第11話 無形の落とし子 

 肩の力を抜きながら彼は鏡に移る自身の姿をまじまじと眺めている。やはり胸元にはなんの負傷もなかったが右腕には大きな傷跡が残っていた。

「昔からの傷はリジェネーションでも治らないみたいだ」

 この右腕の傷は物心ついた時からいつの間にかある痣のようなもので、場所こそ違うが偶然にも家族全員にこれと似たような傷があった。この傷は家族との繋がりを感じられる、今となっては唯一の思い出でもあるのだ。体を清めマイノが用意したスーツに着替え彼は昼飯を食した。 

「もう少しラフな服なかったの?」 

「残念ながら兄者の予備の服しかなくてね」

「兄貴いるんだ」

「まあね」

 巨大なラザニアを分け合いながら彼らは他愛もない話に花を咲かせた。

「マイノ、お前の料理、昔から変わらずだな」

 少し嫌みっぽくノアは言う。確かに昔以上に料理の味は酷くなっていた。味付けが薄過ぎるのかいよいよほとんど味がしない。そんな不満をぼやきながらノアはフィッシュ&チップスを口に運んだ。食感は悪くないのだがやはりどうしようもなく薄味である。

「ほんと失礼な奴だな。僕だって努力はしてるんだよ」

 頬を膨らませて不服そうにマイノも自身の料理を口にした。

「もしかして辛すぎたかな?」

「いや薄すぎるんだよっ!」

 こんな何でもないマイノとの会話が少しだけノアの気を紛らわせていたのだろう。さっきまで死のうと思っていた人間と思えぬほどにノアは活力に溢れていた。

 食事が終わると彼女は赤茶色の液体がたっぷりと入ったサーバーを片手にノアに碗を渡した。食後の紅茶など実に粋な計らいである。

「うん、やっぱり美味しい」

紅茶ティーは国の誇りだからね。不味いと言えば君とて斬首だ」

 香り立つカップに口付けると芳醇がノアを包んだ。彼が紅茶を愛しているのはマイノの影響でもあるのだ。彼女の淹れたものは葉の種類に関わらず格別に美味である。やはり相当な拘りがあるのだろう。聞くと1日に7回もティータイムを確保しているのだと言う。


「さてそろそろ行こうか」

 彼女の家は古典的な洋風建築のようで扉を開くと小さいながらも美しい庭が広がっていた。

「眩しい……」

「一週間も部屋に居たんだから当然だ」

 ガレージにはなんとも厳つい黒色の中型自動車が停まっていた。パッと見た感じ口ールス口イスだと予想できる。

「これマイノの車なのか?」

「そうだとも。良いだろう我が愛車。やはり帝英の車は世界一だ」

 自慢げに彼女は黒光りする車の扉を開き、ノアを助手席に座らせた。首からさげた古めかしい銀色の鍵をキーシリンダーに差し込みエンジンをかける。その鍵は戸締まりの時に使ったのと全く同じもので明らかに車の鍵ではないように見える。差し込む瞬間に先端が変形するのをノアは見逃さなかった。

「その鍵、普通じゃないな」

「へぇよく気がついたね。実を言うとこの鍵が僕の裁器なんだよ」

「その裁器……? って言うのよく分からないんだけど」

 そんなことも知らないのかと呆れながらもマイノは語った。

「簡単に言うと裁器は神子と戦う為の武器だよ。人間はどこまでも非力だからね。こうして叡智が生み出した産物に頼る他ないんだよ」

「僕の裁器はこうやってあらゆる鍵穴に差し込むことが出来る銀の鍵。開けられない扉はないよ。まぁ戦闘にはめっぽう向かないが」

「へぇー便利だな。俺も裁器が欲しいもんだ」 

「君には必要ないと思うよ」

 意味深長な彼女の言葉をあえてノアが問い詰めることはなかっか。森沿いの舗装路を高級車は疾走する。彼ら以外の車はいない田舎道に轟々としたエンジン音が響いていた。

「臭う」

 ふと彼女が神妙な面持ちで言う。

「何が?」

 耳を澄ませると何とも聞き慣れぬ音がやって来るのが分かった。エンジン音に紛れて聞こえ来るのは奇妙な怪音、馬のひづめの音よりもっと肉々しくて不気味な足音である。

「何か近づいて来ている?」

 バックミラー越しにノアが見たのは神子であった。しかし学校の授業や図鑑には載っていない非常に異質で怪物的な吐き気を催すような邪悪な集団であった。

 ダハダハダハダハ

 何とも奇妙な動きで奴らは車を追って来ているのである。

「マイノ!追って来てるぞ!」

「もう見つかったのか……予想よりも早いね」

 マイノはアクセルを踏み切った。車体は加速し時速150kmまで達していたので、この調子なら神子たちを容易に振り切れるだろうと彼は思っていたが奴らの加速もまた予想を遥かに越えていた。

