どれにしようかな

 ドアのカウベルが鳴るたびそちらへ視線を移しては、本へと視線を戻す。


 視線は文字を追っているけど、本の内容は全く頭に入ってこない。

本を閉じて、少しそわそわした気持ちで紅茶を口に運んだ。


『楓』という名前だけあって、和を基調としたレトロな雰囲気の喫茶店だ。一番奥の席だけど、入り口がよく見える席に座っていた。


時計を見る。時計の針は四時十五分を指している。

時計が壊れたのかと思うほど、先ほどから時計の針が動いていない。


いや、実際には時計は壊れていないし、秒針は正常に時を刻んでいる。それなに進んでいないように感じるのは、落ち着きなく何度も時計を気にしているから。


私には一分を時計の針が進むのに、五分、いや十分もかかっているかのように感じた。


せっかちな性格ではないけど、それほど親しくない人との待ち合わせほど嫌なものはないと、初めてわかった。


場所はここで合っているのだろうか。

早く来すぎたのではないか。

逆に遅すぎて、すでに帰ってしまった後なのではないか……などなど。

考えれば考えるほどマイナスのことばかりが頭に浮かぶ。


今頃気付いたことだけど、颯太くんの連絡先も聞いていなければ、華さんの連絡先も知らない。


ただひたすら待つしかない状況の中、紅茶をすすっていた。


 カウベルが鳴ったので、チラッと視線だけを上げてドアの方を見ると、黒いトレーナーにジーンズ姿の男性だった。


小さなため息をついた。


 また違う。

 そう思った時、今入ってきた男性が私の席のところまで来て立ち止まった。

 ふと見上げると、その人と目が合う。


 どこかで見たことのあるその瞳に一瞬ドキリとする。


 誰かに似ているような気もしないでもないけど、必死に目の前の男の人と自分の中にいる男の人の顔を照合したが、どれも一致しなかった。


 前髪を無造作に上げているので、ハッキリと造作がわかる。かなりのイケメンだ。


 鋭い視線を向けられ、反射的にすぐさま視線を反らす。


 すると、頭上から不機嫌な声が降ってきた。


「おい」

「は、はい?」


 突然怒ったように声をかけられ、戸惑いながらも恐る恐る男性の顔を見上げた。


「な、何か用ですか?」


 恐々尋ねたけど、男性は更に不機嫌に顔を歪めただけで何も言わなかった。それどころか、何を思ったのか私の向かい側の席に座った。


「え?」


 な、何故ここに座った? 満席ではないのに……。


 相席するにしても、まず『相席よろしいですか?』とか聞いてきそうなものなのに、目の前の彼も、店員すらもその一言を口にするそぶりもない。


 この席がお気に入りだったのだろうか。

実は常連客で、この席は常にこの人の席と暗黙の了解みたいなのがあったのかもしれない。


 この店に始めてきた私がそんなことを知るはずもないけど、それならそうと、店員さんが教えてくれればいいのに。


 ならば自分が移動するしかない。


「あ……今移動しますね」


そう思って席を立つと、男性がさらに不機嫌に顔を歪める。

 そんなに怒らなくてもいいのに、と思った時。


「俺だよ、バーカ」


 そう言うと、上げていた前髪をクシャクシャッと崩した。


 その顔に見覚えがあるような……。


 ハッと息をのんだ。


 制服を着ている姿しか見たことがなかったし、普段着で尚且つ髪型も違っていたから、まさか目の前の人物が同じクラスの男子だということに、今の今まで気づかなかった。


「桐谷倭斗ッ!……くん」


 思わず叫んでしまった私に、彼は憤然とした面持ちで睨みつけてきた。


「声がでけーよ、奥村ヲタク」


「ご、ごめんなさい……。でも、なんであんたがここに来るのよ。颯太くんは? 華さんは?」


 彼は苛立ちを鎮めようとしているのか、深く長い息を吐き出た。

 そして、無造作に髪をかき上げジロリと私を睨みつるとゆっくりと口を開いた。


「華が急用で来られなくなって、颯太に伝えたらしいんだが、颯太もバイトのヘルプを頼まれて、どうしても断れないから打ち合わせには来られないってさ。でも、颯太のヤツ、お前の連絡先知らねーから、俺がパシリにされたんだよ。待ち合わせするのになんで連絡先くらい交換してねーんだよ」


