねお姉に化けた宇宙人め! 本性を現しなさーいっ!」

「はぁ? いいから食べなさい」


るるの奇声に、ねお姉はバターをたっぷりつけ、トーストをかじりながらも素っ気なく言う。



「……」


うーん、ねお姉がトーストにバターを塗るのはいつものこと……なら好みは同じ?



「じ、じゃあ、ねお姉の趣味は!」

「? 何言ってるの? 本を読むことだけど」


「うっ、じゃあ好きな動物!」

「ネコ」


「好きな天気!」

「雨」



「うああっ、じ、じゃあ……好きな人!」


「……!!! さっ、さっきから何なのよーっ!!!」



るるの最後の問いかけに、真っ赤になって叫ぶねお姉……うう、好みは同じみたい……?!



「じゃあ、宇宙人じゃ……ない?」

「あったり前でしょ! バカなの!?」



ぽかん、とねお姉に頭を叩かれながらも、るるは唖然とする。



「じゃあ……このはいてんしょんなのは、なんでっ!?」


「……♪」



ねおは含み笑いをするなり、がたんとテーブルを立つ。



「もう七時四十五分よ? 間に合うの?」


「えっ、どういうこと……」


「髪の毛ぼさぼさよ? 制服、そこに置いといたから着ときなさい」



トーストをくわえながらもきょとんとするるるに、ねお姉はスカートを揺らしながらも、紺色のお洒落なデザインが施されたリュックを背負う。



「じゃあ、先に行ってるから。!」



かちゃん、と扉が閉められ、静まった食卓でるるは身を震わす。


どっ、ど、どういうことなんだろ……!? 怖い、怖いよねお姉!



「うっ、あと十分もないよ……」


我に返り、トーストを口に詰め込むと、るるは洗面所へ駆ける。


髪をある程度解いた後、雑にハーフツインに結びながらも、るるは今日見た夢を思い出した。



「るるとふーとくんが教室に閉じ込められて、そしたら急に地球が崩壊し始めるの! その揺れで、ふーとくんが、るるのほっぺにちゅー……きゃああ、思い出すだけでどきどきしちゃうーっ!!」



にまにましながらも歯を磨き、口をゆすぐなり、るるはリュックを背負って家を飛び出た。


ちなみにるるのリュックは、真っ白な字に、金色のラインが入った、お気に入りのリュックなんだー!



ばたばたと駆け出し、るるはふーとくんの元へ猛ダッシュした。







――八時三分、立っているふーとくんの姿が見えてきて、るるは少し不思議に思う。



「ふーとくんの他に……もう一人、いる……?」



もう一人。

ふーとくんの横に並ぶ……多分、女の子。


二人は仲良さげに話していて、るるの嫉妬ゲージは、満タンに!!



「んぬぬっ、るるより仲良くしちゃ、嫌だあ!!」



るるは猛ダッシュし、五十メートル走6秒台後半の豪速でふーとくんに突進する。


……が。






「……あら、やっぱり遅かったじゃない、るる」



金髪をふわりとなびかせ、幸せそうな笑みを浮かべる、ここにはいるはずのない人。




「ね、ねお姉……!?」





「……ごめん、るる。断れない事情があったんだ……」



そうふーとくんに頭を下げられながらも、るるはただ目を丸くして固まることしかできなかった。









――時は昨日の午後にさかのぼる。





「ごっ、ごめん!!?!?」



数秒の沈黙の後。


俺、風斗は半泣きになりながらもねおから飛びずさった。



唇に触れた、柔らかな感覚。

そして、頬に手を当てて固まるねお……これは、つまりそう考えてもいいのだろう……。



俺はねおから二メートルほど離れ、ばくばくと鳴っているはずの心臓の音も聞こえないくらい、恐怖に震えていた。



「……ふ、風斗」

「は、はいいぃぃっ」



同じく、真っ赤になったねおの頬。

ねおの声はびっくりするくらい冷静だったが、その肩にはかすかな震えを感じる。



「……はじめてだったの」

「え……?」



思わず聞き直すと、ねおは腕を抱きながらもじっと俺を見る。



「キス。はじめてだったの」



ひゅっと息を呑みながらも、俺はこれから槍のように振るはずの罵倒の言葉に備える。



……が。

いつまで経ってもねおの声は発せられることはなく、俺は恐る恐る顔を上げた。



ねおは、なぜかにやにやと笑っていた。それはもう、にやにやと。




「……!?」


「しょうがないわね……風斗、許してあげるわ」

「ほ、ほんとか!?」



ねおが……許す、だと!?

なんて天使なんだねお、俺はいい幼馴染を持ったものだ……。


……が、それはすぐに間違いだと思い知らされた。



「もちろん、無条件なわけはないけど?」

「ぐっ……」



そりゃそうなのだ。

ファーストキスを、彼氏でもない奴から奪われたのだ。ねおの彼氏だって、それを知ったらカンカンに怒るだろう。



「じ、条件は」


「そうね……普通なら、私の彼氏にチクって、生徒集会で暴露、るるにも密告、終いに風斗を永遠に恨んで嫌うとこだけど」



ねおはすっかり元の澄ました顔に戻り、真っ青になっている俺の方へゆっくり近づいてくる。



そして、すぐそばまで来るなり、ねおはくい、と俺の胸元のネクタイを引っ張った。


そして――。




「……、許してあげないこともないけど?」




そう、小悪魔な笑みを浮かべながらも、ねおは言い切った。









――こういう経緯で、俺とねおは、共に登校せざるを得なくなったのだ。


でもそれは、ダブルブッキングでもあり……。



「……せっかくの、二人っきりの時間だったのに……」

「ごめん、本当にごめん」


がーん、という効果音を顔で表したようは表情で、るるは恨めしそうに俺を見る。


「そもそも、なんでそうなったの? るる、理由が知りたい」

「そ、それは……」



「るる、問い詰める女はモテないわよ」


と、助け船なのか何なのか、ねおがにやにやとしながらも言う。



「ぐっ……」



単純なるるのこと、ねおの言葉にるるは言い淀む。


畳みかけるようにして、俺はるるにがばっと頭を下げた。



「ごめん、るる、この通りだ。これから三人で登校することを、許してくれ……」



「彼氏の切実な願いを却下する彼女は、嫌われるわよ?」




るるはしばらく、目をつむってうんうんとうなった後。




「わ、わかったよお、ううー……!」




「! ほんとか、るる!」



ばっと顔を上げ、俺は思わずるるの肩を掴む。



るるは俺と目を合わせたかと思うと――くしゃっと顔を歪ませ、みるみるうちに、大きな瞳に大粒の涙を浮かばせた。




「うあーん、ふーとくんと二人っきりになれる時間が減っちゃったああーっ!!」


「……♪」




半泣きになるるる、そしてなぜか含み笑いをするねお。



二人に挟まれ、俺はこれからの生活を想像し、盛大なため息をついた。

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