【番外編】調査前と調査後




― 調査前と調査後 ―



 学園潜入当日の朝。

 変装グッズが並ぶ広いウォークインクローゼットの姿見の前で、方泉は自分の格好を訝しげに見ていた。


「……ねぇ、匠真」

「はい、なんでしょう」

「…本当にこのスーツで行った方が良いの?」


 掌にかかる長めの袖。大きめの肩幅。床に擦れそうなスラックスの丈。

 どう見ても“着せられてる感”が満載の出立ちは、大学生と言うよりも、入学したての高校生のように見える。この姿で人前に出るのかと思うと、物凄い違和感と恥ずかしさを覚えるのだが。

 「う~ん…」と難しい顔で唸る方泉。その後ろから、提案者である匠真が鏡を覗き込む。


「完璧です、方泉様!良い感じに品の良さとカッコ良さが消えています!」

「……そんなこと言われても全然嬉しくないんだけど」


 理想通りの姿に感動する匠真に対し、方泉はムムムッ…と目を細める。


 松井が依頼をしにきた日。

 クラスに“大学生”として潜入する案を出したのは匠真だった。


「方泉様が“教師希望の大学生”という体でクラスに潜入されてはいかがでしょうか」

「良いわね!それ!」

「………えっ?」

 

 僕、32歳のおじさんなんだけど。

 教育関係者が見学しにきたとか、もっとこう…年相応に無理せずできる変装の方が良いと思うんだけど――と、目をぱちくりさせる方泉を置いてけぼりにして、2人は勝手に設定を練っていく。


「それでいきましょう!月曜日の朝の会議で、私から先生達に見学者が来ると伝えておきますね」

「よろしくお願いいたします」

「久保田さん達にも、派遣の方がいらっしゃると伝えておきます」

「よろしくお願いいたします」

「………」


 あれ、勝手に話が纏まってる。

 誰も僕が大学生に見えないかも…っていう疑問を抱かないのかな…。

 方泉は神妙な面持ちで首を傾げるが、2人はどんどん話を進めていく。スマートフォンで学校のホームページを開いて、校舎の配置図まで見始めた。


 正直不安はあるが、“大学生”として潜入する方が、他の先生達も受け入れてくれやすいかもしれない。そう踏んだ方泉は、仕方ない…やるしかないか…と腹を括る。

 とは言え、無理に若作りをしたら悪目立ちしてしまう。なるべく目立たないような変装をしよう――と、思ったのだが。


 やはりこの格好、どこからどう見ても違和感しかない。まるで、学生のコスプレをしているようだ。

 しかも、このスーツ。私服高校に通っていた匠真が、卒業式の為に買ったスーツだというから解せない。自分は背が低い方ではないのに。匠真が10cmも大きいせいで、チビだと言われている気になってくる。


「…ねぇ、やっぱり他のスーツにしようよ。もっと普通の、サイズがピッタリのやつあるしさぁ」

「方泉様」


 何とか軌道修正しようと粘る方泉に、匠真は至って真剣な表情で語りかける。


「方泉様はとても華やかなお顔をしてらっしゃるので、少しでも姿形を隠し、オーラを消していただかないと調査に支障が出てしまう…と、考えられます」

「……支障?」

「はい。以前、綾音様が仰っていたではありませんか。『女子校って異性と触れ合う機会が少ないから、イケメンじゃない先生でもおじいちゃん用務員さんでも、みんなカッコよく見えるんですよね~』…と。普段のお姿を隠さないで行った場合、生徒達に囲まれて調査どころではなくなってしまいます」


 そう言って、ピンと人差し指を立てる匠真。

 確かに、先日ランチをしに立ち寄ったバルで、非番でお店に来ていた綾音と偶然会い、そんな会話をした。…まぁ、会話と言っても、開店直後からワインを飲んでいたらしい綾音は、呂律が回ってない上に1人でマシンガントークを繰り広げ、相槌しか打たせてくれなかったので、会話として成立していたのか?と考えると肯首しがたいところではあるが。


「うーん…綾音さんが言う通り、もしかしたら“男性が学校に居る”っていうだけで目立つのかもしれないけど…僕なんかじゃ何も起こらないとおも…」

「『かもしれない』ではなく、確実に目立つのです」

「!」


 納得がいかない。と顔に書く方泉の肩を、匠真はガッと掴む。鏡越しにバチリと合う掘りの深い目。その奥の奥の方から、切々とした深刻さが伝わってくる。


「た、匠真…?」


 思わずたじろぐ方泉。その引き攣る頬に寄り添うように、匠真は自分の顔を寄せる。


「…工業高校に通っていた私は知っているのです。男女比率が異常に偏っている学校の恐ろしさを」

「……」


 余程嫌な思い出…あるいは、大失態でもあるのだろうか。如何に少数の異性が稀少であり、水面下で熾烈な争い、そして珍事件が起こるのかを、時折「ゔっ」や「くっ」と苦しそうに言いながら語っている。

