同好会

 帰り際、思わぬ人物に呼び止められた。


「奥村、ちょっといい?」


 霧谷くんが遠慮気味に声をかけてきた。


「どうしたの? 霧谷くん」


「霧谷くんなんて水臭い。俺とお前の仲だろ。颯太でいいよ」


 気安くそう言ってはくれるが、水臭いと言われても、彼と話をしたのは一回か二回ほどしかない。


まあ、名前のくだりはいいとして、彼が話しかけてくるとは何事かと首をかしげると、彼は突然顔の前で手を合わせ拝みだした。


「奥村、頼む! 歴史ミステリー同好会に入ってよ」


「へ? 歴史ミステリー同好会? うちの学校にそんなのあった?」


 うちの学校に歴史ミステリー同好会なるものが存在していたとは、今の今まで知らなかった。


何たる不覚。


歴史ミステリーという魅惑的なフレーズに興味を惹かれないわけがない。知っていれば真っ先に見学、もしくは入会も厭わない。


 けど、入学したての頃ならいざ知らず、何故、今さら勧誘されるのか謎である。


「一応あることはあるんだけど……」


「けど?」


 歯切れの悪い颯太くんの言い方に、少しだけ胸騒ぎがした。


「公式の会員が俺ひとりなんだよね。同好会として承認を得られるのは会員が二人以上なんだ。そこで、歴史に詳しい奥村に入ってもらえると、人数としてもクリアするし、同好会としても拍がつくだろ。徳川埋蔵金の話をあれだけ詳しく語れる奴はそういない。それに推しが蒲生氏郷ってところがまた渋い! 大将にも関わらず常に先頭に立って戦うその心意気、自らが先頭に立つことで兵士たちを鼓舞するところも憎い。私欲に乏しく義に厚い男、惚れるよな。ちなみに俺の推しは栗山善助≪くりやまぜんすけ≫だ」


 蒲生氏郷を渋いというが、栗山善助のほうが渋いと乙羽は思う。


 栗山善助は黒田官兵衛が最も信頼した家臣だ。身分に関わらず、同じ主君に仕える人には丁寧に接し、道ですれ違えば、必ず馬を降りて挨拶をしたりと、決して礼を失わない人だった。


 私も善助は好きな武将の一人でもある。そんな善助を推しだという颯太くんに歴史ミステリー同好会に誘われたとなれば断るのも気が引ける。しかも自分が好きな武将を褒められるのは、なんだか気恥ずかしいが、嬉しくもある。


 加えてこれまで好きな武将や歴史について話をする相手がいなかったので、歴史ミステリー同好会に入ったら、きっと楽しいだろう。


でも、颯太くんの言い方は、何か引っかかるものを感じる。


 猜疑心をたっぷり視線に込めて颯太くんを見ると、渋々といった態で口を開く。


「非公式の会員として……倭斗がいる」


 何かあると思えばやっぱり訳ありだった。でも、ここで疑問が生じる。


 桐谷倭斗が同好会に所属しているのであれば人数はクリアされるのでは? 何故非公式にする必要があるのだろう。


 その疑問を口にする前に、颯太くんが理由を説明してくれた。


「あいつを公式の会員にすると、同好会としての本来の活動ができなくなる」


 説明してくれたのはいいけど、まったく意味が分からない。


「桐谷倭斗は歴史が好きじゃないの? 人数合わせで無理やり誘った感じ?」


 質問すると、颯太くんは腕を組んでうーんとうなった。


「無理やり誘った感は否めないが、悔しいことに俺以上にあいつは歴史に詳しい。口では歴史に興味がないと言っているがまんざらではないと、俺は思う。だから、あいつと二人で同好会を立ち上げたまでは良かったが、誤算が生じた」


「誤算?」


「あいつ無駄に運動神経が良いから、運動部からの誘いが後を絶たない。でもあいつ特に好きなスポーツがないらしくてどこにも所属したがらないんだよ。そのほうが運動部のやつらにとっては都合がいいんだろうな。助っ人として倭斗を引っ張り出せるからな。だが、そのせいであちこちから助っ人を頼まれるんだよ。ろくに練習もしないくせに必死で練習している奴より活躍しちゃうから、ほんとたちが悪い。そんなこんなで活動しようにも俺ひとりじゃ何もできない」


