第10話 卒業パーティー④(ブライト視点)

「セシリアから離れて」


 僕が声をかけると、アベル君は勢いよく振り返った。

 医務室に先客がいるなんて思っていなかったのだろう。アベル君は驚愕の表情を浮かべたまま固まっていた。動けない彼に変わって僕が歩み寄る。


「もう一度言うよ。セシリアから離れて」


 はらわたが煮えくり返りそうな気持ちを抑えながら、できるだけ平静を装って言葉を繰り返す。

 それでもセシリアのそばから離れないから、彼の腕を掴んで強引にベッドから引きずり下ろした。アベル君はそのままの勢いで床に尻もちをついて僕を見上げると、まるでおばけでも見たような顔で僕を指さした。伸ばした指が震えているところを見ると、相当驚いているようだ。


「なんで……なんでだ。どうしてお前がここにいる……!?」

「どうしてって、君が出かけに『セシリアを僕のものにできたら嫁にもらいます』なんてことを言ったからじゃないか」


 セシリアが馬車に乗った後、一人戻ってきたアベル君は僕とジルベルトに挑発的な言葉を放った。それだけで? と言われそうだけど、僕にはもう一つ追いかけるに至った理由があった。


「その上そんなをしていたら、これから何かよからぬことをしますって言っているようにしか見えなかったしね」

「は? オーラ……?」


 耳慣れない単語に、アベル君が訳がわからないといった反応をした。想定通りの反応に、僕は頷いて補足する。


「そ。オーラ。聞いたことないかい? 纏っているオーラの色でその人の人となりとかがわかるっていうやつ――――僕にはそれが見えるんだよ」


 人は生まれながらにしてオーラというものを身に纏っている。それはその人の人となりによって違う色をしていて、その時の感情によっても色が変化する。

 普通の人には見ることのできないオーラを視覚する――それがレイ家に生まれた僕の特殊能力だった。

 セシリアを迎えに来たアベル君を覆っていたオーラはどこかほの暗く、言い知れぬ不安を掻き立てられた。

 ただの杞憂で何も起きないかもしれない。けど、もし何かあったら? 僕はきっとその場にいなかったことを後悔する。選択を一つ間違えただけで取り返しのつかないことになってしまうことだってある。だからこそ、こうして追いかけてきたのだ。

 アベル君が気味の悪いものを見るような目を向けて反論してくる。


「そ、そんなの言いがかりだ!」


 見えない側の人間にしてみれば当然の反応だ。

 昔の――周りの反応を気にしていた頃の僕だったら、この視線に耐えられず何も言い返せなかっただろう。だけど、今はこの能力で守れるものがあることを知っている。


「まぁ、なんとでも言うといいよ。君がセシリアを襲おうとしていた事実は変わらないからね」

「ちがっ……俺はただセシリア嬢を助けようと……」


 アベル君はしどろもどろに言いかけ、はっとしたように一度言葉を切ると、ゆらりと立ち上がった。勝ち誇ったような表情を浮かべて、先ほどまで震えていた指先でビシッと僕を指さしてきた。


「そうさ! 俺はただ気分が悪くなったセシリア嬢を医務室に連れてきただけだ。そっちこそ、部外者のくせになんで医務室こんなところにいるんだ! よからぬことを考えていたのはそっちなんじゃないか!?」


 どうやらまだ勝機があると思っているらしい。

 確かにここは学園の医務室で、パーティーの参加者でない僕がいるのは不自然と言える。アベル君は僕が不法侵入してセシリアを襲おうとしていたことにしたいみたいだ。この期に及んで腹立たしい。


「ご期待に添えなくて残念だけど、中に入る許可ならちゃんと取ってあるよ」

「なっ……!?」

「君の言う通り、部外者だから入るまでにずいぶん時間がかかっちゃったけど、仕事の関係で今でも学園と接点があってよかったよ。おかげで顔見知りの先生の口添えで中に入れてもらうことができたからね。でも、さすがに四十手前のおじさんが会場をうろうろしていたら目立つだろ? 君にバレるわけにもいかなかったし。だから当たりをつけて医務室ここで待ってたってわけ。来るかどうかは賭けだったけど、昔からよからぬことをしようとする人は医務室に来るって相場が決まっているからね」


 パーティー会場である講堂には気分が悪くなった人向けに別室が用意されていて、そこには養護の先生が待機している。そのため校舎側にある医務室が使用されることはない。


「わざわざ誰もいない医務室に連れてきてセシリアを襲おうだなんて、どういうつもり?」

「……襲うだなんて! 俺はただ、セシリア嬢を救いたい一心で……!」

「セシリアを、救う?」


 アベル君の言い分に眉を顰める。

 どういうことだと視線で問いかけると、彼は「お前が悪いんだ」と僕を睨みつけてきた。


「お前が身の程もわきまえずに彼女と結婚しようとしていたからだろう! 二十も年上の男と無理矢理結婚させられるなんて可哀想じゃないか!」

「無理矢理、結婚……? セシリアがそう言ったの?」

「いいや。彼女は俺がどんなに心配しても、いつも『大丈夫』と言って健気に笑うんだ。けど俺にはわかる! 彼女は親の決めた結婚に逆らえないだけで、本心では助けてほしいと願っているんだ!」