 それに関しては反論する余地はない。


 もっと怒られるかと思ったけど、彼は萎れる私の顔をジーっと見つめるだけだった。


 彼に見つめられ、心臓がドキドキと高鳴る。

 すると、彼は私の顔を見ながら真顔で呟いた。


「前に、街で私服のクラスメイトに会っても気付かないって言ってたけど、マジで気付かないとは思わなかった」


 いったん言葉を切ると、彼は意地悪な笑みを浮かべた。


「俺は、お前が私服でも気付くけどな」


 その言葉に、心臓が跳ね上がった。


「え?」


 驚く私をよそに、彼は自分が言いたいことだけを告げると、用件は済んだとばかりにすぐさま立ち上がった。そして、来た時と同じように足早に出口に向かう。


「わざわざ来てくれてありがとう」


慌てて立ち去る背中に声をかけると、彼が突然立ち止まった。かと思ったら振り返るなり再び私のところへ戻ってきた。


「お前、この後暇だろ。ちょっと付き合え」


 それだけ言うと私の返事も聞かずに行ってしまう。


「ちょっ、ちょっと待って!」


 慌てて彼の後を追った。


 急いで会計を済ませて店を出たけど、すでに彼の姿はない、と思ったら、彼はちゃんと店の外で待っていてくれた。


 けれど、私の姿を認めるとスタスタと先を歩く。

 その背中を見失うまいと必死で後をついていった。


 意外と歩く速度が速くて歩幅も違うせいか、ついて行くのに小走りしなければならなかった。でも、いつの間にか走らなくてもいい速度で歩いてくれるようになって、無理なくついて行けるようになった。


 ようやく考えごとをする余裕もできてきたけど、彼の言う『用事』について思考を巡らせたが、何一つ思い当たることがなかった。


 何かしらの答えが出る前に目的地に到着したようだ。


 彼が雑貨屋さんに入っていった。

 何かを探しているのかしばらくウロウロしていたけど、目的のものを見つけたようで、突然立ち止まった。


 彼の背中を一生懸命追っていたから、急に止まったその背中に体当たりしてしまった。


「ブホォ」


 また怒られるかと思ったけど、衝突された彼は呆然と前を見つめていた。


「なんでこんなに種類があるんだよ」


 ボソリと呟いた彼の視線を追うと、その先にはたくさんの種類のお弁当箱があった。


 お弁当箱と一口にいっても種類は豊富。


 プラスチックのものから曲げわっぱ、二段式や保温機能のついたものとさまざまだ。形もオーソドックスな四角いお弁当から丸型や小判型などなど色んなお弁当箱がある。


 何故お弁当箱を買いに来たのかと疑問に思っていた私の心中を読んだかのように、彼が口を開いた。


「華に弁当箱を買ってくるように頼まれたけど、こんなに種類があったんじゃ、どれを選んでいいか分かんねーよ。やっぱ、お前連れてきて正解だった」


「ん?」


 首をかしげる私に、彼が告げる。


「好きなのを選べ」


「は? なんで? なんで私が選ぶの?」


 好きなのを選べと言われても、何故自分がお弁当箱を選ばなければならないのか分からない。当然の質問なのに、彼はしれっと答える。


「お前が使うんだから、使いやすい弁当箱の方がいいだろ」


「へ?」


「さっきから、は? とか、へ? とか、まともな返事の仕方ができないのか? 間抜けな顔がさらに間抜けに見える」


 確かに間抜けかもしれないけれど、ここまでの一連の行動を考えれば致し方ない事と言えないか?


 待っていた待ち人は来ず、来たかと思えば、普段とは全く雰囲気の違うクラスメイト。そのクラスメイトに有無も言わさず雑貨屋に連れてこられ、お弁当箱を選べと言われれば、間抜けな返事のオンパレードにもなる。


「悪いけど、ちゃんと説明してくれる? 私の頭は、未だ歴史ミステリー同好会の打ち合わせのために喫茶店で待ち合わせしているところから進んでないんだけど」


 半ば怒鳴り口調で言うと、彼は大仰にため息をついた。

 そして、今度はゆっくりと分かるように話してくれた。


「華と弁当を交換することになっただろ? だから新しい弁当箱を買って来いって華に頼まれたんだよ。俺にはよくわからんから、お前が使いやすい弁当箱を選べ、費用は華が払うから値段は気にするな。俺はノートを買ってくるからそれまでに選んでおけよ。以上」


 い、以上って言われても……。


 反論しようにも、彼は自分の用事を済ませようとさっさと行ってしまった。


 ノートを買ってくるまでに選んでおけって、私だってお弁当箱のエキスパートじゃないんだから、どれを選んでいいかなんてわからないよ、と戸惑いつつもお弁当箱を手に取ってみる。


