第29話 益荒男と手弱女
羽柴秀長の方が但馬の国守である事は
「戦に立つたびに武勲を上げてこられた、今や三千三百石の大大身じゃ。身体の頑健な事もあるが滅法強い。そして欲が薄い」
「欲がうすい」
「身内や御家来にぽんぽん碌を分け与えてしまうような気前のよさでな。御家来の方から返上を申し出るのに聞かず、増えた碌をまた分けてしまうような豪気豪快な男でな。いや儂が女なら是非とも嫁に行きたいところじゃが、そもそもそちらの欲も薄いのか、女っ気がまるでない」
「はあ、じゃあ嫁はいらぬのでは?」
「いや、じゃからこそ周りが心配して口を挟むのじゃて。そろそろ地元にござる家族も呼び寄せて、身を固めてもらいたいとな、大将がいつまでも独り身では家中の座りが悪いのよ」
「ああ、そういう……」
「家内が大きゅうなれば、考えねばならん。しかしあの御仁、若いのに腰が重くてな」
「はあ」
気付けば二人は
「じゃからもう添わせてしまえば話は早かろうと」
「はい?」
さすがにそれはなかろうと思っている内に、
「お待ちください栃尾様。それでは、そのお相手様は嫁取りのお話しをご承諾なさってらっしゃらないのでは?」
「ああ、さっきまとめてくると言いおいて、久芳殿の御養父殿に話を通して、そのままお迎えに上がったからな。屋敷で待つよう言うておいてきた」
「そんな殺生な」
「大丈夫じゃ! 気質は太陽の如くからりと明るい、よき
どちらかといえばしっとりじめっとした自分とは真逆ではないかと久芳は思ったが口にはしなかった。
「お、お待ちください、栃尾様あの」
しかし時すでに遅し、二人は家屋の前に立っている。
「ここじゃここじゃ」
「あのっ」
「待たせたなー、いやちゃんと待っておったな!」
「あの、せめてお名前をっ」
敷居をまたいで屋内につんのめるように踏み込む。土間で転ぶなどもってのほか、片手には相変わらず
その先に、大きな大きな山があった。
否、山ではない。人だ。生きている。男だ。若武者だ。ぽかんと口を開けてこちらを見ている。座敷の囲炉裏端、
大柄なわりに童顔で、しかしわずかばかり何を考えているのか分からないような、仏様のような眼をしていた。
「名前……」
男がぽつりとそう
「これは――うむ、そう、か」
それだけ言うのが精一杯かのよう、若武者はあんぐりと口を開けたまま固まった。横にいた同じく若い男が、「なんちゅう顔をしとるんじゃだらしのねぇ」とケラケラ笑いながら手を伸ばしてぱくんと口を閉じさせる。
そこでわずかばかり正気に戻ったらしい。若武者は「ああ、うん」と唸り声のような声で頷きながら、なおも久芳を凝視し続けた。
「名、名だな。うん。名は、ああ、聞く前に儂から名乗らんとならんか」
「ええ、ええ。紹介ぐらい儂がやりますがな」
久芳をひっぱってきた祐善がにやにやと笑う。
「久芳殿。こちら
祐善は更にからからと満足げに笑った。
「いやしかし――」
高虎、と紹介された大男は、再び口をぱっくりと開け、しばらく固まってから「はあ」と大きな溜息だか唸りだから分からぬような声を零して、ぽそりとこうつぶやいた。
「――驚いた。久芳殿は、当代随一の
この時、このまさかの言葉を受けた
初対面でこれから夫となる男は、筋骨隆々とした
息を詰まらせた久芳の顔が
高虎が羽柴秀長の命で
其の前年、高虎は銃将となっていたが、一本槍な気質は相も変わらず。味方の為ならば自ら率先して切り込む戦法が代わる事はなかった。
人並外れた体躯。理に聡く情に厚く、自らの身をもって動く。そして笑顔が大きく、はったりが効いて、人心と意図の読み解きが的確。
上からも下からも慕われる男というのは、こういうものか。
それが
時に天正九年。春。
日差しはあたたかく、鳥の
二人の間を吹き抜ける風には、涼やかな冬の
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