第36話 探偵③
「…方泉様」
執務椅子に座ろうとする方泉に、声をかける。
「なに?」
パッと匠真を見る方泉。その表情はにこやかだ。
匠真は出かけた言葉を呑み込み、視線を彷徨わせる。そしてスッと背を伸ばすと
「瀬波様の忘れ物がありましたので、届けてまいります」
と言って頭を下げた。
「そうなの?よろしくね」と言う方泉に再び頭を下げ、背を向ける。丁寧に扉を閉めた匠真は、眉間に皺を寄せると、古びた廊下を小走りで進み始めた。
方泉に本当の事を言うべきだっただろうか…と悩む匠真の掌に握られたもの。
それは、GPS機能の付いた盗聴器。
従来の物より薄く小さくなったと話題の、最新型だ。
その小さな黒い四角を、匠真は掌でギュッと握る。
何故一般人の瀬波が、こんな物を持っているのだろう。
動揺のせいか、駆け足のせいか、はたまたその二つのせいか。匠真の鼓動は早鐘のように脈を打つ。
「瀬波様!」
エントランスを出ようとしている背中に声をかける。
「匠真さん?…どうしたんですか?」
切羽詰まった声に驚いて、瀬波がくるりと振り返った。
あと一歩の距離で立ち止まった匠真は、軽く上がった息を整えながら、瀬波を見つめる。
悪い事を考えた事もなさそうな、温和で純粋なオーラを纏う瀬波。
そんな瀬波と盗聴器は、全くイメージが結びつかない。
偶然持っていたのだろうか?でも、その“偶然の理由”ってなんだ?
……分からない。
分からないから、聞くしかない。
「…これは、瀬波様の物ですか?」
匠真はそっと掌を差し出す。
その掌を、瀬波が不思議そうに覗きこむ。
大きな瞳に盗聴器が映った。その瞬間、瀬波の顔からスッと表情が消えた。
「……あぁ。これ…落ちちゃったんですね」
ボソッと呟かれる声。
その声の低さに、匠真は思わず目を見開いた。
先程まで漂っていた、瀬波の温かなオーラはどこにもない。
ブワッと鳥肌が立つようなヒリつく空気。
盗聴器を見つめる気だるげな目。
はぁ…と面倒くさそうに吐かれる息。
何も希望など抱いていない。
日陰を好んで佇むような。
そんな、まるで別人のような瀬波の姿が、そこにある。
「…これ、見なかったことにしてもらえませんか?方泉さんにも内緒にしておいてください」
ガリガリと頭を掻いた瀬波は、動揺して開かれたままの掌から盗聴器をつまみ取る。
「じゃ、また」
そう言って踵を返そうとする瀬波に、匠真はハッとする。
何だ…何なんだ、この瀬波勇士という人物は。
兎に角、明らかに何かを隠そうとしている人物を、このまま帰す訳にはいかない。
「瀬波様!」
呆然としてしまいそうな自分を律し、声をかける。
チラリと冷めた表情を向ける瀬波。話しかけるなという強い意志を感じる瞳に、匠真はゴクッと喉を鳴らす。
「……瀬波様は、何者ですか?」
戸惑いを悟られないように気をつけながら、問いかける。
瀬波はじっと匠真を観察するように見つめると
「……僕はただの花屋ですよ」
と言って、薄く微笑んだ。
「急ぐので、失礼しますね」
頭を下げ、背を見せる瀬波。
人ごみに紛れていく後ろ姿を見ながら、匠真はバクッバクッと騒ぐ左胸を撫でた。
「ただの花屋ですよ」
含みを持たせるように言われた言葉が、頭の中でリフレインする。
…ただの花屋が、盗聴器なんて持つわけがない。
誰かの会話を盗み聞くために使う物なのだから。
落ち着かない心を宥める為、ゆっくりと息を吸い、静かに吐き出す。
そしてキリッとポーカーフェイスを作り直すと、背筋を伸ばし、踵を返した。
コツコツと一定のリズムで刻まれる足音が、廊下に響いていく。
――瀬波には何か、裏がある。
険しい顔で歩く匠真の脳裏に、あの偽の依頼をした女性が浮かぶ。
彼女のように同業者の差し金かもしれないし、全く関係ない別の誰か…もしかしたら瀬波自身かもしれないが――誰かがこの事務所を探ろうとしているのは確実だ。
何でさっき、もっと瀬波に詰め寄らなかったのだろう…と、冷静さを欠いてしまった自分に後悔する。
…それに、方泉にはなんと説明しよう。
事務所の前に辿り着いた匠真は、ドアノブに手を伸ばしかけ、ピタリと止める。
「瀬波様が盗聴器を仕掛けようとしていました」?
「彼には別な思惑があって近付いてきたのかもしれません」?
「もしかしたら裏の顔があるかもしれません」?
