公開処刑

 それでも……。


 これ以上、ファンクラブとのいざこざは避けたかった。


 ポケットから何枚かの紙切れを取り出した。

 靴がなくなることはなくなったけど、代わりに靴の中に何枚か紙切れが入っていることが多くなった。


 どれもノートを破ったような紙切れだ。そこには『ブス』『バカ』『クズ』といった短い暴言が書かれていた。


 うーん、と考え込む。


 これは嫌がらせが軽くなったとみるべきなのだろうか。靴がなくなることを考えればいい方だと思う。


 足を引っかけられ転ばされた時は、これ以上酷くなるのは辛いと思ったし、また靴がなくなるのも非常に困る。でも、それに比べれば落書きされた紙切れが入っているだけならたいしたことではない。


そんな事を考えながら紙切れを見ていると、ポンと肩を叩かれた。


「わぁっ!」


 思わず叫んでしまった私の声に驚いたのか、肩を叩いた方も驚いて叫び声を上げた。


「うわああ!」


 私以上に声を上げたのは、颯太くんだった。


「び、びっくりするじゃない。何!」


 むくれる私に、颯太くんも怒りを露わにする。


「こっちの方がびっくりしたよ。さっきから呼んでるのにちっとも気付かないから……何をそんなに真剣に見てたんだ?」


 言うなり、颯太くんは私の手から紙切れを取り上げようとしたので、慌ててそれをポケットにしまった。


「な、何か用?」

「考えてくれた?」


 一瞬何を? とクエスチョンマークが浮かんだけど、すぐに歴史ミステリー同好会のことだと気付いた。


「まだ考え中なんだけど……」


「そっか、じゃあ、今日、華さんと打ち合わせすることになってるから、駅地下の『楓』っていう喫茶店に六時集合って事でよろしく」


 言いたいことだけ言って、返事も聞かずに颯太くんは行ってしまった。


 おーい、もしもし?

 よろしくってどういう事?

 私の話聞いてた?

 私、『考え中』って言ったよね。


 それなのにどうして打ち合わせに呼ばれるのか……。

 しかも私の予定も聞かずに行ったよね。


 どうせ予定なんてないけどさ、でも、ちょっとくらい私の話聞いてくれてもよくない?


 すべて無視したよね。きれいに無視したよね。

 私には拒否権がないって事?



すでに姿も見えなくなってしまった相手に質問を投げかけていた私の視界に、朝から見たくない人の姿が入ってきた。


思わず回れ右して引き返したかったけど、登校したばかりで帰るわけにもいかず、相手に気付かれないように通り過ぎようと気配を消した。


つもりだったが、失敗に終わった。


「おや? 奥村さんじゃないですか」


 見つかった。


 思わず嫌な顔をしてしまいそうなのを堪え、平然を装い挨拶をする。


「おはようございます」


 それだけ言ってサッサとその場から逃げようとしたけど、そうは問屋が卸さない。


 根本はおもむろに近づいてくると、上から下まで眺めた。


 その後、再び視線を頭に戻すと、口の端を歪めた。


「髪の色が少し校則から逸脱しているようだね」


 あろうことか、根本は髪の色を指摘してきた。


 確かに人より色素が薄く、陽に当たると一層髪の色が茶色に見える。


 幸い、この学校には『地毛登録制度』なるものがあり、指導時のトラブルを防ぐため保護者に確認のうえ、事前に『地毛証明書』を提出すれば、天然パーマや生まれつき髪が茶色い生徒は容認されるようになっている。


 髪の色が黒だろうが茶色だろうが、パーマをかけていようが大した問題ではないと思うけど、ある一定の年齢の人には茶髪・パーマ=不良という公式が頭から離れないらしい。

 面倒を避けるために、入学時に届け出を提出していた。


だから、これまで髪の色で指導されたことはなかった。


 それに茶色といっても、室内や日陰に居る時はさほど髪の色が茶色に見えることもない。こうして外に居て陽に当たると少し茶色いかなという程度だ。


それを、敢えて根本が指摘してきたので、難癖をつけてきたとしか思えない。


「あの、これは生まれつきで、入学時にも届け出を出しています」


 そう答えた私を、根本は鼻で笑う。


「ああ、この学校には『地毛登録制度』っていうのがあるんだったね。でも、それを悪用する生徒もいてね、事前に届け出を出したのをいいことに毛を染める生徒がチラホラ見受けられるんだよ」


 根本に言いがかりをつけられている私を、登校してきた生徒たちが何事かと遠巻きに見ている。


 同情や哀れみの視線を向けてくる人がほとんどだったけど、中には『いい気味だ』とほくそ笑んでいる者もいる。


まるで公開処刑を受けているようで針のむしろだ。

いたたまれず俯く私に、根本は声を張り上げる。


「風紀の乱れは心の乱れという言葉は知っているかい? 学校や教師に正面から反発できない者が、自己顕示欲を満たすために、まず頭髪や服装を弄ることから始める。それを見逃さず道からそれないように指導するのが教育者だ。私はね、君のことが憎くて言っているんじゃないんだよ。それだけはわかってほしい」


 あたかも私のことを思っている教育熱心な教師の言葉を装ってはいるけど、どう聞いても恨みつらみがこもっているようにしか聞こえない。


 変に反抗しようものなら『規則を守らない生徒』というレッテルを張りかねない。


とりあえずこの場は黙ってやり過ごすしかないと思ったその時、遠くの方から根本を呼ぶ声が聞こえた。


「根本センセー、そいつ担任に呼ばれてるんで連れてっていいですか?」


 そう言って近づいてきたのは倭斗くんだった。


「え? でも今は私が……」


 まだ私に何か言いたそうにしている根本に、倭斗くんが畳みかける様にいう。


「なんか急いでるみたいなんで、失礼しまーす」


 そう言うと、倭斗くんは私の腕を掴んだ。


 無理やり話を中断された根本は、悔しそうに唇を噛んで私たちを見送った。


その様子をほくそ笑んで見ていた子たちも、同じように悔しそうにしているのが目に入った。でも、今は根本から解放されたことに安堵する。


安心すると頭の中に疑問がひとつ浮上した。


担任の先生が自分に何の用事があるというのだろう。しかも急用みたいだし……。


「先生、何の用だろう」


 ボソッと呟くと、倭斗くんが何食わぬ顔で驚きの台詞を口にする。


「呼ばれてない」

「へ?」


 倭斗くんの言葉の意味が理解できずに、間の抜けた声をだした。


「先生に、呼ばれてない」


 そっぽを向いたま答える倭斗くん。


「呼ばれてないって……ウソだったの?」


 聞き返す私に何も答えず、何故か倭斗くんは不機嫌な顔をしている。


「もしかして、助けてくれたの?」


 言った途端、近くにいた女の子の視線が刺さった。


「そんなんじゃねーよ、勘違いするな」


 という倭斗くんの言葉で、その視線が和らぐ。


「でも……」


 なんで嘘なんかついたのだろう……そう思っていると、倭斗くんが苛立った口調で言う。


「髪の色ごときでグチグチ言う根本が気に入らなかっただけだ」


 そうは言うけど助けられたことに変わりはない。そう思って礼を述べる。


「ありがとう。助かった」


 倭斗くんはフンと鼻をならし、とっとと上履きに履き替えて行ってしまった。


 倭斗くんは助けたつもりがないようだけど、彼に救われたのは事実。女の子たちの視線は痛かったけど、胸の奥が少しだけ暖かくなったような気がした。

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