 オーソドックスな一段の四角いお弁当は定番中の定番だ。パッキンで留めるタイプだから汁漏れは心配ないけど、一段のお弁当箱はご飯におかずの味が移ってしまうのが難点だ。


 次に定番なのが二段のお弁当箱。これはご飯におかずの味が移らないからいい。食べ終わった後に一段にまとめられるから、かさばらないのも魅力だ。今は二段のお弁当箱の方が人気で、種類も豊富。


 今気になっているお弁当箱は、丸型の汁物も入れられるタイプのもの。これは一見お弁当には不向きなカレーや丼ものも入れられるから、お弁当のレパートリーが増える。


 何といっても麺を入れられるのがスゴイ。二段に分かれているから下段にご飯や麺、上段に具材やタレを入れ、食べる直前に混ぜることが出来る。だから、ご飯がベチョベチョになったり麺がのびたりしなくていい。


 でも曲げわっぱのお弁当箱も捨てがたい。木で出来ているからお米の水分を程よく吸ってくれて、夏はご飯が痛みにくく、冬はご飯が固まりにくい。何と言ってもお弁当がおいしそうに見えるのがいい。


「う~ん。どれにしょう……迷うなぁ~。 でもやっぱり前々から欲しかった、丸型の汁物が入れられるお弁当箱かな。いや、ご飯がおいしい曲げわっぱかな」


なかなか決められず、とりあえず二つ手に取る。


「決まったか?」


 悩む私の顔を覗き込むように声をかけてきたけど、真剣に悩んでいたからあいまいに頷く。


「ん~、まだ決めかねてて……。バリエーションをとるか、味をとるか……」


 すると、持っていた二つのお弁当を彼が掴んだ。


「二つ買ったらいいじゃん」


「え?」


 頭をフル回転させ必死に考えていた私を差し置き、あっさり回答をだす倭斗くん。


 彼はその二つのお弁当箱を持ってレジへと向かう。


「ちょ、ちょっと待って。それひとつでもそこそこの値段するよ」


慌てて引き留めるも、彼は私に目もくれず先を急ぐ。


「費用は気にするなって言っただろ。それに順番で使えば帰りに弁当箱を交換しなくて済むだろ」


「なるほど……」


 思わず納得してしまう、でも……。


「いやいやいやいや、でもそれ高いよ。それに私が使うには量が多いよ」


 腕を掴んで引き留めると、ようやく彼が私の顔を見た。


「費用は華が出すから気にするな。授業料だと思えば弁当箱の一つや二つ安いだろ。それと、どうせ佐伯と神代の三人でつつくんだろ? このくらいないと足りないだろ」


「あ、でも……」


 と言いかかけたものの、何も言い返す言葉が見つからなかった。


 黙りこむ私に、彼がクスっと笑い声を漏らした。


「いろんな弁当箱を使えて喜ぶお前と同じように、きっと華も喜んでくれるさ。心配するな」


 そう言うと、倭斗くんは優し気な笑みを浮かべレジへと向かった。


 あ~、やっぱり『桐谷倭斗』の笑顔は毒消し効果がある。

 無骨な態度も、嫌みなセリフも吹っ飛んでしまう。


 でも、私はそんな毒消しに騙されないぞ!


 そう気合を入れたところで、会計を済ませた彼が戻ってきた。


 二つの袋のうち一つを私に差し出した。


「どっちが入っているかは開けてからのお楽しみだ」


 その言葉にワクワクして、思わず笑みがこぼれる。


「新しいお弁当箱っていつもと中身が同じなのになんか特別感出るよね。しかも日替わりでお弁当箱が変わるってすごいね。作るのが楽しくなる。華さんもそう思ってもらえると嬉しいな」


「言っとくけど、お前が食うのは華が作った弁当だからな」


 彼が念を押すように言った。もちろんそれはわかっている。


「味はちょっと難ありだけど、でも誰かが作ってくれるお弁当を食べるのはやっぱりうれしい。ありがとう」


 うれしさを抑えきれずに言った私の顔を見た彼が、突然プイっと顔をそむけた。


「どうかした?」


 彼の顔を除きこもうとした私の頭をくしゃくしゃっと乱した。


「腹壊すなよ」


 そう言うと、彼は足早に歩き出した。


 私は彼の後を追うように、お弁当箱が入った袋を胸に抱え弾むように歩いていた。

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