第11話 ブライト・レイの大切な人(ブライト視点)

 セシリアをバートル家に連れて帰った翌日の夕方。

 僕はセシリアの部屋で、未だ眠り続ける彼女の目覚めを待っていた。

 セシリアの両親は娘が睡眠薬を飲まされたと知ると、ひどく心配して医者を呼んだ。往診の結果、少し強めの睡眠薬を飲まされてはいるが、今のところ副作用らしき症状もないということで、このまま目が覚めて体調に変化がなければ大丈夫だろうとのことだった。

 ジルベルトは今回の一件で学園に行っている。

 アリーシャ嬢は先ほどまで一緒に付き添っていたけど、心労のせいか今にも倒れそうな顔色だったので休んでくるよう勧めた。最初こそ目が覚めるまで付き添うと強がっていたものの、僕に「そんな酷い顔色だとセシリアが起きた時に心配するよ」と言われると、ほんの少しだけと言って休息をとりに部屋を出ていった。

 窓から差し込む夕日が二人残された部屋を赤く染める。

 こうしてベッドの隣で椅子に座っていると、セシリアが幼かった時のことを思い出す。

 まだ弟のロベルトが生まれていなかった頃、セシリアはよく熱を出す子供だった。風邪をこじらせて高熱をだした彼女は、熱痙攣を起こして意識を失った。あの時は死んでしまうんじゃないかと気が気でなかった。なんとか容体を持ち直して三日後の夕方に目覚めたんだったか。その時も、こんなふうに夕日が部屋を赤く染めていた。そのあと薬が苦くて飲みたくないと駄々をこねられて、子供向けの甘い薬の開発に勤しんだのはいい思い出だ。

 あの幼かった子供が大きくなったなぁとしみじみ思う。

 手を伸ばしてそっと頭をなでると、眠っていたセシリアがふにゃりと笑った。子供の頃と同じ反応にくすりと笑うと、瞼が震えてゆっくりと青く澄んだ瞳が僕を捉えた。

 はっと息をのんで一挙一動を見守っていると、彼女は気だるげに体を起こしたあと、僕を見上げて「ブライトさま……?」と首を傾げた。

 ただ名前を呼ばれただけなのに、嬉しくて胸がはちきれそうになった。目頭が熱くなるのを感じながら、セシリアの左手を両手で包みこむように持ち上げて額をくっつける。


「よかった……! 目が覚めたんだね。体調は? どこかおかしなところはない?」

「え? ええ……わたくし、卒業パーティーに行って、それで……?」


 起きがけでぼんやりしているセシリアは、自分が寝かされている状況をまだよく理解できていないらしく、こめかみを押さえながら記憶を辿るように口を開いた。


「そうでしたわ、わたくしアベル様とお話ししていて、途中で――」


 眉間にしわを寄せたまま、セシリアの言葉が不自然に止まった。

 もしかしたら何か怖いことをされたのかもしれない。僕がもっと早くに駆けつけていたらといたたまれない思いに駆られ、後悔の念とともにセシリアを抱き寄せた。


「ブブブ、ブライトさま!?」


 狼狽えた声を上げた彼女を腕の中に閉じ込めて、怖い思いが消えますようにと願いながら背中をなでてあげる。


「ごめん、セシリア。僕がもっと早くアベル君を止めていれば、君に怖い思いなんかさせなかったのに……」

「ブライト様……?」


 僕の肩が震えていたからだろうか、セシリアの手がそろりと背中に回されて、ぎこちない手つきでなでてくれた。「セシリア?」と声をかけると、彼女は顔を上げて僕に言った。


「えと……あの、わたくしアベル様から何かされたわけではないのですが」

「そう、なの……?」

「はい。というか、アベル様はブライト様との結婚を心配してくださっただけですわ。そのお話の途中でわたくしが眠くなってしまって――そういえば、寝る前にアベル様から助けてあげるって言われたのですけど、あれはどういうことだったのかしら……?」


 頬に手を当ててこてんと首を傾げるセシリアを前に、ため息を禁じ得ない。

 だめだ、何をされたか全然わかってない。

 セシリアに嫌なことを思い出させるくらいならアベル君の話はしないでおこうと思ったけど、自分の身に何が起こったのかわかっていないのなら、何があったのかをきちんと伝えておくべきだろう。


「あのさ、セシリア。どうして急に眠くなったのか不思議に思わない?」

「え……?」

「眠くなる少し前、アベル君から何か飲み物を渡されなかった?」

「あ、はい。渡されましたわ。ブライト様、よくご存知ですね」


 目を丸くするセシリアに、その飲み物に睡眠薬が入れられてたことを伝えると、彼女はぱちくりと大きな目を瞬いたあと、「……ええええ!?」と素っ頓狂な声を上げた。この様子じゃまったく疑いもしなかったようだ。


