第18話 犯人《前》③

 

 

「あ~っ、分かりましたよ!校長先生っ。私が羨ましいんですねっ!」

 

 同調したように頷き、憐みの息を吐く田原。


「…はい?」


 泣き真似まで始めた田原に、松井の目がスッと半眼になる。


「校長先生がだ~い好きな瀬波先生と、私が仲が良いのが気に入らないんですよねっ!」

「!?なっ、何言ってるんですか!!だっ…だだ大好きだなんてそんな…!」

「この前の日曜日!私と瀬波先生のデート中にばったりお会いした時も、凄い形相で私の事睨んでましたもんねぇ~!」

「はっ、はぁ~~???別に睨んでませんけど!?…というか!うちは職場恋愛禁止ですよ!デッ、デートをしたという事は…」

「あーっ、デートじゃなかったぁ~!ただ一緒に出かけただけでした~っ。“まだ”付き合ってないので」


 テヘッと自分で頭を小突く田原。の、口からペロッと可愛く舌まで飛び出し、松井が「キィーッ!」と目くじらを立てる。


 一触即発。


 声を出すのも躊躇われる空気の中、瀬波は戸惑いながら周りを見渡す。

 隠し切れないワクワク顔で、二人の会話に耳を傾けている木戸。大人の喧嘩に対し、どうすれば良いのか困っている凜々花。そして不安そうに二人を見守っている方泉。

 

 このままでは良くない。

 自分が何とかしなければ…と口を開くが、またもや松井が先に声を荒げる。


「田原先生!さっき私に、あなたの事を羨ましく思ってるんじゃないかと言いましたよね?」

「はい~。言いましたけどぉ?」

「それ、そっくりそのままお返しします」


 ギョロッと魚のように見開いた瞳で、掌を田原に向ける。松井の煽るような眼差しに、カチンときた田原も声を荒げる。


「はぁ!?何で若くて可愛いこの私が、こーんなバブルで時が止まってるおばさんの事羨ましがらなくちゃいけないんですかぁ!?」

「何よっ!別にバブルが好きでも良いじゃない!!フンッ!いつも私が中庭で瀬波先生と話してると邪魔しに来るくせに!花の知識がないから、だま~ってニコニコ聞いてるけど、本当は悔しいんでしょ~?会話に入れないですもんねぇ~」

「うっ!そ、そんな事…」

「ほ~らごらんなさい!その目!悔しいんじゃない!」


 動揺して怯んだ一瞬を見逃さず、松井は嬉しそうに胸を張る。


「それに、あなた!私にこんな物送り付けたでしょ!」


 ぐぅ…と言葉を詰まらせる田原の前で、ガサガサと内ポケットを探る。

 今度は何だ?と覗き見るように起き上がる木戸と、何が起こるのか不安そうな凜々花。ジッと見つめる二人の目が、松井が取り出したものを見た瞬間大きくなる。


「はぁ?手紙?」

「とぼけないでよ!二通も出してるくせに!」


 何それ?と目で問う田原に、松井の口調が鋭くなる。

 勢い良く便箋を開き、訝しげな顔に突きつける。

 蛍光灯に透けた便箋は、裏から見ても切りぬいて貼られた文字だらけだと分かる。

 「何だこれ…」と狼狽える声が、瀬浪から零れた。


「“さいごのちゅうこくだ。やめなければがっこう中にお前のあくじをばらす”。…ここに貼られている文字は、漫画から切り抜いたものよね?こんな幼稚な嫌がらせをするの、あなたぐらいでしょう?私を恨んでいて、いつでも一人になれる空間があって、こうやって漫画を持ち込める。あなたなら簡単に作れるし、職員室にも自由に持ってこられるもの」


 「そうでしょう?」と、確信に満ちた瞳で一気に捲し立てる。興奮して小鼻が膨らむ松井。その一方、静かに話を聞いていた田原は手紙の文字を何度も読みなおす。そして、


「…私はやってません」


 と言うと、手紙から視線を移した。愛らしいパッチリとした瞳は、疑いの眼差しを向ける松井を見つめ返す。


「…でも、校長先生の“悪事”は知ってますよ」


 そう告げる艶やかな唇がニヤッと上がり、不敵な笑みに変わる。


「なっ、何言ってるの!?私が悪事なんて…っ、そんなことした覚えはないわよ!」

「私もこんな手紙なんて作ってないのにぃ、疑われて腹が立ちましたぁ。あ~あ~、言っちゃおっかな~?校長先生の秘密~」

「いや、だから…」

「もし私が話したらぁ…そうだなぁ。大好きな瀬波先生に嫌われちゃうかもしれませんねっ」


 ぴえん。と両手で泣く真似をしながら、悲しそうに首を傾ける。

 “瀬波に嫌われる”とはどういう事だ?

 田原の言葉を思案する松井は、眉間に皺を刻む。顔を伏せ、思い出せる限りの瀬波との記憶を呼び起こす。キョロキョロと左右に動く瞳。その忙しない動きが、ピタッと止まった。

 ハッと顔を上げ、田原の顔を見る。楽しそうにこちらを窺っている田原が、悪魔のような笑みを深める。

 その瞬間、ブワッと腹の底から冷や汗が溢れ出した。


「だ…いじょうぶですか?校長先生…」


 黙り込む松井に、瀬波は困惑しつつも声をかける。

 しかし、返答はない。

 いつも自信満々に張っている肩が、小さく丸まり震えている。さっきまで部屋を満たしていた威圧的なオーラはどこにもない。

 痛い程己に突き刺さる視線に、俯いていた松井は恐る恐る顔を上げる。そしてにこやかな田原に目を合わせると


「あ、あなたもしかして…」


 と、青ざめた唇で呟いた。

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