第20話 暴走
――どこまで続くのか、先の見えない階段を俺は下り続ける。湿気が増し異臭が漂う不気味な地下を照らすのは淡い蛍光灯の明かりだけだ。
無我夢中で階段を下りきった先に待ち受けていたのは、血と錆びを浴びた頑丈な扉であった。迷っている時間はない。俺は躊躇なく扉の先へと進んだ。施錠などされておらず、扉はきしみながらもあっさりと開いた。
その先に広がる光景は明らかに、生物であった。何を言っているのか分からないかもしれないが、その表現に嘘はない。部屋全体が生きているとでも言えばよいのか。とにかく冒涜的で人間の知を超越した光景が広がっているのである。
「どうなってるんだ……」
赤く脈動する肉の壁、腸のような構造のグロテスクな道がさらに奥へと続いている。
壁に触れた手に粘性の強い血がまとわりつく。地面は不規則に揺れ動き、足元がおぼつかない。
現実離れした空間が、俺の精神を蝕む。先に進んでいるのかも分からぬまま、ただ懸命に足を動かす。猶予はあと2、3分。とにかく時間がない。
何度か躓きながらも、腸のエリアは抜けたようだ。もう全身、奇妙な体液まみれで気分が悪い。一つ言えることは、もう引き返すことなど出来ないということだ。後ろを振りかえると、通ってきたはずの道はなくなっていた。
「マッケンジーはこれを隠していたんだ。こいつを倒せば必ず道は開ける」
確信などなかったが、それでも一縷の希望にすがりながら俺は進んだ。生物ならば必ずある弱点、破壊可能なのはおそらく脳か心臓だ。そんな器官がこの巨大生物に存在するのか分からないが、探してみる価値は十分にある。
「今度は胃か」
腸から、さらに走っていくと俺の前に巨大なプールが現れた。目の前で黄色の消化液が波打っている。距離にして20m、この地獄の海を越えなければ先には進めない。
腸に続き胃ときているのだ。おそらくこの生物も人間と似たような臓器の構成をしているはず。ならば心臓はこの先である。胃液に指で触れてみると第一関節より上がなくなった。強烈な酸性液体のようだ。しかし迷っている暇はない。
「覚悟は決まっている」
勢いをつけ、俺は強酸の海に飛び込む。
「うぐぁァぁ! イぁァッ……ぁぁ! イだぃ! ぅ……ぁぁ!」
全身が燃えるように痛む。一瞬で皮膚と骨が溶けると体内に酸が流れ込んだ。全身の器官を破壊され、意識が沈みそうになる。しかし破壊される度に身体は蘇生を繰り返し、意識が逝ったり来たりする。
俺はこの無限に再生する肉体に初めて感謝した。途中から痛いとかそういう感情さえ忘れ、夢中で進んでいた。たかが20mが途方もなく長く感じられる。
苦痛の時間は実際の所、十数秒であった。俺は何度も死にながら、この地獄の海を渡りきることに成功したのである。
「なんとかするんだ……皆で生きて帰りたいから」
酸の海から出たもののまだ下半身が溶けており、立つことも出来ないから這って進んだ。
段々と細くなる管を虫のように這いずる。さらに奥、さらに奥、やっとの思いで見つけたそれは予想通り心臓であった。
「これを壊せば……奴を倒せる」
しかし信者たちと同じように、『命を共有する』マッケンジーとこの生物を同時に攻撃しなければ倒すことはできない。きっと今頃、龍牙もマッケンジーと戦っている。上手くタイミングが合えば倒せるかもしれない。とにかく考えるより行動するしかない。
目の前に立ち塞がるのは全長3mを越える巨大な心臓である。勿論それだけの大きさなのだから簡単には破壊できない。聞いたことがある、心臓は左側の方が右側よりも3倍、壁が厚いらしい。攻めるなら右からの方が良いかもしれない。
「潰れろぉ!」
試しに渾身の力を込めて心臓を殴りつける。しかしその筋強度は想定以上に強く、素手の攻撃ではびくともしない。せめてなにか武器を持っていれば……
今、用意できる最大の武器、それはスラムで暮らした幼少期、硬い木の実や肉を何で千切っていたか。手で無理なら歯を使う。素手よりもずっと顎の力は強いから。
俺は不気味な心臓に思いきって食らいついた。最大限の咬合力で、その肉壁を引き剥がす。驚いたことに俺の歯は怪物的な牙となり、その肉を食いちぎった。
勢いのあまり、俺はその肉片を咀嚼して呑み込んでということを繰り返していた。
意外にも……この肉、見た目こそグロテスクであるが味が良い。
「うっ……旨いぞ、これ……!?」
俺はいつの間にか、心臓にむしゃぶりついていた。何度も旨い、旨いと言いながら夢中で食べる内に戦いのことなんて忘れ、俺はただ食事をしていた。
龍牙のこともマイノのことも、どうでも良くなってきた。ただ腹が減るから喰らい続ける。色々と考えることが面倒なので、本能のまま俺は欲を満たす。それこそが最高の快楽であり、抗うことはできなかった。
「こんな肉は喰ったことがない。旨い……うuまi……uuu」
遂に俺はツァトゥグァの心臓を完食した。心臓が綺麗に無くなっているのに気がついてハッとした。血まみれになりながら肉を食う俺は、もう人間じゃなかった。顔は形容し難い邪悪なものに変わり果て、肌は赤黒く、そして硬い。自分が、レジーナを襲ったあの神子と同じような見た目になっていると気が付いた。
「人間よりずっと良い……これが裁人なのか」
とても気分が良い。心臓が昂り、腹が鳴る。これが在るべき姿なら受け入れようと心底思っている。
「degadogeguga」
残念ながら、マッケンジーとの戦いの結果も既にどうでもよくなっていた。
欲に逆らえなかった俺は一匹の化物になって、空腹を満たすために俺は地上へ向かう。そこで意識は途絶え、体の主導権は本能に奪われた。
皆 ごめん 俺は人間をやめてしまった。
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