 なんだか、桐谷倭斗に対してものすごく辛口に聞こえるが気のせいか……。


 口をはさむ余地がないほど早口で話す颯太くん。ひと息つく暇もなくなおも言葉を重ねる。


「それに、あいつにファンクラブができただろ。あいつが歴史ミステリー同好会に入っていると知れ渡れば、たちまち歴史ミステリー同好会は桐谷倭斗愛好会になっちまう」


「なるほど」


 それには納得してしまう。数ある運動部の助っ人に駆り出されるとなれば、歴史ミステリー同好会の活動どころではないだろう。それに歴史ミステリー同好会に桐谷倭斗が所属していると知れ渡れば、彼目当てで人は集まるだろうけど、本来の目的である歴史ミステリーは敢え無く霧散するだろう。それは容易に想像がつく。


 頷く私に、颯太くんが縋るように拝んでくる。


「なあ、だから頼むよ。歴史に興味があって、尚且つ倭斗を『あんた』呼ばわりできるのは、奥村以外にいないんだ」


 好んで『あんた』と呼んでいるわけじゃない。が、『倭斗く~ん』と猫なで声で呼ぶことはないのは確かだ。


 なるほど、と得心がいったけど、颯太くんが思うほど話は簡単じゃない。歴史ミステリー同好会の勧誘なんて、よだれが垂れそうなくらい魅力的な誘いではある。


 歴史に興味があって桐谷倭斗には興味がないことに変わりはない。でも、その桐谷倭斗が絡んでいるとなると話は別だ。


 これが、桐谷倭斗のファンクラブとのいざこざが起きる前なら二つ返事で誘いに乗ったけど、今は苦境に立たされているといっても過言ではない。


 そんな時にこの誘いに乗ってしまうのは、火に油を注ぐ行為になりはしないか……。


「そんな難しい顔すんなよ。あいつのファンクラブのことなら心配ないぜ。何しろあいつは非公式の会員だし、これはトップシークレットだから、ファンクラブの連中も知らない情報だし、情報が洩れる心配もない」


