第3話 覚悟の弾丸

 骨身に染みるなんともいえない悪寒を感じてノアは目を覚ました。

「カゼでもひいたか……?」

 それは人に備わっている危険回避の所謂「勘」といったものだろう。

 空高く昇った月は雲の隙間から、その妖光を漏らし周囲を照らす。まだ目前には誰も見受けられない。だが常に静寂を保っている森が今日はやけに騒がしい。明らかに近づいて来ている……何人かの人間が。ノアの生物的危険信号が赤色のランプを点灯させていた。


――絶対ドンたちだ。昼の仕返しをしに来たに違いない! 逃げなきゃ今度こそ殺される!


 彼は急いで起き上がり逃走準備を迅速に開始した。といっても大切な物なんてなにも持ち合わせていないノアは昼に貰った二万円だけ握りしめ、部屋で眠るグロテスクな友を伴い街に抜ける秘密の小道から脱出することにした。キングワンの泊まる宿まで逃げればなんとかなる。そう信じて童といぬは駆け出した。彼らは残酷な運命にまだ気がついていなかったのだ。ろくに明かりもない凸凹でこぼこ道に一歩踏み出したその時、ノアは大きな黒い影と衝突した。

「おっ! 見つけたぞ小僧」

 おそらくドンの仲間だろう。男に強く肩を握られて彼の体は一瞬硬直してしまったが決して諦めない不屈の精神がその痩身を突き動かしたのである。

「こんなところでおわれねぇ!」

 力を込めて男の手を振り払う。

「うぎゃあああっ!! 何だぁぁぁッ!?」

 友である神子もノアに呼応するかのように男の足に噛みついた。

「はしるぞっ!!」

 死力を尽くして彼らは駆けた。呼吸を荒げ足裏からの出血も気にかけず、ただひたすらに生を渇望しベストを尽くしたのだ。

 それでもあと一歩及ばなかった。くだんの宿までほんの数メートルの所でノアは地面に崩れ落ちた。

「拳銃しか勝たんのだろ?」

 ドンはなんとも冷静にこの機会を待ちわびていたのだ。ノアを待ち伏せて確実に仕留める為に。なんの躊躇ためらいもなく引き金をひき、見事に彼の左太股に銃弾を喰らわせたのである。

「Gruuuuuu!!」

 主人を撃った人間に忠犬は猛烈な威嚇で反撃した。

「うおっ! なんだ神子が何でこんな所に!?」

「おい……おまえだけでもにげて……」

 ノアはか細い声で訴えた。それでも狗は彼を守るように必死でドンたちの前に立ちはだかる。

「まったく気味悪いもん連れやがって。飼い主が生意気ならペットまで憎いもんだ」

 冷酷な声色でドンは残酷な殺戮ショーを開始することに決めた。

「良いこと思いついたぜぇ! お前らこの気味悪い神子をゆっくりとなぶり殺せ。もちろんノアの足の止血も忘れるなよ!」

 これは人間にしか思いつかぬ、底知れぬ悪意に基づいた上での指示である。このまま出血多量でノアに死なれては気が済まない。ならばどうするか?

 目の前で大切なモノを奪ってやろう。そして、その絶望する面を肴に葡萄酒でもたしなんでやろう。それがドンの思惑であった。

「了解ボス!」「おもろいっすね」「こいつキモすぎるわw」「ハイハイ、ノア君止血しますねー。一緒に見ようか、君の大事なペットがミンチになるところ」

 鉄パイプやバットを持った彼の部下たちが口々に言いながら狗に暴行を加え始める。

「Quuunn……」

 ここにいる誰もが容赦という言葉を知らなかった。その動物に対して向けられたのは八つ当たりとも言える怒りや憎悪。ある人は家族を殺されたり、ある人は住む場所を奪われたり、総じて神子は人間に対して攻撃的なので決して相容れない存在だと常に認識されているのである。

「なぁっ……! もう止めてくれ……なんで、なんでこんなことするんだよ」

 目の前で友人がなぶられるのを彼はただ見ていることしか出来なかった。明らかに狗の動きは鈍くなり始め、すぐそこまで死の足音が迫っていた。あと何度、鈍器の殴打を耐え得るだろうか?