「それでセシリアの同意を得ないでこんなことを?」

「そうさ。多少強引な方法かもしれないが、俺がセシリア嬢の純潔を奪ってしまえば、彼女は結婚の呪縛から解放される! 結果的に事後報告になってしまっても、最後はきっと俺に感謝してくれるはずだ!」


 身勝手すぎる……!

 アベル君の言い分を聞いてカッとなった僕は、気づけば彼の胸倉をつかんでいた。


「思い上がるのもいい加減にしてくれ!」

「ッ……!?」

「誤解しているようだから言っておくけど、結婚の話はセシリアが幼い頃に『僕と結婚したい』と言ったことが発端で組まれたものだよ。社交界デビューまでに気持ちが変わらなかったらっていう条件でね」


 セシリアからどういう説明をされたかはわからないけど、驚いた表情を見る限り、彼はこの結婚の発端がセシリアであることを知らなかったようだ。


「僕だって自分の身の程くらいわきまえてるつもりだよ。セシリアに好きな人ができたらいつでも結婚の話は撤回するつもりでいたんだ」

「じゃあ……結婚の話がなくならないのは……」

「結婚があの子の意志だからだよ」

「そんな馬鹿な……爵位も持たない二十も年上の男だぞ!? 嫁いで何の利がある?」

「それを聞かれると耳が痛いね」


 爵位なし、二十歳年上、おまけに実家との関係が悪い。

 利があるどころか、セシリアにとっては不利益しかない――――だけど。

『わたくし、ちゃんとブライト様のことが好きです』

 そんな僕でも好きだと言ってくれたのはセシリアだと、彼女の言葉が僕を奮い立たせてくれる。


「確かに利はないかもしれない。けどね、少なくとも君よりはセシリアを幸せにしてあげられるよ」


 そうしてわずかに後方を振り返り、ベッドで眠るセシリアを一瞥する。

 これだけ近くで騒いでいるのにセシリアに起きる気配はない。もしかしたらと思っていたけど、ここに連れてこられる前に何らかの薬物を飲まされたのかもしれない。飲む前に防げなかった自分の不甲斐なさに拳を握りしめた。


「今度はこっちから聞かせてもらうよ。セシリアに何を飲ませた?」

「な、なにって、俺はただ踊って喉が渇いただろうと飲み物を渡しただけで……」


 アベル君の視線が言葉を探すように左右に揺れる。

 明らかに動揺しているのが見て取れた。大方その飲み物の中に何か混ぜたのだろう。

 とりあえず何か飲まされたことは確実なので、薬物を特定しなくては。

 僕はアベル君の胸倉をつかんだまま、自分より長身な彼を下から睨みつけた。


「この期に及んで隠せると思っているなら大間違いだよ?」

「な、に……?」

「言う気がないのなら、このまま君を連れ帰って自白剤を飲ませるまでさ」

「じ、自白剤!?」


 物騒な言葉に、アベル君の声が裏返った。


「僕のこと調べたなら知ってるでしょ? 僕が薬物研究所で働いてるってこと。罪人を問い詰める時に使う強力な自白剤を作ったりもするんだよ。まぁ、強すぎて廃人になっちゃう人が多いんだけど、効果はお墨付きだよ――――それ、使われたい?」


 正直に話したほうが身のためだよと脅すと、アベル君は恐怖に駆られたらしく、ここに連れてくるまでのことを洗いざらい話してくれた。

 セシリアが飲まされたのは一般的に流通している睡眠薬だったらしい。緊急性を要するような薬物じゃなくてよかったと安堵した僕は、学園の警備兵を呼んでアベル君を引き渡した。

 一連の騒動が治まると、静まり返った医務室には僕とセシリアだけが残された。

 ベッドに浅く腰掛け、いまだ起きる気配のないセシリアの寝顔をじっと見つめる。

 規則正しい寝息を立てるセシリアの寝顔はあどけなくて、ようやく彼女を守れたという実感がわいてきた。

 もし追いかけてこなかったら、セシリアはアベル君に純潔を奪われて取り返しのつかないことになっていただろう。

 ――――間に合ってよかった。

 胸を占める安堵感に、不覚にも泣きそうになった。


「帰ろう、セシリア」


 そして君の目が覚めたら、これからの話をしよう。

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