 それなら、と言いたいところだけど、まだその誘いに乗るわけにはいかない理由がある。


「顧問って、もしかして根本先生?」


 だったら尚のこと、同好会に入るのは抵抗を感じる。


すると、今まで低姿勢だった態度が一変し、颯太くんは偉そうに胸を張る。


「あんな奴に頼むかよ。顧問は外部顧問として、大学でも時々講師をやっている華さんにお願いするつもりだ」


「華さんってもしかして、森野華子さん?」


「え? 奥村知ってんの?」


 知っているも何も隣国同盟ならぬ仲良し同盟を組んだ仲だ。


「うん。この前忘れ物届けてほしいって頼まれた」


「ああ、そっか。そういえばそんな事あったっけ。なら、話は早い。いいだろ? 入ってくれよ」


 華さんが顧問なら文句なしに入りたいところだけど、やっぱり、非公式とはいえ桐谷倭斗と関わるのには抵抗がある。


それ以前に根本的な疑問が沸き上がってきた。


「ところで、なんで今更私を誘うの?」


 すでに一年の半分は過ぎた。今更と思うのも仕方ないと思うのだけど、颯太くんは『なんだそんなことか』とでも言うようにサラッと言ってのける。


「だって、奥村がこんなに歴史に詳しいなんて知らなかったんだから仕方ないだろ。なんで今まで隠してたんだ?」


 逆に質問され、困ってしまう。

 別に隠していたわけじゃない。単に颯太くんが私と接点がなかっただけだ。


 そんなことを考えていた時、不意に声をかけられた。


「お前らそこで何やってんだ?」


 見れば桐谷倭斗が少し不機嫌そうな顔で近づいてきた。


「げ、桐谷倭斗」


 思わず言葉が漏れた。


「げってなんだよ。奥村ヲタク」


「だから――」


「お前がフルネームをやめないからだろ」


 先手を撃たれ何も返せなくなってしまった。そんな私に勝ち誇ったように、桐谷倭斗――倭斗……くんは口を歪ませた。


「颯太、お前今日バイトだって言ってなかったか?」


 倭斗くんに言われ、颯太くんはハッとしたように目を見開いた。


「そうだった! じゃあ、奥村考えといて」


 言うなり颯太くんはとっとと行ってしまった。


 とり残された感じに二人きりになってしまい、逃げるように立ち去ろうとした。


だが、倭斗くんが力強く私の腕を引っ張って止める。


「おい!」


 探るような目つきで見る倭斗くん。


「な、何?」


何か言おうとしていた倭斗くんだったけど、フッと息を吐くと私の腕を解き放つ。そして、お弁当箱を目の前に掲げた。


「俺の弁当箱、返せ」


 あたかも私が奪ったような物言いに腹が立った。


「あんたが私のお弁当盗ったんでしょ」


 ひったくるように私のお弁当箱を取ってから、彼のお弁当箱を突き返した。


「で、おまえ、弁当食った?」

「た、食べたよ」

「どうだった?」


 倭斗くんは意地悪そうな視線を向けてくる。


「どうって……あ、あんたはどうだったのよ。人のお弁当盗んどいて、何も感想はないわけ?」


 形勢逆転か、倭斗くんが一瞬怯んだ。


「まぁ、人間が食べるモノとしては上出来ってとこかな」


 プイっとそっぽを向いて言った彼の表情は見えない。


「なにそれ。おいしかったとか、マズかったとか、もっとシンプルに言えないの?」


「じゃあ、お前はどうなんだよ」


 切り返され言葉に詰まる。


 う~ん、自分で言っておきながらシンプルに言うのは案外むずかしいことなんだと少し反省。


「え~と……とても不思議な味でした」


 さすがにマズイとは言えなかったので言葉を濁すと、倭斗くんがあきれたように私の顔を覗き込んできた。


「それがシンプルに答えろって言ったヤツの言葉か? まあ、いいや。あれが人間の食べるモノじゃなってことが分かっただろ。分かったら、二度と余計な事するなよ」


そうは言っても、彼女の気持ちを思うとやり切れない。


「でも、せっかく作ってくれているのに、可哀そう」


「あんなもん食えるかッ」


 そう吐き捨てる倭斗くん。


 お弁当を作る大変さを知っているがゆえに、『自分の彼女が作ってくれた弁当は自分で食え』と怒鳴りたくなるけど、お弁当の味を知ってしまった今、これ以上言い募ることはできなかった。


 が、ふとある疑問が湧いてきた。


「でも、なんで颯太くんがお弁当を食べてるの?」


 なぜか倭斗くんが眉を吊り上げた。


「颯太くん……か」

 ぼそりと呟いた倭斗くん。


 ん? と首をかしげる私に、倭斗くんは不機嫌につぶやいた。


「――のことは――で、――のことは――なんだな……」


 声が小さすぎてなんて言ったのか聞こえなかった。


「え? 何?」


 聞き返す私に倭斗くんは大仰にため息をついて見せた。


 何? え? ん?


 頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。けれど、倭斗くんはそのクエスチョンマークを消してくれなかった。


