第2話 勇猛なる旅行者

 今日のノアは上機嫌である。昨日作っておいた罠には一羽の兎が掛かていた。汚染の影響か兎にしてはやけに大きく、立派でいびつな角も生えていた。考えては生きて行けない。彼はさっさと皮を剥ぎ丸焼きにして食らった。

 さらに森を散策している最中、美味しい実の成る木も発見した。見た目と匂いは強烈だが有毒ではないし充分旨いといえる部類だろう。採れるだけとって家の軒下に隠しておくようだ。そして街に繰り出す途中にお金も拾った。幸運の連続で、彼はすっかり上機嫌であった。裸足で砂っぽい地面を歩きながらスカベンジャーは今日も職場に向かう。今日は自分用の靴でも探そうかなどと考えていると背後から彼を呼ぶ声がした。

「君、ちょっと良いかい?」

 男の服装は明らかに旅行者の様であった。少しれたスポーツウェアを着て精一杯旅行者であることを隠しているつもりなのだろうが、現地人の目からすればそれが海外の精巧に作られた質の良い服だとすぐに分かる。

「なに?」

 一体どうして俺のような人間に声をかけるのかといぶかしげにノアは返事をした。

「この街には初めて来たんだけど。随分道が入り組んでるな」

「そうだね。だから?」

「君、案内してくれないか? 取り敢えず宿に行きたくてさ」

 外の人間は全く世間を分かってないとノアは呆れていた。どれだけ自分たちの生活が大変なのか、そんな事見ず知らずといった風に案内を願い出てくるとは……

 もしも今日一日仕事をサボればそれは命に関わる重大な問題となるのだ。

「わるいけど、オレはそんなにヒマじゃねーんだ」

 旅行者は困った顔でこちらを見ていたが、なんともあっさり撤退した。

「そうか時間使わせてすまない。他を当たってみるよ」

「そうしろよい」

 しかしてノアは此処であることに気がついた。旅行者の手にはどうやらお札が握られているようであった。それも憧れの万札である。金銭的余裕がある旅行者が果たしてタダで案内してくれなどと厚かましいことを言うだろうか? 否、恐らくあの金は案内人に対しての報酬であろう。

「なぁ、アンタやっぱりアンナイしてやろうか?」

 男は振り返り人懐っこい犬のように駆け寄って来た。

「良いのかい?」

「もちろん、タダでとはいわせないよ」

「そりゃ勿論、金は払うつもりだよ。当然だろ」 

 そう言うと男は彼に万札を二枚握らせた。

「ほらこれで足りるかい?」

「えっ……えぇーっ!! こんなたいきん!? ほんとーにいいのか?」

 ノアは驚愕していた。一枚でもとんでもなく大きな価値を持つ貨幣が二枚も手に入ったのは生まれて初めてである。

「好きに使うと良いよ。まあ金も払ったからにはしっかり仕事はしてもらうけどな」

「いいよ! アンタみたいなタビビトはねらわれるからな。オレがエスコートしてやる」

 上機嫌のさらにその先、ノアは有頂天に至った。彼は男の言う通りにまずは宿に案内した。こんなスラムの街でも比較的マシな所を知っていた。宿主が客の荷物を漁ったり盗ったりしないし客に犯罪者などもいないまともな宿である。男はそこに荷物を置くと最低限の物だけ持って路地に出てきた。

「次は旨い飯屋にでも連れていってくれないか? もう腹が減って死にそうだ」

「とっておきあるよ」

 ノアが先導して旅行者が後ろからついて行く。両者からはなんの悪意も感じないしピッタリ歩調を合わせて歩く様はとても初対面同士とは思えなかった。

「君、名前は?」

「天神ノア、そういうアンタは?」

「オールド゠ワン、皆にはキングワンって呼ばれてる」

「ワンはなんでこんなマチにきたんだ?」

「探してる物があるんだよ」

「こんなとこゴミしかないぞw」

「ゴミの中にこそ真の宝は眠ってるもんだよ」

 軽快な会話を交わしながら二人はこの街のメインストリートを練り歩く。トタンで出来た屋根が不安定に揺れ今にも倒壊しそうな建物、どうやらここがとっておきの店のようだ。料理の味に不安のスパイスが芳ばしく香る。崩れそうな店内に腹を壊しそうな少しねっとりした料理。そして周りには柄の悪い現地人が続々と集っている。旅行者にとってはなんともスリリングな店である。

「ワン……ちょっとヤバいかもしれない、そろそろミセでよう」

 ノアの怯えた様子をワンは心配そうにうかがっていた。

「どうしたノア? 腹でも痛いのか?」

「いやそうじゃなくて……周り」

 ノアが忠告する前に何とも邪悪な集団が無垢な旅行者に牙を向けた。平手をバンッ! と食台に叩きつけお決まりのような脅し文句と、お馴染みの鋭利なナイフをワンに突き付けた。

