第4話(最終話)できないこと


 野村から一度だけ、組員の命を助けてくれと頭を下げられたことがある。若い衆のリーダー格の一人で、バイクで事故死したやつだった。


 野村はそいつに、組の将来を託そうと考えていたんだ。


 俺は過去へ飛んで、過去の野村にそいつが事故死することを告げ、バイクに乗るのをやめるよう説得させた。これでそいつは、命を落とさずに済んだ。


 将来、暴力団対策法ができるから、今のうちに任侠の世界から足を洗って、土建会社に専念しろとも助言した。



 それから俺は、野村にタバコをやめさせた。

 俺の死んだ時代では、もう喫煙はパチンコ屋でもできない。受動喫煙といって、家族にも発がん性物質の被害が及ぶと言ったら、びっくりするほどあっさりやめやがった。


 家族思いのやつだったから。


 俺はそのほかにも、毎年ちゃんと健康診断を受けるように助言した。できれば人間ドックを受けさせたかったのだが、この時代はようやく人間ドックが全国に普及し始めた頃で、野村はその必要を感じていなかった。


 それにMRI(核磁気共鳴画像法)どころかCT(コンピュータ断層撮影)もまだない時代だ。野村の身に病巣が発見される可能性は、決して高くはなかった。




 それから十数年後、野村は病院のベッドに横たわって、衰弱していた。肺がん、そして他の臓器への転移。この時代の医療では、もはや手の施しようがなかった。


「沢木ぃ・・・お前にも、どうにもできねえことがあるんだな」


 俺は何も言えなかった。


 俺は手をこまねいていたわけではない。未来(俺にとっては、それも過去なのだが)へ飛んだ俺は、野村が病死することを知っていた。


 俺は殺された者を、殺されなかったことにすることができる。事故に遭った者の、事故をなかったことにすることもできる。


 だが病死する者は、助けようがないんだ。


 俺にできることは、少しでもその時期を遅らせることだけだった。


「わかってるよ」野村は弱々しい声で言った。「女房と娘が路頭に迷わないよう、助けてくれたんだろう?」


 未来を覗いたら、野村が死ぬのは娘がまだ大学で学んでいるときだった。妻は専業主婦のままだった。


 それで俺は、野村にタバコをやめさせたり、体に悪いものを摂取させないようにして、なんとか寿命を延ばした。


 最初からタバコを吸わないようにできれば良かったのだが、俺は俺の生まれた日より前には遡れないんだ。


 そうやって俺は、なんとか野村の死ぬ時期を先延ばしにした。その間に娘は大学を卒業して一流企業に就職し、妻は組の会社に勤務するようになった。


「なあ沢木ぃ・・・俺には、まだ心残りがあるんだ・・・娘をもらってくれねえかなあ?」


「馬鹿を言うな」俺は苦笑した。「この時代に生きている本当の俺は、まだ中学生だぞ」


「ああ、そうだったなあ」野村は力なく笑った。「なあ、俺はあと何日で死ぬんだ?」


「あと一週間ってとこだな」


 言うべき時が来たと、俺は思った。


「なあ、野村さん。俺と交代すれば、あんたは悪霊となって永遠の命を持つことができる。表向きは死ぬことになるから、この地で暮らすことはできないが、どこか別の場所で会おうと思えば、いつでも奥さんや娘さんと会うことができる。それでいいのなら、この悪霊の命、あんたに渡してもいいぜ」


「・・・やなこった」

意外にも、ヤツは即答した。

「女房と娘が俺より年老いていって、死んでいくのを見届けるなんて、冗談じゃねえよ」


「そうか・・・それもそうだな」

 家族のいない俺とは違うんだったな。


「でも、お前さんのおかげで、楽しい人生だったよ」

野村は俺の方を見ると、意外そうな顔をした。

「・・・沢木ぃ、俺のために、泣いてくれてるのか?」


 えっ?泣いている?・・・俺が?


 俺は、野村がベッドサイドの棚の上に置いてある小さな鏡を見た。そこに映っている男の目からは、確かに涙が溢れていた。


「別れの時が来たようだな」野村は言った。「お前さんに、俺の死に顔は見られたくねえよ。ここでさらばだ。行ってくれ」


「わかった」


「探偵業、頑張れよ。『闇の探偵』さんよ」




 俺は初めて今の自分の境遇を呪った。


 俺は生まれてから今までのどの時代にも行けるが、俺にとっての本当の未来には行けない。死んだ今でも、生きているのと同じように時は流れているが、その先の例えば100年後の未来で何が起こるのかまでは見に行くことができない。


 野村が言っていたように、現世で知ってる奴らがみんな死んでも、俺だけが不老不死で生き続けるようなものだ。


 ということは、もし人類が絶滅する前に、この悪霊の命を誰かに譲り渡すことができなければ、俺は未来永劫成仏することができないということだ。それでは地獄に一人取り残されるのと同じだ。


 これは天罰なのかも知れない。


 それでも俺は行くしかない。どこかで、俺を必要とする誰かが待っているのだとしたら。


 俺は、野村がつけてくれた名前、『闇の探偵』を名乗ることに決めた。


   (終)

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闇の探偵~ザ・ビギニング~ @windrain

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