 ほんの少し沈黙した後、代わりに違う言葉を吐き出した。


「あいつの味覚は狂っている。あんなマズイ弁当を喜んで食うのは颯太だけだな」


 颯太くんの味覚について議論する気はないけど、喜んで食べてくれる人がいるのなら、それはそれでよしとするべきか……。


「そう言えば、美幸ちゃんと杏子ちゃんも、クセになる味だって言ってたよ」


「マジか」


信じられないとういうように、倭斗くんは手で口を押えた。


 これは嘘じゃない。


ほとんど美幸ちゃんと杏子ちゃんが食べつくし、次も食べられるのか聞いてきた。次があるかわからないと告げると、二人ともとてもがっかりしていたほどだ。


「えっと……その……知ってるの? お弁当が……その……」


言葉を紡げずにいる私をよそに、倭斗くんがキッパリと言い放つ。


「マズイなんて言えるかよ」


 よほど怖いのか、倭斗くんはブルッと身震いした。


「そんなに怖いの?」


「怖いなんてもんじゃない。殺される」


さすがにそれは言い過ぎだろうと思ったけど、倭斗くんの様子からまんざらでもなさそうだ。


ならば、これは渡さないほうがいいだろうか。余計なお世話なのかもしれない。


 ポケットから一枚のメモ紙を取り出した。


 その紙には『失敗しない卵焼きの作り方』と書かれている。

 溶き卵をフライパンに広げ、その上にすぐにハムを二枚のせ手早く巻いていくというものだ。お得意のハム入り卵焼きだ。


 あれだけクオリティーの高い卵焼きを作れるのだから、焼き方のアドバイスは必要ない。逆に教えてほしいくらいだ。


 問題なのは、味。


 どうやったらあんな味が出せるのか逆に聞いてみたいところだけど、聞いたところで作る気はない。


 この作り方なら、味付けが必要ないので失敗することはない。


 それにしても、ファンクラブができる程女の子にモテる倭斗くんが、彼女が怖いなんてちょっとかわいいかも。


クスリと笑った私を訝しむように、倭斗くんがメモ紙をのぞき込んできた。


「へえ~、こんなに簡単なら俺でも作れそうだな」


 倭斗くんが軽口をたたく。


「そんなに簡単じゃないよ。卵焼きはキレイに丸めるのが難しいんだから」


 そう言って顔を上げた。


 すると、目の前に倭斗くんの顔があった。思いのほか彼の顔が近くにあったからなのか、心臓がドクンと跳ね上がった。


そんな私の様子を怪訝に思った倭斗くんは、さらに私の顔を覗き込んできた。


 ん? と不思議そうに首をかしげる倭斗くんは、かっこいいというより、むしろかわいいに近かった。


クールで大人っぽい顔をしているかと思えば、優し気に微笑んでみたり、いたずらっ子のような笑みを浮かべたり。そうかと思えば今度は少年のような可愛らしい表情を見せる。


 今、目の前にいる倭斗くんからは『鉄仮面』という言葉は想像できない。

でも、彼はクラスにいる時は表情をあまり変えることがない。


「いろんな表情できるのに、なんで学校では無表情なんだろう」


 思わずつぶやいた私の言葉に、倭斗くんがハッとしたように目を見開いた。


 私に言われるまで自分が表情豊かにふるまっていたことに気付かなかったのか、見る見る彼の顔が赤くなる。


 私の視線から逃れるように、倭斗くんはプイッと顔をそむけてしまった。


 これまで近寄りがたいと思っていた倭斗くんの違う一面を見て、可愛いと思ったのもつかの間、倭斗くんはいつもの鉄仮面と毒舌を身にまとう。


「俺が笑顔を振りまけば、もっとハエがうるさくなるだろ」


 ハエと言われて一瞬意味が分からなかったけど、すぐにその意味を理解した。


 ハエ=倭斗くんを好きな女の子たち。


 やっぱり悪魔だ。

 イケメンのお面をつけた悪魔だ。


 自分のことを好きだと言ってくれる人たちを、ハエ呼ばわりするのは悪魔に違いない。


 変わりつつあった倭斗くんの印象を、『悪魔』と認識しなおした。


「これ、もらってくぞ」


 持っていたメモ紙をヒョイッと取り上げた。


「え? でも怖くて言い出せないんじゃないの?」


「さすがにマズイとは言えないが、もっと美味しくなる方法だって言えば平気だろ」


「余計なお世話じゃないかな」


「料理が苦手っていう意識はあるようだから、上手になれる方法だと言えば大丈夫だろ。それに、弁当が食える代物になったら、泣いて喜ぶ奴もいるからな。お前が心配することじゃないさ」


 倭斗くんは親指を立ててニッと笑った。


 そんな彼の笑顔を見て、なぜか私の心臓はドキドキと激しく高鳴った。

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