第17話 犯人《前》②
「いや~…実はね!私が廊下で笹野さんに声をかけたんですよ!でも、ね!ほら、急に後ろから声をかけたからびっくりしたみたいでさ。笹野さんに投げられちゃったんだよね~」
「えっ、投げた!?」
「そうそう。主将らしい見事な背負い投げを、ド――ン!!とね。でも大丈夫!ほら!痛みもなくなってきたし!」
驚く松井や方泉達に向かって、打った頭をペーン!と叩いてみせる。
「教頭先生っ!頭を叩いちゃダメです!というか急に起き上がるのもダメですっ!!」
プン!と頬を膨らませた田原が、へらへらと笑う木戸の肩を押し、ベッドへ寝るよう促す。
「あ~、いやいや、申し訳ない」
「もうっ!絶対安静ですからね!」
「はい、はい、分かりました…。いやぁ、笹野さん、悪かったね!私のせいだから、気にしなくていいからね!」
ベッドに背をつけた木戸は、天井を見ながらも声を飛ばす。
その様子を、凜々花は目を見開いて見つめている。松井は戸惑っている少女の元へ歩み寄ると、目線を合わせるように中腰になった。
「笹野さん」
「…はい」
宥めるように声をかける松井に、凜々花が僅かに顔を向ける。
「本当に…教頭先生に驚いて、思わず投げ飛ばしたの?」
「……」
じっと見つめたまま尋ねると、唇を結んだ凜々花の顔が暗く沈んでいく。
「…どんな理由があれ、人を投げちゃだめよ。あなたの素晴らしい技術は人を傷つける為のものではないでしょう?」
「…はい」
「たまたま今回大事にならなかっただけかもしれない。ね。普段の生活で技を出したら絶対にダメよ。…それはあなたが一番解ってるはずよ」
ポン、と落ちた肩に手を添える。
「…はい。すみませんでした」
消え入りそうな声と共に、凜々花が微かに頭を下げる。
膝の上に置かれた拳が、ギュッとスカートに皺を作った。
再び俯いてしまった凜々花を見て、松井は内心首を捻る。
笹野凜々花。
柔道の全国大会に個人で出場する程実力のある、柔道部の主将。
幼い頃から柔道に熱心に取り組んできたという彼女が、果たして“驚いただけで人を投げる”なんて、武道の礼に背くことをするだろうか。
ううん…と唸りながら、松井は体を翻す。すると、一枚のプリントが目に留まった。田原のデスクの上に置かれたそれは、窓の隙間から差し込む風に、ひらひらと角をはためかせている。
ああ、今朝指摘した保健室だよりかしら。と思いながら、吸い寄せられるようにデスクへ向かう。
どれどれ…と進捗を確かめる松井。は、プリントの隣に無造作に置かれている本を見つけ、瞬きを止めた。
バッチリと上がった睫毛をスッと伏せ、静かに本を手に取る。
「…田原先生」
腹の底から響くような。ピリッと空気が締まる声で呼ばれた田原は、嫌な予感がするも、口角を上げて振り返る。
「何ですかぁ?…って、あっ……」
アイドルスマイルを張り付けた田原は、松井が持つ本を見て顔を引き攣らせる。
怒りに満ちた顔で松井が持っているもの。
それは月刊で発売されている少女漫画雑誌。
校則で漫画の持ち込みは禁止と決まっているのに、何故こんなものがここにあるのか。
無言の圧で説明を求める松井に、田原は大きな目を白黒させて慌てふためく。
「あ~~っと…それはぁ、生徒が置いて行ったもので~…あの、決して!仕事中に読んでた訳ではないですっ!」
「……」
必死に笑顔を作る田原。パチパチと過剰に繰り返される瞬きが、圧倒的な嘘くささを演出している。無言のまま、松井は足元に目を落とす。そこには、ちょこんと置かれている紙袋。そして、袋の中に綺麗に収まっている、沢山の単行本。
ゆったりとした動作で袋に手を伸ばす松井に、今度は瀬波が「あっ」と声を漏らす。
「その本が生徒の物だとしたら…これは誰のものですか?」
「!!」
ガサッと袋を持ち上げ、田原に冷ややかな目を向ける。ウ゛ッと喉を詰まらせた田原を見て、松井は大きな溜め息を吐いた。
「勝手に保健室を装飾するし、保健だよりはいつも誤字だらけ…それに加えて漫画を校内に持ち込むなんて、何を考えているんですか?これで本当に『真面目に仕事をしている』と言えるんですか?」
「……すみません」
詰め寄るような声色に気圧され、田原はバツが悪そうに下唇を出す。まるで不貞腐れる子供みたいな態度に、松井の目尻がグッとつり上がった。慌てた瀬波が口を開こうとするが、怒りを増した松井の勢いは止まらない。
「あと、前から気になっていたんですが、その態度と喋り方!それも何とかならないんですか?ここは職場ですよ?仕事をしにくる場所なのに、そんなぶりっ子みたいな喋り方をする必要ありますか?何のためにここに来てるんですか?」
腕を組み、鼻で笑う松井。小馬鹿にした話し方に、田原の表情がピタリと固まる。
「……は?」
「ああ、あれですか?もしかして、チヤホヤされにきてるんですか?尾沢先生にデレデレされて、い~っつも嬉しそうにしてますもんね。瀬波先生にも金魚のフンみたいにしょっちゅうくっついてますし」
「きっ、金魚のフン!?」
「瀬波先生は優しいから『嫌』と言えないだけで、本当は嫌なんじゃないですか?田原先生にくっついて回られて!ねぇ~、瀬波先生」
松井はニコーッと不気味な程満面にした笑みを、瀬波に向ける。
「え、いや、そんなことは」
と、しどろもどろに答える瀬波に、松井は同情したように頷く。田原は眉間に皺を刻むと、ハラハラしながら見守る周りも気にせず、ツカツカと松井に歩み寄る。そして両手を口に当てると、上がった眉尻を一転、悲しそうに下げた。
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