第13話 伍代龍牙という男

 ノアの視界を遮るのは鉄格子であった。

「なぁどうにか抜けだせないのか?」

 困り果てたように彼は横で寝そべる男に聞いた。冷たい床に背を付けながら呑気に口笛を吹くこの男、名を伍代龍牙と言う。逃げる最中に捕縛され意識を失ったノアは気が付くとこの男と共に地下牢に閉じ込められていた。

「やろうと思えばいつでも出来る」

 長い青髪を垂らしながら男はやる気なく答える。年齢は同じぐらいに見えるが男はどこか無気力で飄々としている。

「なら今すぐどうにかしろよ。ここがヤバい場所だって分かるだろ」 

 大きな欠伸を扇ぎながら龍牙は言う。

「ここはカルト宗教団体の本拠地。今から俺たちも洗脳されちまうんだよー」

「そうなのか……それは不味いじゃないか。って分かってるなら早く脱出しよう!」

 ここが危険な場所だと分かっていて尚も気楽に振る舞う龍牙にノアは苛つきながらも牢から抜け出す方法を模索し始めた。せわしなく周囲を見回したが何か役に立ちそうなものは見当たらない。此処には窓一つないし鉄の格子は素手ではどうにもならない頑強なものである。

「そう焦ることはないって。こういう時はのんびりと機会を伺ってりゃその内どうにかなるもんよ。爺に何時も言われてんだよ。『按兵不動、按兵不動ッ!!』てね」

「ならお前、その機会とやらが訪れなかったらどうするつもりだ?」

「んっ? まあそん時は死ぬだけよ」

 なんとも気の抜けた返答にノアは心底呆れていた。もしも本心からこう言っているのであればこの男は相当に愚鈍な人間である。

「もういい。俺一人でどうにかする」

「ちょっと静かにしてくれノア。絶好の機会を伺ってんだから」  

 意味不明なことばかり言うこの男はもう気にしないでおこうとノアは心に決めながら孤独な脱出を胸に抱いた。

「来た来たァッ! もうすぐ教団の人間が入ってくると思うが……ノアなにもせずじっとしてろ。俺が助けてやる」

 勝手に言っておけと捨て置いたものの彼への評価はすぐに改まることになった。実際に龍牙が言ってから数秒後に二人の男が牢屋の前にやって来たのだ。ノアは驚きながらもこの男には何か秘めたる凄みがあるとそう信じて沈黙を貫ぬくことにした。

 骸骨を模した白い仮面を被り全身黒い装束で身を包んだ二人組が格子越しにノアと龍牙を見ながら何やら話している。

「この二人が次の生け贄かな?」

「マッケンジー神父に歯向かって捕まったらしいぞ。本当に馬鹿な奴らだ」

「まあバカは死んでも治らんからな。一度マッケンジー神父に殺して貰うのが良い」

「死んでも治らないならそれ意味なくない?」

「本当だぁ! HaHaHaッ!!」

 壊れた玩具のように気違いな笑い声を上げながら牢の鍵を開ける男たちにノアは内心、恐怖していた。龍牙もまたノアと同じような恐れを抱いていることはその身震う様子から察することが出来た。


――なんだ結局こいつも怖がってるじゃないか! さっきまでの余裕な態度が嘘みたいだ。


「さあ立てっ!」

 男たちに腕を掴まれた龍牙はそれを振り払い両手を握り合わせ祈りを捧げた。

「イアイア女神イホウンデーよ。どうか我らに御加護を……助けてっ!」

 龍牙は泣きそうな顔で必死に神の名前を唱え続ける。その熱心な信仰は狂信者たちの怒りの導線に火をつけた。

「おいっ貴様ッ! 聖なる教会で忌々しい邪神の名を口にするんじゃあない!」

「嗚呼っ! どうか寛大なる聖心で怠惰なる邪教から我ら救いたまえイホウンデー! イホウンデー!」

 それでも叫び続ける龍牙に堪えかねた男が鉄拳制裁を浴びせた。頬を強く打たれた龍牙は情けなくその場にへたりこみすっかり威勢を失っているようだ。 

「聖ツァトゥグアへの冒涜は決して許されない罪だ」

「こいつには洗礼の前に試練を与えるべきじゃね?」

「良いアイデアだ! そうしよう。この男にはつまらぬ神の名を二度と思い出せないように徹底的な指導を行わなければ」

愈々いよいよ伍代龍牙は取り押さえられ何処か別の部屋に連れていかれてしまった。

「もう一人は後だ!」

 吐き捨てるように言って男たちが牢から去るとノアは少し安心した。龍牙がこれからどうなるのか想像に難くなかったがそれでも彼は安堵したのだ。


――これで考える時間は稼げた。まだ諦める時じゃない。俺の裁人としての能力を使ってなんとか逃げきってやる。


 何か打開策はないかと、特に意味もなく彼は鉄製の格子に触れてみた。

「んっ?」

 軽く揺さぶってみると思いの外、牢の扉はグラグラと揺れた。少し力を入れて格子を握り上下左右無造作に格闘した。

「なんとか……なれっ!」

 立て付けが悪かったのか劣化していたのか……それとも彼の力が異常に強かったのか。鉄格子はガタンッ! と鈍い金属音を立て完全にぶっ壊れた。

 兎に角ノアはなんの知略を用いることなくパワーのみで第一の関門を突破したのだ。こうなると後は勢いに任せてしまうのが一番かもしれぬ。そう考えた彼は地上に上がるべく周囲に階段はないかと探索を始めた。人の気配など警戒せず大胆に彼は乾燥した薄気味悪い地下を探し回った。

