第10話 チート能力・リジェネーション

 どれぐらいの時間が経ったのか。俺は生きる屍であった。真っ白な頭で寝て起きてたまに出される食事を味なんて意識もせずに胃袋にぶちこんだ。ほとんどの時間を無気力に過ごし、すっかり全身余すことなく腐っていた。窓から外を眺めると代わり映えしない白樺の森が広がるばかりでそこに希望と色彩はなかった。

 寝台の横の小さな机には今朝マイノが剥いてくれたリンゴと一本のフルーツナイフが置かれている。充分に鋭いその刃に俺は強烈な憧れを憶えていた。俺は喉にそのナイフを突き刺してみたいという衝動をどうにも抑えることが出来なかった。全力で柄を握り喉を切る。躊躇などない。

「あああっ!」

 経験したこともない痛み。壊れかけた俺の脳はアドレナリンを放出することもなく苦痛は一切軽減されない。呼吸が出来なくなって、段々と胸の辺りが苦しくなってくる。死ぬのだろうと確信していた。それはそれで良いとも納得していた。意識は徐々に薄れていく。


…………俺何やってたんだろう? 何だそう言えば今日は皆でパーティーを開く予定だったじゃないか。

 なのに何で皆浮かない顔しているんだ。

「ノア兄ちゃん。ここにいちゃいけないよ」

「もうっ! ノアまだ来ちゃダメだって」

「兄上は前だけ向いてください」

「兄貴こんなところ楽しくないぞ」

 皆口々に俺を追い払おうとしている。俺何か悪いことしたっけ?

「皆でケーキも作ったしプレゼントも用意してたんだ。でももう少しだけパーティーは後、ノアにはやるべきことがあるんだから」

 何言ってるんだよレジーナ。俺の全てはお前たちなんだ。それを失ったら何が残るんだ?

「ノア 生きて」

 彼女は微笑んでいた。そうか……それが彼女の望みなら俺はもう少し生きてみるべきなのかもしれない。家族の願いは俺の願い。ならばこれにてお別れだ。


 別れは何時だって唐突で残酷だ。世界は無慈悲で醜悪だ。それでも俺は歩んでやるよ。ワンみたいにこの世界を少しでも良くする為に。


 視界が少し明るくなった。掻き切ったはずの喉が瞬時に再生を始めたようだ。細胞が増殖し目まぐるしくかたちを変えるその有り様は不気味であったが、気付けば痛みは消えており出血と動悸もすっかり治まっていた。

 幸か不幸か、強烈な痛みのおかげで廃人同然に機能を停止していた脳ミソも活動を再開したようだ。生きているという確かな事実が呼吸を通して感じられた。

「何で俺、自殺なんかしてんだよ」

 よく寝て、よく食べて、そして自殺してすっかり正気に戻った俺は自己嫌悪に陥りながらも活動を開始した。俺が何日間も寝ていた部屋は病室ではなく一般的な家の寝室のような場所だった。部屋を出ると長い廊下が続いており静寂な館内に俺の足音だけが響いた。カーペットの敷かれた廊下はダイニングキッチンと繋がっておりそこではマイノが料理本と睨み合っていた。

「マイノ」

 俺が背後から声をかけると彼女は瞳孔を縮めながら驚き振り返った。

「なっ……! 何だ起きていたのかノア」

 俺の知っているマイノは常に悠然とした態度を崩さない淑女レディであったが私服姿の彼女はどこか家庭的で可愛いらしい。

「うわっ……君、血だらけじゃないか。もしかして自殺しようとした?」

 血だらけの俺を辟易しながら彼女はそう言った。

「恥ずかしながらその通りだ。そしてどうやら俺は死ねないということも分かった」

「それは裁人の能力の一つ、蘇生能力リジェネーションのおかげだね。あらゆる傷は一瞬で塞がるから確かに君が死ぬことはない」

「とても信じられないが……どうやらそれが現実のようだな」

 嘘みたいな出来事にはもう慣れてきた。とにかく今の俺は驚くほどに冷静なのだ。

「とにかく少し元気になったなら風呂に入ってくれよ。着替えも用意してあるから」

 マイノはその綺麗に伸びた鼻を摘まみながら露骨に嫌な顔をした。凄く臭かったのだろう。おそらく俺はもう何日も風呂に入っていない。なんだかスラム時代を思い出す匂いだ。

 それにしても風呂を促したり飯を作ってくれたり彼女は俺のおかんなのか? まぁ俺には母親なんていなかったから「おかん」がどんなものなのか知らないけれども……

「それに……君に会いたがっている人もいるんだ」

 焦らすようの彼女は言ってそれが誰かまでは語らなかった。

「早速だけど準備が出来しだい大審院の本部に向かおう」

 大審院というと世界が誇る最高裁判所である。各国が対応不可能となった重大事件に対して裁判を行いその実力をもって判決を断行する機関。さらに壁外に進出した神子討伐の一部もこの機関が担当しているようだ。

「大審院? 裁判所に何の用事があるんだよ」

「今の君は希少な存在だからね。誰に命を狙われるか分からない。本部なら安全に君の身柄を保護できるから好都合なんだよ」 

 そう言うとマイノは服を脱ぎ俺の目の前で下着を露にしながら着替え始めた。唐突な彼女の行動に俺は驚きを隠せない。

「マイノっ……! あまり男の前で裸体を晒さない方がいいぞ……」

「なに、気にするなよ。僕らの仲だろ」

 慌てて俺が視線を逸らすと彼女は小悪魔のように笑いながら、淡々と着替え続ける。

 女の子らしい私服から一転して厳かな軍服に身を包むと、銃の手入れを片手間にやりながら彼女は言う。

「とにかく君の今後についてはそこで話合おう」

 かくなる理由で俺たちは大審院本部に向かうこととになった。その旅路は決して容易なものでないということをこの時、俺はまだ知らなかった……。あの忌々しい神父の脅威はすぐそこまで迫っていたのである。





 

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