「おい、おっさん! 怪我したくなけりゃ荷物全部置いていきな。特に金になるもんは全部だ!」

 旅行者を狙った犯罪は新世紀以後、後を絶たない。このまま旅行者は身ぐるみを剥がされ路地裏に捨てられる。場合によってはそのまま刺し殺されることも……。この街は言ってしまえば無法地帯である。そこでは平和な国の倫理観など通用しないのだ。

「なあドンやめてくれよ……このひとカネなんてぜんぜんもってないよ」

 静止するノアにドンと呼ばれた男が怒声が浴びせた。

「うるせえなぁノア!! てめぇは前から気に入らないんだよ。この男の後はお前もたっぷり絞ってやるから覚えとけよ!!」

「物騒な奴らだな。子供もいるんだから、そのナイフ仕舞えよ」

 普通、強面の集団に囲まれた旅行者は萎縮して彼らの強引なやり方に従うしかないのだが……この男ほまるで違っていた。威風堂々とした態度で威圧的に、ドンの方を睨み付ける。そんな態度に半グレのドンは激情していた。

「あんたなぁ調子に乗らん方がええぞ。大人しくしてりゃ命までは取らねえんだから従っとけ」

「俺はな、お前らみたいに醜悪な奴が心底嫌いなんだ。人間の邪悪な部分をそのまんま形にしたようなクズ共に生きてる価値はないと思ってるんだけど……大人しく死んでくれないか?」

「てめぇ……立場が分かってねえみたいだなぁ!」

「やめろよぉ!」

 ノアの叫びも虚しく遂にドンの短すぎる導線は燃え尽き怒りは爆発した。勢いよく、そして容赦なくワンの喉元にナイフを突き立てた。 ノアはその乾いた瞼をグッと瞑って覚悟を決めていた。

――ワンには悪いことしてしまった。俺と一緒にいたせいでこんなことに……


 予想通り絶叫が店内に響き渡る。同時に銃声も……どういうことだろうか? 確かにドンは刃物でワンを襲った。なのに聞こえたのはドンの絶叫とドンッ! と重い弾丸音。

「拳銃しか勝たんのだよ!!」

 目の前でのたうち回るドンを嗤いながら、キングワンは拳銃を懐に片した。先刻まで余裕の表情を浮かべながら、旅行者が殺されるのを今か今かと待ちわびていたドンの仲間たちはすっかり青冷めて引け腰になっていた。

「大丈夫ッ! 大丈夫ッ! 肩に一発お見舞いしただけだから。止血すれば大事には至らないさ」

 ノアはこの男が恐ろしかった。それと同時に何ともいえない羨望せんぼうの情さえ湧き出していた。

「店の迷惑になるから俺は行くよ。文句があるなら追いかけてきてもいいぞ。弾丸はまだ一杯あるからさ」

 気楽に言うとワンはノアの手を引っ張って店を出た。駆け足で宿の方に向かいながらワンとノアは互いに謝罪しあうこととなった。

「ノアすまなかった! 揉め事を起こす気はなかったんだ……これでお前の生活が脅かされたら俺は責任を取らなければいけない」

「いやいや、あやまるのはオレのほうだよ! あいつらはオレをメのカタキにしてるレンチュウだ。オレがいたからワンもおそわれちまったんだ!」


『とにかくすまなかった!!』


 二人は同時に口に出していた。どうやら彼らは性格的にも類似する所が多いようでその考え方や発言も近しいものであった。その後ワンは宿にノアは住みかにそれぞれ逃げるように帰った。

「きょうはな、マチでいろんなことがあったんだ」

 今日も今日とてノアはあの不吉な動物と会話していた。

「キングワンっていうんだ。すげーあこがれるな、あーゆういきかた」

「Gruaiiiii!!!Tqqqqiii!!」

 やはり犬のような彼は人間には到底認識出来ない鳴き声でノアに何かを語りかけていた。

「きっといるんだよ。そとのセカイにはいいやつも」

 日が陰り初めて森は一層、薄気味悪くなり木々が不気味な囁き声をしきりに立てていた。不穏な風が彼らを包む。

 なんだか嫌な予感がしてノアは家の軒下に隠れて眠ることにした。友はそれを嫌がったので好きにさせた。だから今日、彼は一人で眠ることとなったが決して寂しくはなかった。なんだか今日は久々に昂っていたから止めどない空想を脳裏で描きながら彼は楽しんだ。

 これが友との最後の夜だとも知らずに……

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