魅惑のお弁当

 昼休み。


 机に頬杖をついて呆けていた。


「乙羽ちゃん、お弁当も食べないで大丈夫ですか?」


 朝からすし詰め状態で電車に揺られ、一時限目から根本の応酬にあい、そしてファンクラブの嫌がらせと色々ありすぎて疲れた。


 しかし、美幸ちゃんの『お弁当』というフレーズで一気に疲れが吹き飛んだ。


 今朝、倭斗と無理矢理交換させられたお弁当を机の上に広げる。

 自分以外の人が作ったお弁当を食べるのは久しぶりだ。ワクワクしながらお弁当の蓋をあけた。


 まず目に飛び込んできたのは彩の良さ。


 赤・緑・黄色と色とりどりのおかずが四角いお弁当箱に詰め込まれている。


 主役はハンバーグ、付け合わせはほうれん草の和え物、ちくわの磯辺焼きに卵焼き、加えてベーコンの野菜巻きとミニトマト。おまけにご飯は炊き込みご飯だ。なんと豪華なお弁当だろうか。


 思わず声が漏れる。


「すごい」


 その言葉に、杏子ちゃんと美幸ちゃんがお弁当をのぞき込んでくる。


「乙羽、どうしちゃったの? 今日はずいぶん張り切ったね」


「うわぁ~、乙羽ちゃん今日はすごいごちそうですね。これいただきますね」


 言うが早いか、おいしいものに目がない美幸ちゃんはふっくらとした卵焼きをつまみ上げると、パクッと頬張った。


「ぐぐぐぐぐ……」


 卵焼きを頬張った美幸ちゃんが悶絶しだした。


「美幸! 大丈夫? ちょっと、乙羽。あんた弁当に毒でも入れたの?」


 ブンブンと首を振った。


 自分が作ったわけじゃないから断言はできないけど、彼女が彼氏に作る弁当に毒など入れるはずがない。


 いやいやいや、あの毒舌性悪彼氏に嫌気がさして毒を盛ったとしても不思議じゃない。


 伊達政宗の母親も我が子に毒を盛るくらいだもん。


「美幸ちゃん、吐き出した方がいいよ。もしかしたらそれ毒入りかも」


 その言葉はすでに遅く、美幸ちゃんはゴクリと飲み込んでしまった。


 すると、美幸ちゃんは目を閉じ、イスの背もたれに力なくグッタリとよりかかった。


「み、美幸ちゃん?」

「美幸!」


 私と杏子ちゃんで美幸ちゃんの肩を激しく揺さぶった。


「救急車呼んだ方がいいんじゃない?」


「そ、そうだね……そうだよね」


 震える手でスマホを操作しようとする私の手を、ガシッと力強い手が握りしめた。


「だいじょーぶです」


「美幸ちゃ~ん」


「美幸ィ~」


 私と杏子ちゃんは思わず美幸ちゃんを抱きしめていた。


「大袈裟ですよ」


「だって、だって、美幸ちゃん動かなくなっちゃうんだもん」


 涙目で訴えると、美幸ちゃんが照れたようにはにかんだ。


「ごめんなさい。でもそれくらい衝撃的な味だったんです」


「それって、気絶しそうなくらい美味しいってこと?」


 期待を込めた杏子ちゃんの質問に、美幸ちゃんは横に首を振った。


「これまで食べたことがないほど、マズイです」


 ここに作った本人が居なくて良かったと思うほど、美幸ちゃんはキッパリと断言した。


「腐ってんじゃないの?」


 美幸ちゃんの言葉を受けて放った杏子ちゃんの言葉も容赦がない。


 杏子ちゃんはそう言うと、クンクンとお弁当に鼻がつくほど近づけて匂いを嗅いだ。


「めっちゃいい匂い」


 その杏子ちゃんの言葉に、私と美幸ちゃんも鼻を近づけ嗅いでみる。


 お弁当は冷めてしまうから作り立てのようないい匂いはしないのに、なぜか目の前のお弁当は食欲をそそるいい匂いがした。


 私は美幸ちゃんと目を合わせ頷いた。


「ほんと、おいしそうな匂い」

「もしかしたら、卵焼きだけがマズかったのかもしれません」


 美幸ちゃんは果敢にもほうれん草の和え物をつまんで口に入れた。


「ぐぐぐぐぐ……」


 美幸ちゃんは身もだえると、近くに置いてあったウーロン茶のペットボトルをつかみグビグビと喉へと流し込んだ。


 ぐったりすることはなかったけど、ハァハァと荒い息をついている。


「どう?」


 杏子ちゃんが美幸ちゃんの顔を覗き込む。


「ものすごくマズイです!」


「マズイって言うけど、どういう風にマズイのよ。苦いとかしょっぱいとか、すっぱい、あまいとか、マズイにもいろいろあるでしょ」


 杏子ちゃんの質問に、美幸ちゃんは手を顎に添えて考え込んだ。


「なんとも形容しがたい味なんですけど、とにかくマズイんです」


 そう言いながらも美幸ちゃんがちくわの磯辺焼きに手を伸ばす。

