第三章 ツァトゥグァ秘密教団編
第9話 精神崩壊
俺は意識を取り戻した。唐突な目覚め、眼上には見知らぬ天井が広がるばかりである。一粒の涙が頬を伝っていた。何か夢でも見ていたのだろうか?
寝台の横で座る女は俺の目覚めを確認すると読んでいる本に栞を挟んだ。
「ようやく起きた。君、随分長く眠っていたよ」
この状況どこか既視感がある。ベッドで横になる俺の隣に銀髪の女、とても昔の記憶に彼女の姿がある。誰だったか?
「なんだ、もしかして忘れてしまったのかい? 悲しいねえ。また遊ぼうと約束したじゃないか」
そうだ思い出した。11年前病院で出会った初恋の人である。
「マイノなのか?」
本当に彼女なのだとすれば、あまりに見た目が変わらない。11年前の彼女はおそらく18歳ぐらいの少女であったから現在は30歳前後のはず。しかしその容貌はあの時と何も変わっていないのだ。
唯一変わっていたのはその服装、昔は看護師のものであったが今は黒色の軍服を着こなしている。彼女はベッドの柵に肘つけながら俺の方に顔を近づけた。
「久しぶりだねノア。これから宜しく」
状況がいまひとつ掴めない。人型の神子に胸を刺されて俺は死んだはず。なのに胸部に痛みはない。というか生きていることがまずおかしいのではないか。
「どうしたんだい? 随分と虚ろな顔をして。僕との再開が嬉しくはないの?」
「妹が……レジーナが死んだ。残念だけどマイノとの再開を喜べる状況じゃない」
「何だそんなことか……」
呆れたように言う彼女に俺は殺意を越えた激情さえ憶えた。
「ふざけるなっ! 俺の大事な家族が死んだんだぞ! 何がそんなことだっ!」
ベッドから半身を起こし俺は軍服の襟に掴みかかった。赤い瞳で
「とても元気で安心したよ。さぁその手を放して」
脳に直接語りかけるようなマイノの恐ろしい声、体中に悪寒が走り俺はすぐにその手を放した。
「彼女は……レジーナは生きてるよ」
「本当なのか!?」
どうやら全て悪夢だったようだ。胸も痛くなければ彼女も生きている。つまり何もなかったんだ。本当に良かった! あんな悪趣味な夢は二度と見たくないものだ。しかしマイノの次の言葉で俺の希望的観測はあっさりと破壊された。
「あっでも君は死んでるよ。これ見て。心臓を潰されて死亡、戸籍上でも死んだことになってる」
数枚の資料を見せながら彼女はあっさりと告げた。やはり夢ではなかったのだ。
「でも……俺はこうして生きているじゃないか」
「厳密に言うなら人としての天神ノアは死んだということだ」
いまひとつ要領を得ない解答に俺は首を傾げた。
「君の身体が完全に死ぬ前に、欠損した心臓を補ったんだ。でもそんな
彼女が口にする一つ一つの言葉があまりにも恐ろしい。語られる狂気的な事実を前に俺は耳をそぎ落としたい気持ちであった。
「人間の知恵と神子の力その両方を有した稀有な存在、僕らはそれを
「よく分からないが……レジーナも裁人になって助かったのか?」
「彼女は違うよ。今は治療中。決して油断できない状況だが、なんとか一命は取り留めたようだ」
「あの怪我でか……?」
「僕らの職場には治療専門の裁器保有者も沢山いるからね。可能だよ」
裁器……ワンから聞いたことがある名前だ。
「すぐにレジーナと合わせてくれ」
「彼女の容態が安定したら手配しよう。もっとも二度と目覚めない可能性もあるが」
やはりそんな甘い話しがあるはずがないのだ。生きているという事実は本当に有り難いが彼女はもう普通の人生を歩めないかもしれない。そんな結果をもたらしたあの神子を俺は許すことが出来るだろうか?
「それよりも残念ながら他の
頼むから聞き間違えであってくれ。急にとんでもないことを言うのは止めてくれ。
「はっ……?」
「あの神子は君の家を襲ったんだ。辛うじて逃げ延びたのはレジーナだけ。他の子は皆食べられてしまったよ」
思っていたのとは全くの逆である。俺はレジーナの身にのみ被害が及んだのだと勘違いしていた。
「トオヤもノーヴェもナナオもムツキも……イツキもシロウもサナも……皆死んだっていうのか?」
「事件の報告書だ。これが真実だよ」
世界で一番大切なものは家族だ。皆で過ごす当たり前の毎日が本当に大好きで幸せだった。あの家が俺の全てだったんだ。でも、もう俺の居場所は何処にもないみたいだ。嘘みたいな話。信じたくない。
渡された報告書をグシャグシャに丸めて思い切り床に投げ捨てさらに吐き捨てるように俺は言った。
「嘘だ……嘘だ嘘だ。そんな訳がないだろうっ! 皆が死んだだと? ふざけるな!」
「悲しいのは分かるよ。でもね、そうやって感情に任せて喚いても何も良いことはない」
マイノの表情は優しさに満ち溢れていた。どこまでも深く傷ついた俺の心を少しでも諌めようと彼女なりに努めていたのだろう。
「君には力がある。それこそ世界を変えられる程に強大な力だ」
「もう……いい……一人にしてくれ」
俺が守りたかった皆はもういないんだ。何も守れなかった俺にはもう生きる価値なんて少しもない。
「泣きたいだけ泣いてそれでスッキリしたらその時はまた僕を呼んでくれ。一つだけ覚えておいて欲しいのは何時だって僕はノアの味方ということだ」
愕然とする俺を彼女は深い愛で抱きしめてくれた。まるであの時のキングワンのように。それでも俺の胸にぽっかり空いた穴を塞ぐには全く足りなかった。
彼女は立ち上がり、扉に手を掛けると最後にこう言い残し部屋を去った。
「それと君を助けた男から伝言だ。『よく考えろ 自らの現状を。そして選択せよ 自らの進む道を』とのことだ」
マイノが去ってから三日三晩俺は泣き続けた。そうして体が空白になって考えるのを止めた。もう何もしないでおこう。ここで死ぬまで泣いておこう。いや今すぐに死のう。そんなことを朧気に思いながら……
俺は自殺を決行したのだ。
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