 普段感情を表に出さない匠真にしては珍しいな…と話半分で聞きながら、ああ、これは自分が折れるしかないパターンだなと方泉は諦める。


「ですので、なるべく方泉様の原型は無くしていただき、なんなら“話しかけたくない”と思われるくらいの大学生…で、お願いいたします」

「……」


 お願いいたしますと言われても。

 そんな無茶な…とか、上手くいかなかったらどうするの…とか、言いたい事は沢山あるけれど。有無を言わさぬこの瞳には抗えそうにない。


 …もう、どうなっても知らないからね。


 ガクリと項垂れる方泉の心中も知らず。

 着せ替え人形のように、色んなネクタイを方泉に合わせてみる匠真。ムッと口を尖らせている間に、髪の毛が手際よくコテで巻かれていく。ふわふわのパーマを作り、手のひらに伸ばしたワックスを髪に揉み込む。仕上げに用意していた眼鏡を方泉にかけると、匠真は満足そうに微笑んだ。

 



*********



 


 頬にオレンジ色の光が当たるようになってきた頃。学校から少し離れた所にある、コインパーキングに停められた車の後部座席で、方泉はノートパソコンを開いていた。

 夕日に染まりかけている真っ白なコンパクトカーに、パチパチパチ…とタイピング音が響く。一通り打ち終わり、ふぅ、と息を吐く。書き落としがないかを確認しながら、ドリンクホルダーに置いたコーヒー缶を手に取る。目で文字を追いつつ、ゴクッと喉を慣らした時、運転席の扉が開いた。


「…遅くなってしまい申し訳ありません、方泉様」

「お疲れ様。報告書作ってたから、全然大丈夫だよ」


 ニコッと方泉が微笑むと、匠真は僅かに口元を緩める。


「16時には終わる筈だったのに…結構時間かかったんだね。何か問題でも起こった?」


 立ったまま黒いジャケットを脱ぎ、綺麗に畳んで助手席に置く匠真。その姿はどこか疲れているようにも見える。白いカットソーの袖を捲りながら、匠真は運転席に座る。


「清掃は滞りなく終えられたのですが…久保田さんから熱烈なスカウトを受け、断るのにかなりの時間を要してしまいました」

「ありゃ」


 はぁ、と堪らず吐き出された息は重い。


「匠真は何でも丁寧に素早くこなしちゃうからね」

「…久保田さんから『私の後継ぎはあなたしか居ないわ』と言われました」


 辟易。

 その言葉がピッタリな程、匠真からどんよりとしたオーラを感じる。


「そっかぁ…そこまで言われちゃったら、清掃員に転職する?」

「!?わ、私に事務所を辞めろと…そう仰るのですかっ?」


 ガッと助手席のシートを掴んだ匠真が勢いよく振り返る。鳥の巣頭はさらに乱れ、ギョロッとした目は焦って揺れている。


「あはは。匠真、見たことないくらい驚いた顔してる」

「ほっ、方泉様…」

「冗談だよ。僕から匠真に辞めろなんて、言うわけないじゃない」


 ふふっ、と口元を抑えて笑うと、匠真は「はぁ……」と盛大な溜息を吐く。


「……心臓に悪い冗談はおやめ下さい」

「ふふふ…ごめんね。はい、これ。コーヒー」

「……ありがとうございます」


 買っていた無糖のコーヒー缶を匠真に渡す。頭を下げ受け取った匠真は、プルタブを開け、口をつけた。乾いた喉に流れていく、慣れ親しんだ味。それを半分程飲んで、漸く肩から力が抜ける。


「…そう言えば一つ気になる事があるのですが」

「ん?どうしたの?」


 再びパソコンに目を向けた方泉は、指を動かしながら耳を傾ける。


「私の今回の変装は、おかしかったでしょうか?」

「!?」


 聞くや否や、ダンダン!と思わず強くなるタイピング。

 まずい、動揺が指に現れてしまった…と慌てた方泉は、何事もなかったかのようにタイピングを続ける。


「?方泉様?」


 無言のままの方泉が気になり、後ろを向く。

 じーっと自分から離れない、熱い――否、“待て”をされている犬のような視線。どう答えるべきか悩んでいた方泉は、その圧に耐え切れず、仕方なく手を止めた。


「…何でそう思ったの?」


 …まぁ、あらかた想像はつくが。

 いつも他人に何を言われてもシレッとしている匠真。しかし、生物室の前で生徒達に怯えた目を向けられたり、保健室でも田原に「また出た」や「怖い」とけちょんけちょんに言われていたので、流石に思うところがあったのだろう。