 最悪、あの髑髏の面と出会ったとしても一対一ならば負けないと思っていたから、あまり警戒せずに彼は行動出来たのだろう。随所に吊るされた蛍光灯のランプによりこの地下空間には人工の明かりが広がっていた。廊下には幾つか牢屋があったが何れも中は空であった。他にも奇妙な模様が書かれた扉や生臭い木箱の山などが見受けられたが、彼は特に構うことなく地上を目指す。

 通路は狭く然程広い空間ではないのだろう。数分探す内にノアは地上に続く階段を発見した。

「これで逃げ切れる!」

 急いで階段をかけ上がろうと一歩段差に足を掛けた途端、背後からの足音がノアを振り向かせた。髑髏の面を被ったカルト宗教の信者が彼の背後に立っていた……


――最悪だ、あと少しだったのに。何て間の悪いことだ……結局闘うしかないんだ!


 敵を放置して逃げ出せば間違いなく仲間に報告され包囲網を固められてしまう。ならばどうするか……答えは簡単明瞭。目の前の我が敵を亡き者にしてしまえば良いのだ。

 彼は覚悟を決めた。今の自分には異常な再生能力があるのだから恐れるものなど何もない。全神経を集中、急接近で意表を突き、間髪入れずに髑髏の頭部目掛けて拳を繰り出す。 

 しかし残念ながら攻撃は空振りに終わる。男の反射神経はノアの想像を越えていた。男は首を右に曲げ直前で拳を避ける。

 

――マズい外した! いや違う、なんだこれはっ!? 俺はまだ何もしてないぞ。確かに殴りかかろうとしたがまだ何も行動していない! それなのに確かにイメージが見えた。俺が攻撃を外す瞬間が……! これは少し先の未来……?


 彼は拳を突き出す数秒前にこのシーンを目にした。これから何が起こるのか、数秒後の未来を確かに観測したのである。

 ノアは観たのと同じように攻撃を行ったがやはり同じように避けられてしまう。そこまでは全くの予想通り、順当な展開であった。その上で彼は行動したのだ。結論から言えばノアの左拳が敵の顔に直撃した。


――何だかよく分からないがやるしかない! どう避けられるのか知ってるんだからやることは簡単だ。奴が避ける位置にあらかじめ拳を打ち出すッ!


 どれ程卓越した身体能力を有していようと意識の外からやって来る攻撃を避けることなど不可能である。手応えはなかった。確かに顔面を打ったはずなのに何故だかまるで重みがなかったのだ。変わりに髑髏の面が飛び、敵の顔が露になる。

「痛ってえ! いきなり殴りかかんじゃねえよノア!」  

 どういう状況なのだろうか、どうして彼がカルトの衣装を身に付けているのか? まさか相手が龍牙であったとは。ノアにとって全く予想外の事態である。彼の闘志は疑心と安心に変換されていく。

「龍牙ッ!? お前何やってるんだ?」

「そりゃこっちの台詞セリフだぜ」

 苛立ちながら龍牙が続ける。

「お前あの牢屋からどうやって抜けてきたんだよ?」

「いや……押したらあっさり壊れたんだ」

「んな訳あるかぁ! 嘘つくならもう少し頭を使いやがれ」

「そう言われてもな……」

 ノアには説明のしようがなかった。自分でもまだ理解出来ていないのだから当然である。先程の未来予知のような能力にしてもやはり裁人になってから何かおかしいのだ。

「お前こそあの状況からどうやって抜け出したんだ。何故、奴らの服を着ている?」

「あの拷問野郎たちはぶっ倒したぜ! とにかくこれ着ろ」

 龍牙からノアに手渡されたのは衣服一式であった。

「変装だよ、変装。同じ格好してりゃあいつらに見つかってもやり過ごせるだろ」

 どうりで龍牙が敵の服を着ていた訳である。敵の僧衣で身を隠すというのは実に賢いやり方だとノアは感心していた。

 この男はもの凄く狡猾なのだろう。牢屋で泣き喚いていたのは拷問野郎の神経を逆撫でる為の作戦だったのかもしれない。

 服を受け取ったノアは早々と着替え龍牙と共に地上に続く階段に向かった。

「まずはここの調査からだ」

「すぐに逃げるんじゃないのか」

「残念ながら俺の仕事はこの施設を壊滅させ神父マッケンジーを倒すことだ」

「お前何者なんだ?」

「よくぞ聞いてくれた。俺ァ華皇の四神 青龍を継ぐ男 伍代龍牙!」

「何言ってるんだか……」

「まっお前の安全は保証するから安心しろ。とにかく宜しくな、ノア」

「あぁ龍牙。お前、案外頼もしい奴だな」

「当たり前よっ!」

 こうして二人の青年は忌々しき教団に立ち向かう為に地上へ向かった。


――にしてもコイツ俺に拳を当てやがったぞ。天神ノア……一体何者なんだ?


 表には出さないが龍牙は動揺していた。基本的に龍牙には攻撃が当たらない。何故なら、彼はこの世界で最強と言われる武術 無天流の使い手であるからだ。その体術はあらゆる術の集大成であり特に攻撃を避けることに関しては抜きん出ている。

 裁器など使わず神子を狩る人外的強さの持ち主である自分に何故この一般人は攻撃を当てられたのか……?


 そんな疑問を抱えながら龍牙はノアを先導するのであった。

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