 その様子を見て、杏子ちゃんが頬を膨らます。


「ちょっと美幸、マズイって言いながらなんで食べるの? もしかしてホントは美味しいんじゃないの?」


 すると杏子ちゃんは、美幸ちゃんが狙っていたちくわの磯辺焼きを横取りし、口へ放り込んだ。


「ぐぐぐぐぐ……」


 杏子ちゃんも美幸ちゃんと同じように悶絶しはじめた。


「確かにマズイ。こんなにマズイものは生まれて初めてだ」


 言いながらも杏子ちゃんはお弁当に手を伸ばす。つられるように美幸ちゃんも手を伸ばしてきた。


「二人ともなんでマズイって言いながら手を伸ばしてくるの? これ私のお弁当なんだから食べないでよ」


 美幸ちゃんから逃れるようにお弁当を抱え込んだ。


「ごめんごめん、ホントにマズイんだけど、なんでか分かんないけど食べたくなるんだよね」


「そうなんです。クセになる不思議なマズさです」


 作った本人が聞けば怒りそうなことを平気で言う二人。


 しかし、マズくてもつい手が伸びてしまうマズさというものに、少なからず興味を抱き、箸でハンバーグをつかみあげると、ひと口かじった。


 すると、自分の味覚が狂ったようなそんな錯覚を覚える程の衝撃が口の中に広がる。


「ぐぐぐぐぐ……」


 例に漏れることなく、私も悶絶する。


「ところで、このお弁当どうしたの? 乙羽が作ったんじゃないよね」


 悶絶しているさなかに杏子ちゃんが質問してきた。


 ウーロン茶でハンバーグを流し込み、ふうと息を吐く。


 そして、事の成り行きを二人に話して聞かせた。


「桐谷倭斗の彼女、恐るべし。これだけのクオリティーを誇りながらこんなにマズイお弁当を作るとは、ある意味天才だね。なんとなくクセになるとはいえ、これが毎日となると拒絶したくなるのもわかるよ」


 杏子ちゃんは自分の言葉に納得するように、うんうんとうなずいた。


「彼女さんは毎日、倭斗くんにお弁当を作っているんですよね? でも彼はいつもお弁当を食べていないですよ?」


 美幸ちゃんの疑問も当然のこと。


「霧谷くんが代わりに食べているんじゃないかな。霧谷くんはこのお弁当すごく楽しみにしていたから」


「そういえばあいつ、いっつも変な奇声を上げながらお弁当食べてた! あいつはこの弁当の中毒者ってわけだ」


 杏子ちゃんが納得したところで、クラスの女子が何やら騒がしいのが気になった。


「何を皆さんざわついているのでしょう」


 美幸ちゃんもクラスメイトの様子がいつもと違う事に気が付いた。


 女子たちの話に耳を傾けると、何やら学校一のモテ男、桐谷倭斗のことでざわついているようだった。


 見ると、彼は普通にお弁当を食べている。


 ただ普通にお弁当を食べているだけで、何をそんなにざわつくことがあるのか……。


『桐谷倭斗がお弁当を食べている!』


 三人同時にその違和感に気付いた。


 そう、いつもお弁当を食べていない桐谷倭斗がお弁当を食べ、いつも悶絶しながらお弁当を食べている霧谷くんがしょんぼりとパンを食べていたのだ。


 いつもパンを食べている桐谷倭斗が、お弁当を食べているのだからそりゃあざわつくのも無理はない。


 ジロリと杏子ちゃんが意味ありげな視線を私に向けた。


「乙羽が作ったお弁当を、桐谷倭斗が食べているなんてことがファンクラブの連中に知れたら、あんた殺されるよ」


 告白していただけで――相手の勘違いだけど、嫌がらせを受けている身としては、ゾッとする話である。


「この話はご内密にお願いします」


 物言いが時代劇かかっていたけど、慣れた二人はそれに頓着する様子はない。かわりに杏子ちゃんが私の頭を小突いた。


「そんなこと口が裂けても言わないよ。それとも乙羽、私たちの事、友だちを売る薄情な奴らだとでも思っていたの?」


 ブンブンブンブン……、軽いめまいが起こるほど首を振った。


「そんなこと全然思ってないよ。ただちょっと想像したら怖くなっただけ」


「もし乙羽ちゃんが彼女たちに何かされそうになったら、私たちが守ってあげます」


「あたしらはいつだって、乙羽の味方だからね」


 その言葉に思わず涙ぐむ。


「二人とも大好きぃ~」


 抱きつこうとする私を拒絶すると、二人はお弁当箱からベーコンの野菜巻きとほうれん草の和え物をつまみ食いし悶絶した。


 霧谷くん同様、ふたりも桐谷倭斗の彼女が作ったお弁当の中毒者になった。

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