 くしゃくしゃの泣き顔で、ぐしゃぐしゃになった友を見つめる彼はドンの一行に懇願した。

「おねがいします……ゆるして……ゆるしてください」

「許して欲しいか?」

「おねがいします。おねがいします。おねがいします」

「ならチャンスをやろう。この拳銃であの旅人を殺せ。出来ないならお前もこいつも死ぬ」

 ドンは邪悪な引き金をノアに握らせた。騒ぎを聞きつけて来たのだろうか……彼らの背後に勇猛なる旅人キングワンは既に鎮立していた。

「ノア……全部俺のせいだ。俺は責任をとりたくてここに来た。だからその銃で俺を撃ってくれ」

 ワンには微塵の恐怖もなかった。銃を持った幼童を真っ直ぐ見据え心の底からそう言ったのだ。

「ワン……」

「そうだ! ノア! その男を殺れ!! そしたらお前もこの神子も見逃してやらぁ!!」

「ごめんなさい。俺は今日、人を殺します」

 殺人の覚悟が今、実行に移された。

「うわぁぁぁぁぁっ!」

 拳銃を持ったノアは最後の力を振り絞り鬼神の勢いでドンに銃を突きつけた。

「へぇっ??」

 計6発の弾丸が放たれ夜の街に爆音が響く。

「何だぁとぉぉ!?」

 ドンの体には正確無慈悲に6発全ての弾が命中した。一目で分かる……致命傷である。

「うんぎゃあああああッッ!!」

 情けない断末魔と血しぶきを上げながら遂に悪党は倒れた。

「ボスぅ!」「こんのガキぃ!」「今度こそ八つ裂きだ!」

 最後の力で引き金を引いたノアは銃の反動に倒れ、ガタガタと小動物のように震えていた。

「ノアッ!」

 ワンはすぐに駆け寄り彼をグッ抱きしめる。

「よく頑張った。お前は……本当に勇敢な男だ」

 ねぎらいの言葉は確かに届いていただろう。ノアはそっと頷くと力が抜けて気を失った。小さな彼を抱きかかえるキングワン、しかし彼が未だ窮地に立たされていることに変わりはない。ドンの部下たちは今度こそ必ず二人を殺す気である。

「しねぇ!」

 半グレの一人がキングワンの頭部を金属バットで殴りつけた。

頭からドロッと赤い血が流れているにも関わらず彼は狂気めいたしずかを保っていた。

「なあお前ら自分たちが犯した罪の重さが判るか?」

 まるで下等な生物を見下すかのように冷徹な表情。半グレたちは無意識の内に生物的な格差を感じていた。この男と自分達では根本的になにか違う……! 言葉で言い表せないような巨大ななにかだっ!!

「こいつはやべぇ!」「逃げよう……」

 既に狂気の世界に彼らは足を踏み入れていたのだ。統率は取れず皆がバラバラに走りだした。

「逃げようなんて考えるな。罪には罰が降される。ただそれだけのこと」

 逃走する一味をキングワンは無理に追おうとはしなかった。追う必要などなかったのである。次の瞬間、彼の体は変化を始め骨や筋繊維がギチギチと奇妙な音をたてている。男の肉体の13分の1は怪物であった。 

 直後その能力は発動した。




第13の能力 救王の暗命・ブラックアウト




 この日、ノアの暮らしたガベージシティは完全に街としての機能を停止した。27万人の住人はたった一人を除き全員が死亡。街の中心から半径20kmに存在する全ての生命体が死に至った。


 この事件は未だに「未解の惨劇」として多くの研究者の語り草となっている。四凶の攻撃であるとかセブンクラフトを暴走させた国の失態だとか……諸説あるのだ。

 しかし人々はこの事件の真実、犯人がたった一人の男であることなど知る由もない。知ったとしても誰が信じるだろう?


 これがオールド゠ワン

 世界を統べる者の権能である。

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