第6話 最悪の夜 避けられぬ死 戦いの幕開け

 ノアとハクそれにニーナの三人は最寄り駅で電車を降り、徒歩20分程の帰宅路についていた。

「お兄ちゃーん。もう腕ちぎれそうだよー」

 両腕にお土産を沢山抱えながらハクが顔をしかめる。

「悪いなハク。そうだ、タクシーでも呼ぼうか?」

 機転を利かせてノアが提案した。しかし彼は小さく首を横に振る。

「いいよ、そんなの勿体ないじゃん。それに……こうしてお兄ちゃんと一緒に帰るのもあと数回だし……」

 寂寥せきりょうが漂うハクの横顔は絵画のように美しかった。まるで亡き夫を想う妻のような……彼の容姿は男子と呼ぶにはあまりにも優美でなんとも中性的な青年であった。

 ノアのポケットに入った携帯機器から無機質な着信音が鳴り響いている。

「誰から?」

 画面上には妹レジーナからの着信であることが記されている。

「レジーナからだ」

 彼女とは普段はメッセージアプリで連絡をしているので滅多に電話などしてこないはずである。応答ボタンを押し耳元に携帯を近づける。

「どうしたレジーナお前から連絡してくるなんて?」

 彼女は決してノアの問いに答えるのではなく必死の思いで声を絞り出し警告だけを残した。

「絶対帰ってきちゃダメだよ! 出来るだけ遠くに逃げーーッーーッーーッーーッ」

「おいっ! どうしたレジーナ、おいっ!」

 いくら呼んでも、もう彼女から返事が却ってくることはない。震える彼女の声とブツリと間の悪い所で切れた通話、なにかがおかしい。幸せのせいで忘れていた記憶がノアの中で明々とよみがえる。11年前のあの日に感じた悪寒と似た何か、大切な物を失う前触れ。

「なんだよ。今の……これもサプライズの一環って訳じゃなさそうだ」

「お兄ちゃんどうしたの?」 

 不安そうにハクが尋ねる。彼らの会話に起こされたのか赤子のニーナもノアの背中でべそをかき始めた。

「分からない……分からないんだが、なにか大変なことが起きている。そんな気がする」

 ノアは覚悟を決めていた。どんなことがあろうと家族だけは絶対に守る。

 それがキングワンの教えであって彼の人生の根底にあるものだから。逃げるだなんてあり得ない。

「ハク、悪いんだがニーナとここで待っていてくれ。様子見てくるから」

「そんなっ!大丈夫なの?」

「家族を守るのが長男の運命さだめだから。きっと大丈夫、何があっても俺は逃げないよ」

 彼はハクに赤子を預けると、家の方向に駆けていった。


 一方その頃、レジーナも息を切らしながら駅に向かって走り逃げていた。

 ――皆殺された。今、分かることはそれだけ。

 まずはトオヤが殺された。玄関で奴の攻撃から私を庇って体が真っ二つになった。

 何とか奥の部屋まで逃げ込んで皆に逃げるようにうながしたんだけど、もう遅かった。ノアが帰ってきたと思ったサクヤとシロウが玄関の方へ出ていって殺された。幼い体に重い蹴りを喰らわされ多分内臓が破裂したんだろう。すぐにうずくまって動かなくなった。

 それからすぐに部屋に入ってきた奴を食い止めようと立ち向かったムツキとイツキが殺された。ムツキは両腕を切り落とされ泣き叫んだ後、奴に頭部を噛み千切られた。イツキはお腹を奴の黒い腕に貫かれ、臓物と鮮血を吹き出しながら息絶えた。

 必死の思いで私とナナオ、ノーヴェは窓から飛び出した。駅前まで逃げればとにかく助かる。そう思って私達三人はひたすらに走った。何でこんなことに? 正直なにも分からなかったし考えられなかった。そんな中でもなんとかノアに電話することだけ出来た。途中で携帯電話を落としてしまったから全部は伝えられなかったけど……多分ノアなら察して逃げてくれる。

 すぐに奴は迫って来た。背後から奴が地を蹴る音が段々と近づいて来るのがよく分かる。死にたくない、死にたくない。頭の中にあるのはそれだけで、もう本当に訳がわからなくて涙も止まらない。

 隣にいた筈のナナオがいつの間にか消えていた。足をくじいてその場から動けなくなったナナオを、奴は決して見逃さなかった。

 「嫌だ、死にたくない」と必死に叫んでいるのが最後に聞こえてきた。そしてナナオも殺された。一瞬振り返るとナナオは既に七個の肉片に切り分けられて奴はその幾つかを幸福そうに口にしていた。

 吐きそうであった。もう何も見たくないし聞きたくない。私たちがこんな目に合うのはおかしい。皆にはこんな罰を受ける謂われなんて何もない。

 ワンがいつも言っていたんだ。

「罪には罰が降る。逆に言えば罪なき者に罰は決して降らない。だから何の罪もないお前たちは最高に幸福であるべきなんだよ」

 町の明かりがうっすらと見えてきた時、背後から飛んで来たのはナナオの頭部であった。それは凄い勢いでノーヴェの背中に直撃して、彼女はもう立てなかった。おそらく脊椎がやられたのだろう。麻痺したような状態で目に光は無かった。

 私は必死でノーヴェに呼び掛けたが、もうどうしようもないと云うことは心のどこかで理解していた。もうノーヴェは奴から逃げられない。私は彼女をそこに置いて逃げた。

 そして彼女の体が破壊される音を聞いた。骨や筋肉が千切れているのか、バリバリだったりクチャクチャ、グチャグチャだったり……とても言い表せないような音であった。こうしてノーヴェは殺された。

 ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!