 フォルムとしては獣というより人間が四足歩行しているという感じで「這う仮面の人」という写真が想起される。黒い粘液を撒き散らしながら異形どもは口ールス口イスのトランクに噛みついた。

「まずい! どうするマイノ!?」

「僕が始末してくるからノアは運転をお願い」

「俺免許持ってない!!」 

「車なんて簡単な玩具おもちゃだよ。ほらこうしてハンドルを握って、後はここ……アクセルさえ踏んでおけば勝手に動く」

 ノアの手を握りハンドルを持たせ運転席を任せると彼女は窓から、しなやかに飛び出し車上に飛び乗った。

「どうなっても知らないぞ!」

「勇気ある選択が唯一の救いさ。さぁエンジン全開で突き進みたまえ!」

 無免許運転、デッドヒートの開始である。車体の振動をものともせずマイノは車上で拳銃を握っていた。

「さて無形の落とし子よ。君たちが仕掛けて来たんだから無惨に死んでも文句を言うなよ」

 車体の両脇と背後を囲むように疾走する三匹の神子に対して彼女は冷静な攻撃を開始した。先ずは後ろの一匹を仕留める。迷いなく頭部に弾丸を撃ち込むとその神子は爆ぜた。頭部が弱点であることは明確である。

「やはり下等種族。貧弱にも程がある」

 続く二体も何の造作もなく彼女は撃ち抜き脅威はあっさりと去った。彼女の射撃センスとその体幹は異常と言えるだろう。未だルーフ上に立ちながらマイノは運転する彼に声を掛ける。

「終わったよノア! 何とも呆気ない幕引きだった」

「いやまだ終わってない!マイノしっかり掴まるんだ!」

「何ッ!?」

 刹那、車体には恐ろしい程の衝撃が波及した。車前には一人の男が立ち塞がりボンネットを握り締めていた。時速150kmの車体を男は両腕で受け止めたのだ。そして男は車を投げた。まるで相撲でも取るかのように豪快に林の方に投げ捨てたのだ。口ールス口イスは無惨に大破して、マイノは地面に投げ出された。間一髪の所で彼女は受け身をとり着地に成功、無傷である。対してノアは全身に大量のフロントガラスを浴びたようだ。それでも何とか車内から脱出して立ち上がる。

「痛ってえっ!」

 リジェネの能力がなければノアは間違いなく死んでいただろう。しかして彼は不死身である。ガラス片で負傷した箇所は既に塞がり始めていた。

「マイノ大丈夫か!」

 ノアが彼女を呼んだ時、戦いは既に始まろうとしていた。怪力の男は神父風の服装で二本の短剣を握りしめていた。

「さてお嬢さん。その男を渡して貰おうか」

「お嬢さんだと……? こう見えて僕、君よりも歳上なんだけどね」

 黒の法衣を纏った神父はマイノとの距離をジリジリと詰めながらニカリと笑う。

「さあ改宗の時だ。座して待たれよ汚れの子、我はツァトゥグァ神の名の元に正義の殺人を実行しよう。九頭竜 第8師団 団長 マッケンジー 推して参る」

 剣を構えた大男を前に、それでもマイノは余裕の表情を崩さず彼に落ち着いた口調で指示を与えた。

「あの異教徒はすぐに始末するから。君は構わず逃げて」

「置いていけない。俺も戦う」

「残念だけど。今の君じゃ足手まとい以下。守りながら戦うのは苦手なんだ」

 全くその通りでありそれが彼女の本心であるということを察したノアは逃走を決意する。

「わかった。幸運を願うよ。すぐに助けを呼んでくるから……」

「街に行って大審院に連絡するんだ。すぐに追い付く」

「絶対死ぬなよ」

 震えた声でノアは言う。

「全く……誰に言っているんだ、君は」

 穏やかに微笑しながら彼女はノアを見送った。彼の背が遠く離れて行くのを確認するとマイノは神父の方に向き直り戦闘の覚悟を示す。赤い瞳は闘気に満ちておりマイノの全身は熱く火照っていた。

「さて一対一だね糞坊主。どこからでも来いよ」

「Shut up! 再教育の時間だよ。口数の減らぬ愚かな生娘よ」 

 白い少女と黒い神父のタイマンが勃発しようとしていた。



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