「……あのね、セシリア。人がいいのは君のいいところだけど、もっと用心しないとだめだよ」

「で、でも、アベル様は同じクラスで――」

「その同じクラスのやつに薬を盛られたのは誰? ――――まったく……君といい、ジルベルトといい、なんだってこうも簡単に薬を盛られるかな」


 お家芸なのかい? って思わず突っ込みたくなる。

 がっくりと肩を落とした僕に、セシリアがきょとんとした顔を向けてくる。


「どうしてそこでお父様が出てきますの?」

「ん? ああ、それはね。君のお父様も卒業パーティーで同級生から薬を盛られたからだよ」


 昔の、僕が学生だった頃の卒業パーティーを思い出して苦笑する。まぁ、ジルベルトのほうは毒薬飲まされてずいぶん苦しんでいたけど。


「二人とも薬盛られて意図しない相手と結婚させられそうになるところまで一緒とか、どんな因果だろうね?」

「薬盛られて意図しない相手と結婚って……」


 この時になって、セシリアは自分が何をされそうになったのか察したらしい。恐る恐る自分の体を見下ろした彼女の顔は青ざめていた。僕はすぐさま彼女の肩に手を置いて「大丈夫だよ」と声をかけた。顔を上げた彼女が「ほんとうに?」と聞いてくるので、安心させるように大きく頷いてみせると、セシリアの瞳がみるみるうちに潤んでいき、ぽろりと涙が零れ落ちた。くしゃりと歪ませて子供のように泣き出した彼女を抱きしめて、泣き止むまで頭をなでてあげた。


 ひとしきり泣いたセシリアが、僕の肩に顔を埋めて体を預けてくる。普段元気な彼女の弱っている姿はひどく庇護欲を掻き立てられた。


「…………ブライト様がいいの」


 ポツリと言った彼女に「うん」と頷き返す。


「ブライト様じゃなきゃダメなの」

「うん」

「ブライト様……」

「うん?」

「好き……大好き……」


 背中に回された手にぎゅうっと力が込められる。

 ああ、なんて愛おしいんだ。

 大好きなんて言葉じゃ言い表せない気持ちを胸に、彼女よりも強い力で抱きしめ返す。

 今こそセシリアの想いに応える時だ。

 「セシリア」と名前を呼ぶと、顔を上げた彼女と目が合った。まっすぐに青い瞳を見つめたまま、ずっと言えずにいた一言を口にする。


「僕も君が大好きだよ――――結婚しよう」


 僕の言葉に、セシリアは大きく目を見開いて、その潤んでいた瞳から再び涙を零した。


「本当に……? 夢じゃありませんのね?」

「うん」

「あとからやっぱり取り消したいなんて言われてもできませんからね?」

「うん。でも、セシリアこそ本当に僕でいいの? こんなニ十歳も年上のおじさんと結婚して後悔しない?」

「後悔なんてするはずありませんわ! もうずっと昔から、結婚するならブライト様とって決めていたんですもの。他の誰も貴方の代わりになんてなれませんわ」


 きっぱりと言い切った彼女の言葉に、昔を思い出して小さく笑ってしまった。


「セシリアのそういうところ、アリーシャ嬢に……君のお母様にそっくりだね」


 その瞬間、セシリアが疑うような視線を向けてきた。


「今このタイミングでお母様の話をなさるなんて……やっぱりブライト様はお母様のことが好きでしたの?」


 珍しい反応に、もしかしてと思う。


「やきもち焼いてくれるの?」

「いけませんか?」


 むすっとそっぽを向いたところも可愛くて、口がにやけてしまう。


「ううん。でも、そうだなぁ……僕の、君のお母様に対する気持ちはそういうのじゃないんだよ。今も昔も、アリーシャ嬢の隣はジルベルトだけだと思っているからね」


 ジルベルトに対しても、アリーシャ嬢に対しても、恋い焦がれるような気持ちを抱いたことはなかった。

 今回の一件でよくわかった。わかってしまった。

 セシリアが誰かのものになるなんて嫌だ。他の誰にも触れさせたくない。

 それは自分が長年蓋をして気づかないようにしてきた気持ちだった。

 セシリアを思えばこそ僕は彼女を手放さなければいけなかったのに、もう手放してあげられそうにない。

 大人げないおじさんでごめんね。

 僕は少しだけ身をかがめて、セシリアに口づけた。


「僕がこうして触れたいと思うのは君だけだよ」

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