…そんな事、あんなに楽しそうに瀬波と喋っていた方泉に、言えるだろうか。
重たい気持ちを抱えたまま、匠真は扉を開く。すると、
「あっ、おかえり。瀬波さんに渡せた?」
と言って、方泉がパソコンから顔を上げた。その表情はニコニコと嬉しそうだ。
――ああ、やっぱり方泉に本当の事は言えない。
この笑顔を壊せる訳がない。
「……はい、ちゃんと渡せました」
匠真はキュッと苦しくなる胸の痛みを押し殺し、ぎこちない笑みを作る。
「…瀬波様が使ったカップ、洗ってくださったんですね。ありがとうございます」
「ふふ、そのくらい僕もするよ」
ぺこりと頭を下げた匠真に、方泉は恥ずかしそうに言う。
「そう言えば、新しい依頼のメールが来たんだ」
見て見て、と手招きをする方泉の元へ匠真は歩いて行く。
瀬波が何者なのかは分からない。
だから、今はまだ伏せておこう。
もし――
もし、瀬波が怪しい動きをしたら。
その時は全力で方泉を守り、サポートする。
例えそれで方泉が傷つく結果になってしまったとしても。立ち上がれるようになるまで、傍で支える。
今までそうしてきたように。
――そう、固く心に誓いながら、匠真はカチッカチッとマウスを鳴らす方泉の後ろに立つ。
「…動画クリエイターの方、ですか?」
メールの文面を見た匠真は、馴染みのない単語を見つけ首を傾げる。
「うん。有名人からの依頼って珍しいよね」
「…有名な方なのですか?」
「うーん、僕もよく分からないけど…“ファンミーティングをしている”って書いてあるから、結構有名なんじゃないかな」
そう言ってマウスから手を離した方泉は、メールの内容を読み上げる。
差出人は、某有名動画サイトで活躍する、宮城県在住の動画クリエイター。
現在ファンミーティングというイベントを実施中で全国各所を回っているのだが、毎回、フードを目深かに被り、笑いも動きもせずにこちらを見ている人がいる。
その怪しい人物は、イベント会場だけでなく、公表していない滞在先のホテルまで先回りして現れるので、とても怖い思いをしている。
警察に相談したが、何か危害を加えられた訳でもないので、近くをパトロールする事しかできないと言われてしまった。
どうか怪しい人の正体を突き止めてほしい――
そう切々と書かれた文面を読み、方泉は顎に手を添える。
「イベントがまた数日後にあるから、すぐにでも相談に乗ってほしいって書いてあるね」
「今日の依頼は打ち合わせだけですし、16時以降なら時間が取れます。明日・明後日は朝一なら可能かと」
「分かった。それで提案してみるよ」
返信ボタンをクリックした方泉はパチパチとタイピングし始める。
集中する方泉に一礼をし、匠真は隣の部屋へ向かった。
扉を開け、部屋のスイッチに手を伸ばす。パッと明るくなる室内。
そこには背丈よりも高いスチールラックが壁に沿って並んでいた。購入した沢山の探偵グッズや、匠真が自作した道具たちが、丁寧に箱に入って、時にはオブジェのように保管されている。
棚から一つの箱を取り出した匠真は、少し大きめの折り畳みテーブルの上に乗せる。匠真の作業机だ。ここで毎日、備品の手入れを行っている。
不具合があったり、充電が不足していては、肝心な時に使えなくて困ってしまう。
そうならないように。
いつか来るべき日に備えて、しっかり準備をしよう…と、考える匠真の頭に瀬波の姿が過ぎった。
ムッと顔を顰める匠真の手に、自然と力が入る。
「?」
いつになくガチャガチャと音を立てる匠真。それに一瞬目を丸くして、再びタイピングし始める方泉。
お互いがそれぞれの作業をしながら、近葉方泉探偵事務所の開店準備は進んでいった。
時刻は9時59分。
仙台駅の近くにある雑居ビルの2階。
柔らかな笑みを浮かべる探偵と、その横で背を正す助手が待つ部屋に、ピンポーンと救いを求めるチャイムが鳴った。
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『微笑みの探偵くん』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
映像化したら面白そうな一次創作をしてみたいと思い、ちょこちょこと準備を始めたのが2年前。一次創作は初めてだったので難しいことだらけでしたが、こうやって最後まで書けたことに、今はホッとしています。
さて、読んでいただいた方は分かりますように、このお話はまだまだ続きます。エピソード0のつもりで書きました。
しかし、他にもまだ書きたい話がありますし、何より読んでいただける方、そして楽しいと思って下さる方が居ないと、続きを急ぐ必要はないかな…?と思いますので、今後については反応を見てから決めたいと思っております。
最初から続けて読むと、「このシーンはあれのことかな?」と気づいていただける箇所があります。お時間がある方は、ぜひ一気に読んで楽しんでいただけると幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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作品に評価をしていただいた方、ありがとうございました。
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櫻野りか
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