第12話 田原 美佳③


「失礼しま~す」


 スタスタと慣れた様子で入って行くゆめ。


「!」


 それに続き室内に足を踏み入れた方泉は、目の前に広がる光景に、「わっ」と小さな声を上げた。

 綺麗に整頓された3つのベッド。日が差し込む大きな窓に、備品が並べられた収納棚。部屋の中央にある大きな机とパイプ椅子。そして、簡易手洗い場。

 紛れもなく保健室であるその空間が、まるでオシャレなカフェのように華やかなプリザーブドフラワーや観葉植物で装飾されている。

 こんなにオシャレな保健室は他にあるのだろうか…と、ベッドの上に鎮座する大きなテディベアを見つめながら、方泉は「ほぅ」と息を吐く。


「どうしたの~?具合悪い?怪我?…って、えっ!千葉君だぁ!」


 ペンを置き、くるりと椅子を回転させた田原は、方泉を見た瞬間パァッと顔を明るくさせた。胸の前で両手をグーにして立ち上がり、ウキウキとスキップしながら扉に向かう。喜びのオーラを振り撒きやってきた田原だったが、目線が方泉のハンカチに止まると、ピタッと動きを止めた。


「えっ…それ、血…!?えっ!千葉君、怪我しちゃったの!?」


 ギョッとした顔でハンカチを指差す田原に、ゆめが「うん」と頷く。


「千葉先生の顔にバレーボールが当たって鼻血が出ちゃったの」

「!?かっ、顔ッ!?」


 ヒィッ!と喉の奥を鳴らした田原は、急いで方泉をパイプ椅子に座らせる。


「も~っ、折角こんなに可愛いお顔してるのに!気を付けなきゃダメだよっ!」


 方泉の鼻をいろんな角度から確認しながら、プンプンと頬を膨らませる田原。

 そう言えば、「可愛い物や人が好き」と言っていたっけ。大きなジト目に気圧され、思わず「すみません…」と謝ると、ゆめが方泉の隣に腰を掛けた。


「田原先生!千葉先生ね、ボールが当たった時に後ろに倒れたから、腰も痛めてるの」


 鼻血よりもそっちの方が問題なの。と眉を下げると、田原はギョッと目を見開いた。


「えっ!?倒れた!?腰も打ったの!?」


 キャー!と両頬を抑えた田原は、勢い良く立ち上がる。

 そして方泉の背後に回ると、「ごめんね」と言ってシャツの裾を捲った。


「…赤くはなってるけど、内出血はしてないね。打ったのは腰だけ?頭は?眩暈とか吐き気はない?」

「あっ、はい、大丈夫です。それに腰の痛みもだいぶ良くなったので、何もしなくても…」

「だ~めっ!打ち身はすぐに冷やすのが鉄則だから、ちゃんと冷やそうねっ!」

 

 そう人差し指を立てて言うと、田原は小走りで戸棚に向かい、あっという間に氷嚢を作り戻ってきた。


「ありがとうございます」


 方泉が申し訳なさそうに受け取る。すると、真剣な田原の顔がふっと和らいだ。


「鼻血を見た時はビックリしたけど…鼻も腫れてないし、腰も大怪我じゃなくて、良かった良かった」


 ふぅと安堵の息を吐いた田原は、ニコッと目を細める。そしてくるりと背を向けると、再び戸棚に向かいガーゼを取り出した。蛇口を捻り、ガーゼを濡らした田原は、方泉の視線に腰を屈めると「ちょっと冷たいよ」と言って鼻の周りに延びる血を拭い始めた。

 手早く顔の汚れを拭い、ポイっとゴミ箱にガーゼを捨てる。軽い足取りで手洗い場へと歩く後ろ姿を、ゆめは感心しながら見つめる。


「田原先生ってさぁ」

「なぁに?」

「普段の姿から想像できないくらい、手当が上手だし丁寧だよね」


 いつもは生徒達と美容や恋愛話に花を咲かせる“親しみやすい綺麗なお姉さん”という感じだが。怪我や体調不良の処置となると、スイッチが入ったようにキリッと顔を引き締め、テキパキと対応するから凄いなと、ゆめは思う。


「え~っ?何それぇ、褒めてるの?貶されてるの?」

「褒めてるんだよ~。組長も言ってたよ!『接骨院よりも、田原先生の方がテーピングが上手い』って!」


 「実家の大きい病院継げば良いのに!」と言うと、田原は困ったように眉を寄せる。


「凜々花ちゃんにそう言ってもらえたのは嬉しいけど、テーピングなんて、コツが分かればみーんな上手にできるようになるよ。それに、病院で働くのは興味ないなぁ」

「何で~?先生、看護師の資格持ってるよね。使わないのは勿体ないって思わないの?」

「ぜんっぜん思わないよ!看護師の資格は、『どうしても養護教諭になりたいなら、資格くらいは取りなさい』って親に言われたから取っただけだもん」

「ふ~ん」

「学校だとゆめちゃんみたいな可愛い子がいっぱいいるし、大好きなメイクの話もアイドルの話も沢山できるでしょっ?だから病院で働くのは、今は考えられないかな。……はいっ、この話はおしまい!」


 田原をパンッと手を叩くと、黙って聞いていた方泉に視線を向けた。


「千葉君、ハンカチちょうだいっ。洗ってあげるよ」


 ニコッと愛らしい笑みを浮かべ、両手を広げて差し出す。


「!いや、汚いですし、悪いので…」

「いーの、いーの!今日は天気が良いから、帰る頃には乾くと思うし」


 ねっ!と言いながら、ずいっと顔を寄せる。困っている方泉に、さらに田原が鼻先を寄せた時。ゆめがムッと唇を尖らせた。

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