「…今回は清掃員としての潜入でしたので、なるべく目立たないようにしようと、顔を隠し、あまり喋らず、機敏に動き過ぎないようにしたのですが…それが裏目に出てしまい、沢山の方々を怖がらせてしまったようなのです」

 

 そう淡々と話す匠真だが、どこかションボリして見える。


「うん…そうだね。今回の変装の仕方は良くなかったかも。…僕もちょっと、怖かったしね」


 3限目に怪我をして保健室で手当てをしてもらった後、廊下で話しかけてきた匠真は、方泉ですら緊張するような凄みがあった。

 朝、学校で二手に分かれた時は匠真はまだ変装をしていなかったので、まさかあそこまで不気味な男に仕上がっているとは思わなかった。知っていたら、「それは怖すぎるよ」と絶対に止めていた。


「!!そ、そうでしたか…」


 ガーン!と目を見開いた匠真が、狼狽えながら元の場所に戻っていく。シートにピタリと付けた背中は、明らかにどんよりと落ち込んでいる。


 方泉の“大学生”の変装にしても、“清掃員”の変装にしても。

 匠真の感覚って、どこか人とズレてるよなぁ…なんて、人付き合いが下手くそな自分が言えたことではないけど。掃除も料理も日曜大工も…何でも卒なくこなしてしまう匠真からは想像できない弱点だ。

 でも、別に良い。いつも匠真が十分すぎるくらい支えてくれているように、自分も匠真が苦手な部分を補ってあげられたら良いな…と思う。


 悲しそうにシートベルトを締める匠真。

 その横顔をこっそり見ながら、今日は匠真の珍しい反応をよく見るなぁ…と、方泉は微笑む。隣に置いていた鞄の中から、真っ黒なキャップを取り出す。そしてパソコンを膝の上から退かすと、身を乗り出し、下を向く匠真の前髪をかき上げた。


「!」


 急に明るくなった視界に驚く匠真に、そのままキャップを被せてみる。


「“女の子が沢山いる学校”って事を、もっと考えられたら良かったね。顔が見えない大柄の男の人なんて、女性は怖いに決まってるもん。だからほら、こうやって顔を出した方が…ね、怖く見えない」


 ちょんと人差し指が指す方へ視線を向ける。横長のルームミラーの中で、おでこを出し間抜けな顔をした自分と微笑む方泉が映っている。


「うちの事務所はあまり大掛かりな変装をした事がないからね。僕もTPOに合った変装が何なのか、もっと勉強するよ」


 一緒に頑張ろうね。と言いながら、方泉がポンと肩を叩く。


「……方泉様が上司で良かったです」

「え~っ、どうしたの?そんな事言っても、お給料上がらないよ?」


 あはは、と笑い、自分の席に戻る方泉。パソコンを開く姿をルームミラー越しに見た匠真は、フォロー上手な上司の優しさに頬を緩めた。


「あっ、松井さんが20時頃、事務所に支払いしに来るって言ってたよ」

「かしこまりました。…方泉様、お昼は食べていらっしゃいませんよね?」

「うん。匠真もでしょう?」

「はい。なので、帰ったらすぐに牛タンおにぎりを作りますね」

「!!やった!匠真が作ってくれるおにぎりの中で一番好きなんだ~」


 パッと上げられた顔が、ご褒美を待ちきれない子供のようにワクワクキラキラしている。

 忙しい時に、匠真はよくおにぎりを作ってくれる。色んな種類を用意してくれるのだが、その中でも、粗く刻まれた牛タンを醤油や味噌で煮込んで具にしたおにぎりが最高に美味しい。

 口の中に入れた瞬間、甘辛い濃いめの味付けとお米がバランス良く混ざり合い、牛タン丼となって空っぽの胃に落ちていく。一口食べたら止まらない。このおにぎりのおかげで、忙しいのも悪くないと思える。

 そんな、魔法のおにぎりだ。

 

「匠真、早く帰ろう!」


 エンジンをかける匠真を、方泉が興奮気味に急かす。

 その可愛らしさに思わず顔を崩した匠真は


「はい、かしこまりました」


 と言うと、アクセルを踏んだ。

 今日は沢山作って差し上げよう――と、思いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

微笑みの探偵くん【完結】 櫻野りか @sakuranorika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