 聞きたくない音を打ち消すように私は何度も謝りながら最後の力で足を動かした。体の感覚も曖昧で崩れるように路を走った。残念なことに田舎町の夜路には車の一台も人の一人もいない。誰も助けなんてくれない。また奴の足音が近づいてくる。きっとノーヴェの肉も平らげたのだろう。それでも奴は決して満足などしなかった。必ず私のことも殺してやるという明確な殺意の籠った足音がまたやって来る。

 その時である。私の目前に現れたのは、そこに一番居てはいけない人であった。

 本当はこんなこと言っちゃいけない。そう分かっていても私は……最後の最後で甘えたのだ。

「助けて……ノアァッ!」

 ノアは本当に優しいね……きっと電話の時に私の様子がおかしいって気がついたんだ。それで助けに来てくれたんだ。貴方にだけは生きていて欲しかった。大好きな人だから。

 ごめんなさいノア。私はもう死んじゃいます。でも貴方だけはきっと生きて。ノアはこんなところで死んで良い人間じゃないんだから。

 それと妹からの最後のお願い聞いてくれる? すごーく昔にワンと貴方がマフィアから私を救い出してくれた時、貴方は私を抱きしめてくれた。なんの希望も無かった私の日々に光をくれた。

 だからさ……あの時みたいにもう一度、貴方の胸の中で眠らせて。私もう疲れちゃったよ……

「レジーナァァァ!!」

 彼の声は届かなかった。突き付けられたのはあまりにも残酷な現実。そこにいたのは一体の神子と逃げるレジーナであった。 

「やめろおおおおおっ!!」

 神子がナイフのように鋭い拳を振り上げると彼女の上半身と下半身は綺麗に二つに切り分けられた。下半身は数メートル走った所で崩れ落ち上半身は血を吹き出しながらノアの目の前まで転がってきた。

「レジーナ……ッ!」

 塵のように地面に落ちたレジーナの半身を抱えながらノアは絶句していた。

「ノア……最 後に……わた、しを……抱きしめて……」

「嗚呼、大好きだよ。ずっと愛してるよレジーナ……」

「わた しも………………………………………………………」


 それが彼女との最期の会話である。

誰もが一目で判断できる、もう絶対に助からないという現実。ノアはレジーナの上半身をグッと強く抱きしめて深く深く愛した。温もりは徐々に消えていく。これが死である。

 逃れようもない今生の別れに水を差すかのように、神子はノアにさえ殺意を向ける。彼女の亡骸をそっと置くとノアは立ち上がり勇猛果敢に怨敵の前に立ち塞がった。

「俺は……俺はぁ! お前を絶対に許さない! 絶対に殺す。お前だけはッ……お前だけは!」

 渾身の力を込めた拳を神子の黒い胸元に打ち込む。しかしダイヤモンドよりも硬い神子の体表に傷をつけられるはずがない。

 拳が痛み、甲から流血があったがそんなこと彼には関係なかった。二度と亡くしてたまるものかと憤慨した11年前、あの時と同じである。

 また何も出来なかった。そんな自責とひたすらな怒りに駆られ彼は拳を繰り出し続けた。

「何でだよッ! 何でまた、何で俺ばっかり! なぁ何で俺は幸せになっちゃいけないんだよぉ!!」

「オオ……キクナッダナ、ノア」

 神子は訳の分からぬことを呟きながら遂にノアの心臓部分を貫いた。

 ――そうか結局俺もこんな所で終わりか……でも死んだらまたレジーナと逢えるじゃないか……そしたら今度こそお祝いをしよう……皆で楽しいお祝いを……


 幻想を見ながらノアは死んだ。きっと生物的に生きていても、もう彼に生きる気力はないだろうが。

 かくして黒い神子は家族11人全員を惨殺したのだ。神子は新鮮な二人の死体を早速、しょくそうと地面に手をやった。

 一発の弾丸がどこからともなく高速でやって来て、伸ばしたその手を木っ端微塵に撃ち砕いた。薄気味悪い男の声が夜の路に反響する。

「最高のタイミングに間に合ったようだ。マイノ、君の計算は常にパーフェクトだよ。」

「全部匂いで分かるからね。さて兄者よ、僕はノアを回収しておくから。奴の相手は任せたよ」

 彼らは大審院最強の神子狩り。

 四神の一柱 ナルミ とその補佐官マイノである。


「そうだな。今宵は本当に良い夜だ。こんなに昂るのは何時以来だろうか! 存分に暴れようじゃないか、キングワンッ!」

 二丁の巨大な拳銃を構えながら悪魔のような顔で男は笑った。


 月夜の下に怪物の王と最強の狩人の戦いが幕を開けようとしていた。



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